第5話 出逢いは偶然に、隠し扉を開いたかの如く2


「いただきま~す」



「待てって、外に出てからだ」



「えっ? 恥ずかしいですよ」



「吉沢、それが“形”なんだよ、あきらめてくれ」



「……」



元気の不思議なセリフに、洋平は抗議するという概念が消えてしまったのか、何も言わずに一緒に外に出て、アパートの二階から下へ階段で降りた。



「これだって。寝坊、遅刻といったらこれだよな」



元気は、“これが日本のしきたりです”といった口調で、手に持っている食パンを口にくわえて、軽いジョギング程度の速度で走り出した。



「どぉしたぁ! はぁやくぅいかぁないとぉおわぁちゃうぞぉ!」



元気は五秒ほど進むと立ち止まり、後ろを振り返った。



そして、スタート地点に立ち尽くしたままの洋平に向かって、食パンを口にくわえたまま、しゃべりにくそうに言った。



洋平はもちろん食パンを口にくわえることはせずに、手に持ったまま元気のもとへと駆け足で向かった。



「なにしてるんですか。恥ずかしいから止めて下さい」



「はぁずぅかひぃ?」



「坂本さんじゃなくて、“口に食パンをくわえた坂本さん”のことです」



「なんだよ、紛らわしいこと言いやがって。ほら、吉沢の尊敬している“口に食パンをくわえていない坂本さん”だぞ」



元気は、口にセットされている食パンを解除した。



「なんで、そんなことするんですか?」



「口にパンのことか?」



「そうですよ」



「吉沢くん、キミは日本に住んで何年になるって?」



「生まれてから二十七年間、一秒たりとも日本から出たことありません。それが何か関係あるんですか?」



「吉沢くん、学校でも職場でも、遅刻しそうになったら食パンを口にくわえて駆け足で職場に向かう。日本の“あるある”な日常の光景だろうに」



「そんな光景、現実で見たことありませんよ。昔のギャグ漫画じゃないですか」



「言い争うのはやめにしようって。作ってくれた職人さんが悲しむからよ」



元気は決め台詞でキメると、手に持った食パンを食べ始めた。



それを見た洋平も、美味しそうにして頬張った。



「吉沢、旨いな。職人さんに感謝しなきゃな」



「たぶん機械で作ったと――はい、職人さん、ごちそうさまです」



洋平は、慌てて発言を訂正した。



「食べ終わったみたいだな」



「はい、ごちそうさまでした」



元気は親指を立てて、はじけるスマイルを洋平に向けると、後輩もつられてシンクロした。 





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