第8話 # round-3
「...はい。」
僕は携帯をとり、回線につないだ。
聞こえてきたのは、いかにもその髭面にふさわしい野太い声だ。
「...あ、シュウか、横田だ。」
「...ああ、横田、今朝は悪かったな。」
「...今朝の話だがな、なんかややこしいぞ。」
「...?。」
「...例のブン屋に話したんだがな、どうもはっきりせん。それどころか、
そんな情報は奴も知らん、と。しかし...。」
「...しかし?。」
「...奴も何か隠してるかも知れん。ひょっとすると特ダネかもな。」
「...それで、例の覆面は?。」
「...奴の知る限り、R33-Rの覆面は神奈川にはないそうだ。まあ、サツが
隠してんのかもな。」
「...そうか。」
「...まあ、後で話そう。あの店に来るだろ?。」
「...うん。」
「...じゃ、また。」
僕は回線を遮断した。また、静寂がよみがえる。
風鳴りが、耳元に。
White-noise ような、薄のゆらぎ。
陽は傾き始めている。
僕は、アルミ・ボンネットに写る陽光をぼんやり眺めていた。
いつのまにか、それはオレンジ色が深くなってきている。
「そろそろ、戻るか。」
今日はいろんな事があったな。
ちょっと、出てくるつもりが、こんな時間になってしまった。
ポケットの中で柔らかくなっていた、Ford 711M の 安っぽいキー。
そいつをステアリングコラムのキー・シリンダに入れ、右に一段ひねる。
赤い、インジケータ・ランプが光る。
ただのランプなので、昔の真空管ラジオのキットみたいだ。
左足から、鞍馬のようにコクピットに滑り込む。
静かに、スロットルを少し開く。
キーを、もう一段ひねる。
オート三輪のような、スターターの音....。
数秒の後、爆発的にエンジンが掛かる。
ボンネットの太陽が、振動で揺れる。
渋いクラッチを踏み込み、シフト・ノブを左上に押し込む。
アイドリング付近でクラッチを継ぐ。
エンジンが温まっているので、クランク・メタルを痛める心配はない。
ゆっくりと、アクセルを踏み込む。
右足の動きに、ダイレクトな反応。
オイル・パンを壊さないように、静かに道路との段差を登る。
本線上に車が来ないか、確認する。
本線を白いボクスターが、風のように駆け抜けていった。
圧力波と、新世代のポルシェ・ユニットのサウンドが残る。
オイル香は、全くしない。
さすがは、ドイツ製だ。
やり過ごしてから、本線に入り、スロットルをおもむろに踏み込む。
ウェーバー・ツインチョークが、共鳴音を奏でる。
ハム・バッキングタイプの、エレキギターにoverdriveを深くかけたようなsound。
minimoogのスイープみたいに、音程が推移する。
カストロールの匂い、青白い油煙。
さすがは、イギリス製だ。
ヘッドカバーのオイル漏れが、エキパイで燃えているのだろう。
2ndに入れる辺りで、すぐに、白いテールに追いつく。
水平対向ユニット特有のビートが聞こえる。
トライアンフの650みたいだ。
広葉樹の生い茂る峠道を、軽く流してダウンヒル。
こんな、ライトな感覚もいい。
少し、距離を置いて観察する。
ミドシップ・レイアウトの割には、テールヘビーな感じがする、身のこなし。
ノーマルサスペンション仕様なのだろう。
ターンインから、立ち上がりにかけて、ワンテンポある感じ。
「やはり、ポルシェだなぁ。」僕は頷く。
どことなく、優雅なコーナリング。
対して、野蛮そのものの僕の”7”。
レプリカとは言え、明らかに英国のテイスト。
多くのモーターファンに愛され、多数の亜流が生まれた、"Lotus-7"。
何も、ブランドだけで愛好されていたわけではない。
機能しか存在しない構造。
極限といえるほどの軽量化。
機械としての主張を全身で発揮している。
無駄のない物は、美しい。
ボクスターの白いテールを拝みながら、結構なペースで山を下り、
インターチェンジへの広い直線へ出た。
空き地だらけのバイパス道路は、まだ建物もまばらだ。
ICに入るため、右にレーンチェンジ。
回転を合わせ、ダブルクラッチで2ndに落とす。
一気にボクスターを追い越す。
追い越しざまに、左手をあげ、挨拶する。
ボクスターは左ハンドル仕様だったのだが、
ドライヴァはどうやら女性のようだった。
短く、クラクションが返される。
サイドミラーを見ると、青い排気煙の中で
白いボクスターが揺らいでいた。
僕は、3rdに入れ、ランプウェイへのコーナーを切り込んだ。
水平対向のSound が、僕の後ろをサラウンド効果のように駆けていった。
ゲートに着く。
赤い、安っぽいブースが、赤黒く煤けている。
所々、すり傷があり、黒い筋が付いている。
どこかの下手くそがサイドミラーを引っかけたのだろうか。
空気が悪い。何処となく硫黄臭がする。
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