第5話 生
『じゃ、行って来る。』
『早く帰ってきてね。今日はあなたの大好物を作るから。』
『何を作るんだ?』
『帰ってからのお楽しみ。だから、早く帰ってきてね。』
『ああ。行って来ます。』
『行ってらっしゃい。』
いつも通りの朝。いや、いつもよりちょっとだけ幸せな朝だった。
俺は約束を守ったよ。どこにも寄らず、まっすぐに帰ってきた。
早く帰ってきた。
お前も、約束を守った。
俺の好物、ローストビーフ。
ちゃんと作って待ってた。
そうか。今日は結婚記念日だったんだな。
ごめん。近頃仕事が忙しくて、すっかり忘れてたよ。
お前は2人でお祝いするつもりだったのか。
ワインとローストビーフで。
ばかだな。
何もいらないのに。
俺は、お前がいれば、それでよかった。
さらに、ローストビーフまであって。それで充分じゃないか。
ワインなんて、買い忘れたなら、無くったってよかった。
わざわざ買いに行かなくたって。
ばかだな。
お前さえいれば、よかったのに・・・・。
本当に、死んでしまったのか?
お前、ほんとは、寝てるんだろ?
いや、俺を驚かそうと思って、死んだフリをしてるんだ。
あの医者も、警察も、加害者も、みんな俺を驚かすために、お前が仕組んだんだ。結婚記念日を忘れた罰として。
なぁ、俺もう充分驚いたよ。忘れてたことも、謝る。悪かった。
だからもう、目、開けてくれよ。頼むよ。
俺には、信じられない。こんなにきれいな体なのに、どこにも外傷がないのに。
お前が、死んでるなんて・・・・。
“彼女、生き返らせてやろうか?”
誰だ?お前は。
”俺は、ユーリ。夢と現実の間に住む者さ。”
夢と現実の間?
で、お前には彼女を生き返らせることができるっていうのか?
“ああ、できるよ。あんたが強く望めばね。”
望むさっ。当然だろう!死んだことだって、まだ信じられないんだ。
“だろうな。じゃあ、わかった。”
わかった、って・・・・本当か?本当なのか?!
ああ、これは夢じゃなかろうか・・・・
“夢だよ。”
・・・・なに?
“ここは、あんたの夢の中だ。”
じゃ、俺は今眠っていて、夢を見ていると?
“ご名答。”
じゃあ・・・・ああ、目が覚めれば、やっぱり彼女は・・・・
“いいや、それは違う。言ったろ?彼女を生き返らせてやるって。”
しかし、これは夢なんだろう?
“まぁね。だけど、俺は夢と現実、どちらにも存在できる。”
どちらにも・・・・?じゃあ、彼女はほんとに生き返るのか?!
“あぁ。”
なんてことだっ!
しかし、死んだ人間を生き返らせるというのは・・・・
“迷ってるね。まぁ、急いで結論を出すことはないさ。結論が出たら、呼んでくれればすぐ来る。”
ああ・・・・。
彼女は死んだ。
信じたくはないが、これは事実だ。
死んだ人間を生き返らせる。
そんなことが本当に可能なのか?
可能だとしても、許されることなのか?
でも、生き返って欲しい。
だって俺は、あいつに何もしてやってない。
仕事に追われて、何ひとつしてやってないんだ。
このまま死なせるわけにはいかない。
約束したんだ、彼女と。
必ず幸せにするって。
ユーリ。
“お呼びかな?”
ああ。
“結論は?”
頼む。彼女を生き返らせてくれ。
“いいんだな?”
あぁ。
“わかった。ただし。”
なんだ?
“1つだけ、約束して欲しい。”
約束?
“眠っている間に彼女がすることを、止めないでくれ。”
眠っている、間?
“約束、できるか?”
あぁ、・・・・わかった。
“じゃ、お目覚め後をお楽しみに。”
「あなた・・・・あなた、起きて。遅刻しちゃうわよ。」
「ん、うん・・・・っ?!」
生きてる、生き返ってる!
「やだ、なに?そんな見つめないでよ・・・・私、何か変?」
確かに生きてる・・・・元のままの彼女だ。これは、夢なのか?
「ほら、早く起きないと、ほんとに遅刻しちゃうわよ。」
「あ、ああ。」
会社・・・・そうだ。会社には昨日電話を入れたはず。夢じゃなきゃ、ちゃんと連絡がいっているはずだ。俺は忌引きで休むと。妻が、亡くなったと。
「どうしたの?こんな早くから、どこに電話?」
「ん?ちょっと、会社に、ね。」
「あ、もしもし・・・・」
-おお、君か。どうだ、少しは落ち着いたか?-
「はい、ありがとうございます、部長。」
-どうしたんだ?-
「いえ、実は・・・・私、昨日会社の方に連絡は・・・・」
-大丈夫か?しっかりしてくれよ。連絡なら昨日君がくれたじゃないか。私が受けたのだから、間違いない。それにしても、大変だろう。何か私にできることはないか?-
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。」
やっぱり、夢じゃない。
あいつの、ユーリの言うとおり、彼女は生き返ったんだっ!
「あなた?」
「ん?」
「どうしたの?ボーっとしちゃって。会社で何かあったの?」
「いや、なにもない。それより、今日は会社、休みだ。」
「ほんと?」
「ああ。1日ゆっく休むぞ、お前と一緒に。」
「まぁ、どうしちゃったの、急に。」
「お前と一緒に、生きて行くんだ。」
「・・・・???」
「なんだか変ね、あなた。」
「ん?なにが?」
「あんなに仕事人間だったのに。休みの日だって、こんなにのんびり過ごしたことなんて、なかったのに。それに、急に優しくなっちゃったりして。どうしたの?何かあったの?それとも、外で何か悪いことでもしてるのかしら?」
「何言ってるんだよ。別になにもしてないよ。何かあったわけでもないし。ただ、仕事より大切なものを、思い出したんだよ。それだけさ。」
「仕事より大切なものって、なに?」
「お前だよ。」
「な・・・・なに言ってるんだか。」
「ほんとだよ・・・・愛してる。」
『愛してる。本当に、愛してるんだ。・・・・おいっ、どこ行くんだ?ダメだ、そっちに行っちゃ!帰って来いっ!』
はっ・・・・夢か。嫌な夢だ。・・・・ん?
あいつ、どこに行ったんだ?
“約束は、守ってくれよ。”
ユーリ。あいつ、いないんだよ。どこに行っているんだ?
“エネルギーの補給。”
なんだ、それは?
“彼女が生きていくために必要な、エネルギーの補給だよ。”
普通エネルギーなんて、食べ物からとるだろう?
“そう、普通はね。でも、彼女は今特殊な状態で生きているんだ。眠りのエネルギーを借りて、ね。”
眠りのエネルギー?
“そう。眠っている人から貰う形になるけど。。”
どうやって?
“簡単だよ。眠っている人の額から、吸い取るのさ。”
吸い取るって、吸血鬼でもあるまいし・・・・
“似たようなものかもしれないな。吸い取っているものが血かエネルギーかの違いで。まぁ、眠りのエネルギーの場合は、それで相手が死ぬわけじゃないけど。”
・・・・それって、それじゃあ、彼女はまるで化け物みたいじゃないかっ!
“まぁ、捉え方は人それぞれだから。どう感じるかは、あんた次第だ。”
やはり、いけなかったのか。死んだ人間を生き返らせるというのは・・・・
“また、迷ってるみたいだね。”
・・・・あぁ。
“お望みなら、元に戻すのは、簡単だよ。”
元に、戻す?
“本来の彼女の姿に戻すんだよ。つまり、死んでいる状態に。”
本来の姿・・・・そうすべきなのか・・・・
もし、もしそうするとしたら、どうすればいいんだ?
“彼女の行動を止めればいい。”
どうやって?
“眠った後、動けないようにするんだ。”
そんな・・・・
“彼女をどうするか、後はあんた次第だ。”
待てっ、待ってくれっ、ユーリっ!
「あなた・・・・あなたっ。」
「ん・・・・ああ。」
「大丈夫?だいぶうなされていたみたいだけど。」
「ああ、大丈夫だ、ちょっとイヤな夢を見ただけさ。」
「そう?でも、すごい汗。会社行く前に、軽くシャワーでも浴びていったら?」
「会社?ああ、会社は今日も休みだ。」
「えっ?」
「溜まりに溜まった有休を取ったんだよ。だから、今日も1日ゆっくり過ごすのさ。お前と一緒にね。」
「まぁ。」
「とりあえず、シャワーでも浴びるか。どうだ、一緒に浴びるか?」
俺は、どうすべきなんだろう?
やはり、元に戻すべきなんだろうか、彼女を。
彼女の本来の姿に。
彼女には、このまま生きて、俺の側にいて欲しい。
だけど、今の彼女は・・・・他人のエネルギーを吸って生きている、化け物だ。
彼女を化け物にはしたくない。
でも・・・・。
どうすればいい?俺はいったい、どうすればいいんだ?
「あなた、電話よ。部長さんから。」
「ああ・・・・え、部長?!」
-もしもし、ああ、君か。今出たのは誰だね?奥さんの声にそっくりだったが-
「あの、あれは、家内の親戚で・・・・」
-そうか。どうりで声が似ているはずだ。最初は、驚いて言葉が出なかったよ。それはそうと、告別式はいつだろうか?是非、私もお線香を上げさせてもらいたいんだが-
そうだ。お通夜。お葬式。
世間では彼女は、もう、死んでいるんだ。
この世の中に、彼女はもういない。彼女の居場所は、ないんだ。
なんでこんなことに気づかなかったんだろう?
俺の勝手で彼女を生き返らせて。
やはり、戻すべきだ。
彼女の、本来の姿に。
「部長さん、どうしたの?本当は今日、会社あったんじゃないの?」
「いや。」
「どうしたの?そんな怖い顔して。何かあったの?」
「なぁ、話があるんだ。」
「なあに?」
・・・・言えない。言えるわけがない。
目の前で笑ってる彼女に、ほんとは死んでいる、なんて。
でも、言わなければ。
ちゃんと、言わなければ。
「お前、おとといの結婚記念日のこと、覚えてるか?」
「やあね、覚えてるわよ。私、まだぼける歳じゃないわ。」
「お前、ワイン買いに行ったよなぁ。」
「うん。買い忘れちゃったからね。それが、どうかしたの?」
「どうやって、家に帰ってきた?」
「どうやってって、歩いて帰ってきたに決まってるじゃない。」
「ちゃんと、覚えてるか?」
「え?どういうこと?」
「じゃあ、その後はどうした?ローストビーフは食べたか?ワインは飲んだか?」
「えっ・・・・あれ?そう言えば・・・・どうして?記憶が・・・・。」
「だろうな。」
「ねぇ、どういうことなの?」
「それは、な・・・・あの日、お前が死んだからだ。」
「ちょっ、ちょっと、何の冗談・・・・。」
「冗談じゃないんだ。本当のことなんだ。」
「だって、現に私は今生きてる・・・・」
「俺が、生き返らせた。」
「え?」
「俺が、夢の中で頼んで、お前を生き返らせたんだ。」
頼む、信じてくれ・・・・
「・・・・ほんとなの?」
「信じてくれるか?」
「ええ。あなた、そんな冗談言う人じゃないもの。」
「ありがとう。」
「それに、何となく思い出したの。あの日私、ワイン買いに行った帰り道で、車にぶつかりそうになった。じゃ、私あの車にはねられたのね。」
「ああ。」
「そっか。それでなのね。昨日今日と、妙に優しかったのは。」
「・・・・。」
「そっか。私、死んじゃったんだ。でも、なんで生き返らせてくれたの?」
「そんなの、当たり前じゃないかっ。お前が大切だからだよ、愛してるからだよ。それに俺は、お前に何にもしてやってない。約束を、まだ果たせてないんだ。」
「約束?」
「ああ。必ずお前を幸せにするって、約束したのに。」
「バカね。約束ならとっくに果たしてるわ、あなた。」
「え?」
「私、十分幸せだったわ。あなたといられるだけで、それだけで十分、幸せだった。バカね・・・・ありがとう。」
「やっぱり、ダメだ。俺にはできない。」
「何言ってるの?ちゃんと縛って。」
「嫌だ!俺はお前に、生きていて欲しいんだ。」
「ダメよ。私はもう、死んでいるの。自然の法則には、従わなきゃ。」
「・・・・ごめん。俺、何にもできなくて。」
「いいえ、あなたは私にたくさんのこと、してくれたわ。そしてこれが最後の仕事。ちゃんと私を縛って、元に戻してちょうだい。」
「・・・・ああ、わかった。」
「ごめんなさい。あなたを残して先に逝くこと、許してね。」
「俺もすぐ逝くから、待ってろよ。」
「だぁめ。あなたは私の分まで、しっかり生きて。もっともっと幸せになって。お願い。」
「・・・・。」
「あなた、私の最後のお願い、ちゃんと聞いてくれた?」
「わかったよ。」
「じゃあ、さよなら。」
「ああ。」
「ワイン、美味しかったね。」
ユーリ。
“お呼びかな?”
ああ。結局、彼女を元に戻すことにしたよ。
“そうか。”
彼女に言われたよ。自然の法則には、従わなきゃならないって。
“ごもっとも。”
お前もそう思うか?じゃあ、なんで彼女を生き返らせてくれたんだ?
“それは、あんたが強く望んだからさ。それに。”
それに?
“彼女には、まだ2日間だけ、残されていたんだよ。運命で決められた、生きられる時間が。”
えっ?
“彼女はちゃんと、自然の法則に従ったんだ。”
そうか。じゃあ、これでよかったんだな。
“あんたがそう思うのなら、それでいい。”
ああ、よかったよ。ありがとう、ユーリ。おかげで彼女に最後の別れを告げることができた。君のおかげだ。
“いや、あんたが強く望んだからさ。”
ユーリ・・・・
“じゃ、俺はこれで失礼するよ。”
ありがとう、ユーリ。
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