第22話 7月24日(土)
俺は唯の手を握ったまま、アパートの部屋までたどり着く。いつもなら俺が部屋でくつろいでいる所に唯が押しかけてくるパターンが多かったが、今日は一緒に部屋に入るせいで変な気持ちになる。空いた片方の手でガチャリとドアノブを回して部屋に入った。
だらけた「ただいま~」という独り言は今日だけ封印することにした。俺が部屋の電気をつけている間、唯は無言のまま中についてくる。静かな部屋に二人の足音だけが響いた。
「やっぱり、泊って行くのか?」
「うん。いいんでしょ?」
「ま、まあ別にいいんだけど?」
普通に答えたつもりだったのに、逆に気取ったような裏声で返してしまった。それを自覚した瞬間に、耳が火傷しそうなくらい熱くなるのがわかった。だから俺はできるだけ鏡を見ないようにしながら、洗面所を指さした。
「と、とりあえず荷物だけおいて手洗いだけしておきな」
「なにそれ、ママみたいなこと言わないでよ~」
「今じゃ当たり前のことだろ?」
何気ない一言でようやく唯は笑ってくれた。蛇口をひねって流れていく水音に少しだけ嬉しそうな声音が混じる。俺はようやく胸のつかえが降りたような安堵に浸った。順番に手洗い、うがいを済ませてから、部屋の中に戻る。ようやく疲れた体をソファに沈めた。
「ふぅうー」
全身の力を抜いて息を吐くと、ベッドの端っこの方にちょこんと唯が座って、俺の顔を覗き込んでくる。近くから鼻孔を刺すような甘い香りが漂ってきた。
「なにそれ、おっさんくさいなぁ」
「疲れた時はみんなこんな声出すって。最近やけに疲れが取れなくてな……」
「ちゃんと寝てる? 一人暮らしだから夜更かしとかしてるんじゃないの」
「まあゲームと課題のサイクルだしな」
神に憑りつかれてから忙しくなったという心当たりは言わないでおいた。呪いを解くための『三人の女子と結ばれろ』という指令が頭の中にずっとあったのは事実だ。唯以外の女の子とここまで長く話したりすることはなかったせいかもしれない。慣れないなりに、俺はどこかで無理していたのか。
「休めるときにしっかり休んでおかないと、いつか倒れちゃうよ。ほら、子供の時はよく寝込んでたじゃん」
「子供の時の話だろ。今は違う」
「それでも変わんないよ。ユウはずっと」
「俺は変わったと思うけどなぁ」
「ううん、変わってない。お母さんが亡くなってユウがずっと泣いてた時みたいな顔してるもん。無理して頑張って、体は悲鳴を上げてるのに、心の中では俺は大丈夫! って動き続けてる。やっぱり神様のせい? 神様がいるから無理してるの?」
「違う! あいつは……別に、関係ない」
「嘘だよ。ここ一週間、なんかユウが……別人みたいになってるよ」
「さっきは変わってないって……」
「そう、根本的な部分はずっと変わってない。優しくて、頼りになって、困ってる人をほっとけない。だから無茶しちゃう。今日だって女の子助けて一日連れまわされて、それでもその子のことは悪く言わなかった。浮気もしちゃうくらい魅力的なんだよ」
「……ん? やっぱり怒ってる?」
「怒ってない。怒ってないから、聞いて」
怒ってないという割には目が座ってる気もしなくないんですが。これ、褒められてるの? それとも責められてるの? 話の流れがわからなくなってきたぞ。
「祠を直すのも、浮気をするのも本当にユウがしなくちゃいけないことなの?」
「いや、だからそれは、俺に呪いがかかってて……」
「じゃあその呪いってのはなんなの? 本当にあるって証明されてるの?」
「……」
唯の言葉が俺の深いところをぶち抜いた気がして、俺は表情まるごと固まった。
そうだ、神は一度も俺に「呪い」の詳細を教えてない! 話をしてくれたのは、女性を捨てた男に責任を取らせたという部分だけだ。首を刎ねたという流れは否定していた。
あいつは一度も「呪いをかけた」とは言っていない。祠の復興と人の契りを結べと脅しただけ。あれ……俺はいつから呪いを解くためだと勘違いしていたんだろう。
今まで必死に積み上げてきたものが一気に瓦解していく感覚に襲われて、俺は頭の中が真っ白になった。急に目の前が暗くなって、「あぁ」とか「うぅ」みたいな音しか出てこなかった。
「ちょ、ねえ、ユウ!?」
なぜかすごく体が重かった。唯が遠くに離れた気がして、声は微かにしか聞こえなかった。
**
目が覚めたと認識すると同時に、光が差し込んできてうめきながらぎゅっと瞼を閉じた。「あ、よかった……」という安堵する声がすぐそばで聞こえ、その主が唯だと判断するのに少しだけ時間がかかった。
「ねえ、大丈夫?」
「あ、ああ……あれ、俺は……」
「無理して起き上がらなくていいって! このままでいいから」
「……ん」
腹筋にうまく力が入らないまま、唯に肩を抑えられてそのまま体を元に戻した。柔らかい枕に頭を置き、目頭の部分を指でもみほぐすことにした。だいぶ、疲れがたまっていたのかもしれない。キィーンと鈍い痛みが遅れてやってきた。
それにして、ずいぶんと柔らかい枕だなコレ。俺は硬めの枕しか持っていなかったはずなんだが……。そう思って、後頭部に手を伸ばすと、また違う感覚があった。
今度はすべすべとしていて少し全体がひんやりとした触感。そして、もう少し上の方にはざらざらの布地みたいなものがあった。
「ねえ、もしかしてわざとやってる?」
「へ?」
俺の手のひらにツンと尖った爪が押し当てられ、その痛みに目線を向けると、眉をひそめた唯の顔があった。あれ、なんで唯が俺の上にいるんだ。というか、この感触ってまさか……。自分が何を触っていたのか、今度は視覚ではっきりと認識する。それは見たことのある黒色のプリーツスカートだった。
「うわっ、ごめん!」
「別にいいけどさぁ、もう、ユウはエッチだなぁ」
「違うって! 無意識だったんだって!」
「逆に意識してやってたら犯罪だよ」
ほんのりと赤みがさした頬のまま唯は口を尖らせた。そしておもむろに俺の髪の毛をぐしゃっと撫でながら続けた。撫でる感触がまるで赤ちゃんでも癒すかのような、とても優しい手つきだった。
「あたしは別にいいけど、他の子にこんなことしたらダメだからね。たとえ七海とかが許しても、やったら怒られるよ。女の子のスカートをつまんで捲るなんてサイテーだよ」
「いや、待って。触ったけど捲ってないって!」
「目線を挙げて中を覗き込んだらそれはもう立派な犯罪だよ」
「事実と嘘を混ぜないで! 冤罪だから! やっぱりもしかして怒ってないか!?」
「別に怒ってないってばー」
口では怒ってないと繰り返すわりに、いつまでたっても唯は俺を撫で続けるのをやめてくれなかった。ただそれに嫌な気持ちはいなかった。たまっていた疲れが少しずつ溶けていく、温かいものがあった。
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