第21話 7月24日(土)
とりあえず唯を起こしてその場に立たせた。落としてしまった荷物を代わりに広い、そのまま二人して帰る電車へと向かう。今日はもう会うことはないと思っていたはずの彼女が今隣を歩いているという、そんな違和感に俺は襲われていた。
「今日は部活って言ってなかったか?」
「他校との試合でさっき終わって帰ってきたところ。まさか
「最初は会う予定だったんだけどなぁ」
「それはごめんって~。ね、ね、なんかお詫びもするからさ」
「別にそんな謝らなくていいって。そこまで怒ることでもないし」
「あ、明日なら空いてるからさ! 待ち合わせもここじゃなくて、ユウの家にあたしが行くから!」
「いや、家はやめろ。てか、七海も用事ができたらしくて来なかったから気にすんな。俺も今日は別で暇を潰せたし、結果的によかったよ」
「ふーん、別で……ってどっか行ってたの?」
「いや、千葉さんと少しデパート内で……あ」
何も考えずに口を滑らせてしまった結果、隣から不穏な気配が漂ってくるのがわかった。
「ねえ、今千葉さんって言った? え、その子誰? あたしがいない間に七海とじゃなくて、他の子とデートしてたってこと?」
「……いや、あの」
「三条高校の子? どのクラス?」
「え、あ、……今日知り合ったというか、絡まれたというか」
「ナンパしてたってことか」
「いや、ナンパはしてねえから! なんならアッチから来たから! それに付き合わされただけだし!」
「ふーん、言い訳するんだ。今日一日遊んでおいてその子のせいにするんだ」
急に声音が低くなり、唯の表情が硬くなる。正論をぶつけられて俺は何も言い返せなかった。というか、これ以上何か喋れば喋るほど、墓穴を掘って行く気がする。俺も李衣菜と遊んでおいて、楽しかったと思っておきながら、それをここで否定するのも筋が通らない、よな。
ジト目を向ける唯に俺は目を合わせれず、押し黙ってしまう。ホームに俺たちが乗る電車が来るアナウンスが流れるのを耳にしながら、俺は頬を掻いた。困った俺に啓示が降りてきた。
「お主は情けないのう。浮気を責められて言い訳一つうまくできぬか」
脳内で神までもが小ばかにしたように鼻で笑う。だったらどうすればよかったんだよ、と苛立ちを神にぶつけてしまった。冷静を欠いて噛みつく俺とは反対に、神は淡白な声音で続けた。
「お主は今二択を持っておる。約束を先に破ったのはソッチだと彼女を責めてこの場を誤魔化すか、素直に謝って許してもらうか」
屑になるか、素直になるかってか。なんだよその二択は。
「我は選択肢を与えるだけじゃ。答えはお主で出すがよい」
こんなもの参考になるかよ。――実質一択じゃねえか。無意識のうちに歯ぎしりしていたのか、ぎりっとした嫌な音が口内に満ちた。
甲高い音と共に電車が滑り込んでくる。その音に負けないよう、俺は声を張って唯に向き直った。自分の気持ちをそのまま吐き出した。
「なあ、唯。うまく言えないけどさ、その、悪かった……ごめん」
「……それで?」
「遊んでたのは本当だから否定はしない。だけど巻き込まれたってのも事実だ。これだけは信じてほしい」
「…………」
頭を下げる。唯の表情は見えない。情けないと思っただろうか。見苦しいとでも感じただろうか。ただ何も言ってくれないのは凄く辛い。呆れられたのなら、罵倒の一つくらいがマシだ。
「いつまでもそこにいると迷惑だから、早く乗ろーよ」
「……え?」
「ユウが無事でよかった。だから、早く帰ろ?」
一足先に乗り込んでいた唯は手を差し出しながらほほ笑んだ。惚けたままの俺はとりあえずその手をつかんだのだった。
**
揺れに体を預けてしばらく無言の時間を過ごす。つかんだはずの右手はいつの間にか離されていた。
ご時世的にソーシャルディスタンスを保つという名目で会話しないのではなく、唯は意識的に口を開かないようだった。ちらと視線を送っても、アイコンタクトがつながる気配はない。ただもどかしい想いが俺の胸中を駆け巡り、どうにかなってしまうんじゃないかってくらい感情に襲われる。解消する方法を理解しているわけでもないのに、何かしなきゃいけないという衝動に駆られる。
だから……いや、なぜか自分でも気づかないうちに俺はそっと唯の手を握っていた。小さくてすべすべとした右手。痛くないように優しく重ねてみる。
瞬きが多くなって、鼓動が少し加速したように感じた。ドキドキしてんのバレてないよな。
嫌がられたらすぐに離すつもりだったのに、その気配はまるでなかった。逆に握っていたはずの手がすり抜けて、俺の指と指の間に割り込んでくる。しっかりと絡まった後でぎゅっと力が入るのがわかった。ああ、これって……。
その意図を確かめるために彼女に視線を向けた。今度は意図せずぶつかったようで、驚いた表情が見えた。
「えへへ……これくらいは許してね」
「お、おう」
若干の気恥ずかしさが全身に緊張感をもたらして、変な汗が出てくる。
やべ、なんか手がぬるぬるしてきた。気持ち悪いとか思われてないよな……。いや、今更離したら逆に変か? どうしたらいいんだよこれ。
さっきとは違う意味で心がもやもやしてくる。
「っつ!」
「……」
だけどその心配は硬く握りしめてくる手の力で吹き飛んだ。絶対に離すもんかとでも言いたげな、無言の圧が俺に向けられる。唯はただじっと俺の目を見てくるだけだった。
「次は朝日ヶ丘ぁ~。朝日ヶ丘ぁ。お出口は右側です。足元にご注意くださぁい」
車掌の声で自分の最寄り駅に近づいていることに気づく。俺は降りなきゃいけないが、唯が帰る駅はまだ先だ。だけど……手が離れてくれない。それどころかさっきよりも強くなっている気がする。
「ゆ、唯?」
「いや」
「嫌って……」
「このままでいいでしょ」
「そんなこと言われてもな」
俺の言い分にはまったく耳を貸す気がないのか、確固たる意志で頑なに頷こうとしない。うーん、やっぱまだ機嫌は良くないのかなぁ。ここで無理に別れるとまた面倒なことに……って、やめやめ。こんなこと考えないでおくか。
「わかった」
「?」
電車が駅に停止して扉が開く。俺は唯の手を引いてそのまま一緒に降りた。階段を降りて改札口を目指す。夕方の時間という事もあってか、少しだけ込んでいたものの、列に並んですぐに通り抜けることができた。
休日の夕方にこの三条高校付近を歩く学生はほとんどいないだろう。夕陽に照らされた二つの影が長く伸びていた。唯が一緒に降りたという事は必然的に俺のアパートまでついてくるという事になる。明文化しなくても察しはつくものだが、この際「もういいや」なんてどこか投げやりな感情も心の隅に抱えていた。
二人して盛り上がるはずもなくただ静かに夕暮れの時を歩く。学校の傍にある俺のアパートまではもうすぐだ。
「ねえ、今日は――」
「いいぜ」
「…………うん」
いつも聞くあの言葉を最後まで言う前に、俺は肯定した。らしくない、だろうか。そんな俺の調子に逆に唯の方が長い沈黙の後で小さな返事をくれた。なんだか変な感じだな。いつもは元気いっぱいって感じの唯がこうもしおらしくなるなんて。
怒ったりすることは今までにもあった。だが、こうして静かにしているのを見ると、体調でも悪いんじゃないかって心配になる。――たぶん今はそういうことじゃないんだろうけどさ。
こんな時に神様が出て、雰囲気を変えてくれたらな。ふとそんなことを思った。
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