アンダーグラウンド

レオニード貴海

第1話

 国内のテロ、それも有名IT企業の東京本社を狙った真昼の放火テロ、ということで、事件は世間の耳目を集めた。

 SNSのタイムラインを眺めながら、尾崎はひくく、と引きつるような笑い声を出した。小山がちらりと目を向け、またPCの画面に視線を戻す。野田は仰向けになったままぼんやりと天井を眺めていた。

「これこれ、ぞくぞくするよなあ」

 尾崎は作り笑いか、それとも本当に可笑しくてわらっているのか判然としない満面の笑みを浮かべて小山の方を振り向いた。

「はあ……」

 小山はまた少し顔を上げて尾崎を見た。だがすぐに目をそらす。違和感のある笑顔をはりつけたまま尾崎はしばらくそのままで固まっていたが、何を得心したのかうんうんと勝手に頷き、またスマホの画面に意識を戻した。

 がちゃり、という金属製の仕掛けが動く音がして玄関の戸が開く。小山はビクリ、と肩を震わせた。野田はベッドの上に起き上がってぎしぎしとスプリングを鳴らす。新垣が部屋に入ってきた。スプリングの音がぎしり、と最後の音を立てて大人しくなる。

「おかえりい、ボス」と尾崎。

 ワンルームの部屋に大の男が五人。やや手狭な感はあったが、まとまった空間のサイズは必要最低限でなくてはならない。万一のガサ入れ時には手早く証拠を隠滅する必要があるし、アジトが見つかった場合に行動が著しく制限されるのを防ぐ目的もある。全国四ヶ所に隠れ家を分散させているので、仮にひとつが抑えられたとしてもそれぞれの隠れ家は遠隔で監視・制御しているから致命的な情報は消却できるし、残された部屋を利用して活動を継続することができる。

「最高っすねえ」

 尾崎が作る笑顔の虚飾は先のものより二割ほど減退しているように見えた。肝が座っているように見えて、やはりリーダーの新垣が来ると緊張はするらしい。新垣は部屋の中をぐるりと見回した後、僕の方を見て言った。

「何読んでんの?」

 僕は手に持っていたペーパーバックを手渡した。

「英語……、高学歴君だったね」

 それから新垣は顔を上げて小山の名を「さん」付けで読んだ。

「はい」

「次のドローンは動きそう?」

「はい、大丈夫です」

 国内各所の山奥や人気のない森林、立入禁止区域の中に無線の中継機と一緒に数百機のドローンを待機させてある。部品は新垣の私設工場で他の受注部品に紛らわせながら製造した。設計図はネットから落としたものなので足はつかないだろう。データも削除済みだ。ドローンは最初にテロを起こす二年以上前から毎週数機ずつ人目につかないよう移動したから、誰にも勘付かれていないはずだ。ケースに収めているので万が一見つかってもそれが何なのかすぐにはわからないし、GPSで監視しているから何かあっても素早く対応できる。最悪の場合自爆させることも可能だ。

「それでは、早速決行と行こうか。間をおかず、躊躇せず、この腐った社会を焼き尽くそう」


 メガバンク、通信会社、総合商社、自動車メーカー、食品会社、不動産、コンビニ大手、民放キー局、百貨店、保険会社、その他業種を問わず、あらゆる巨大企業が標的になった。多くの企業が精神的な深手を負い、事業を中断せざるを得なくなった。テロのダメージからなんとか回復し事業を継続できるようになると再度のテロ攻撃を受けた。大手企業が崩落すると、自立できていなかった中小企業はドミノ式に破産していった。


「乾杯」

 長野の別荘地。ワイングラスを掲げて、我々は祝杯を上げた。

「見えない戦争に」

「見えない戦争に」

 諸外国および海外の少なからぬ組織・団体からは幾度も支援の申出があり、実際に援助を受けた企業も存在したが、そうした会社は新たなテロの餌食になった。攻撃を受けるのは支援を施した側ではなく、享受した者たちだった。ある放火現場には鉄製のプレートにメッセージが加えられてあった。


"泥棒の子孫に叡智を授けん" ――亡国のプロメテウス


「あれはどういう意味なんすか」

 赤らんだ顔の尾崎がやや馴れ馴れしく言った。新垣は応えず、小山さん、最近血色が良くなったね、と言った。小山は嬉しそうに笑って、ニコチンで黄ばんだ歯を見せた。

「最近頭痛がしなくなったんです。とても気分がいい。私をリストラした会社も潰れました。適材適所ってことなのかなと思います。あの会社は私には向いてなかったんですね、散々こきつかわれたけど、全然評価されなかった。新垣さんは理想の上司でもあるんです」

 俺も俺も、と尾崎が口を挟む。

「ボスが俺の人生を変えてくれたんすよ。マジで神……そう神っすよ。神ってるとかそういうふざけたのじゃなくて本当の神。俺はさ、ずっと思ってたの、この国は間違った方向に進んでるって。国家が悪いと言うよりは、国民の質が下がってるんだって。だけどさ、こうやって火をつけて、まさにケツに火がついて、やっと気がついたんだと思うんすよ、うん、そう、平和ボケしてんじゃねえよって、騙されてんじゃねえって……マジでさあ……」

 尾崎は急に机の上に突っ伏した。それからしばらくして、籠もったいびき声が喉の奥から聴こえてきた。

「オフレコでお願いします」と野田が言った。相当飲んでいるが顔色はまったく変わっていない。

「この人、尾崎さん、外したほうがいいと思います。この前、応答が悪いドローンの様子を一緒に見に行ったとき、そのときもかなり飲んでて、大声で叫び声を上げたんです。危うくバレちゃうところでした……この人、ちょっとおかしいです。酒癖、悪いし、声も……でかいし……」

 突然電池が切れたように、野田も卓上に倒れ込んだ。テーブルクロスが引っ張られ、ワイングラスが倒れそうになるのを、無駄のない動きで新垣がつかまえた。

 僕は肩をすくめた。小山も、いつの間にか腕を組んで静かに眠っている。まだ目を開けているのは僕と新垣だけだ。僕たちのグラスだけが最初の一杯をまだ残していた。


「あのメッセージが誰に向けられたものか、君なら分かるだろう」

「なんとなく」

「ここの三人はスケープゴートだ。明日の朝一番で逮捕されて『新垣さん』のことをぺらぺら喋るだろう。もう用はない。尾崎は元不良の右翼、小山は妻子に逃げられた無能のサラリーマン、彼女に振られて以来女全般を怨み続けている大学生の野田。こいつらの共通点は?」

 僕は一応彼らを見回し、完全に眠りに落ちていることを確認してから言った。

「承認欲求の塊」

 新垣は目を閉じ、口元を緩ませてゆっくりと頷いた。

「何故僕を選んだんです?」

 新垣はジャケットの裏からパーラメントの箱を取り出してタバコを一本抜き取った。自前の銀のライターで火をつけ、つまらなさそうにして煙を吸い、吐いた。

「私という人間を知ってもらいたかったからだ」

 彼は真剣な表情で僕をじっと見た。僕はなんと言っていいかわからず、また肩をすくめた。

「というのはもちろん嘘で」

 彼は自らのジョークにひどくおかしそうにして笑った。

「失礼、医者に余命宣告されているんだ。諦めようかと思ったんだが、ここまでうまくいくと続きが気になるものでね」

 時間をかけて二、三度煙を吐き出した後で、君にあとを継いでもらいたい、と彼は言った。

 不意に気配を感じて後ろを振り向くと、見知らぬ男が立っていた。こちらをじっと見下ろしている。いや、どこかで見たことがある。僕は間も無く思い出した。最近テレビのニュース番組でよく見るようになった……警察署長だ。

「彼は味方だ。これから、本当の敵との戦いが始まる。見えない敵との、真の戦いが……」

 署長の、細く無骨で力強い皺の刻まれたその手と握手を交わしたときに、色のない闇が僕を包み込むのを感じた。

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アンダーグラウンド レオニード貴海 @takamileovil

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