第6話 7月22日(木)

 翌日、学校へ行くと早速友達にはやし立てられた。友達の照西や林らが俺のもとへとやってきて、「お前とうとう品川に落ちたんだってな」とニヤニヤした視線を向けられた俺の心情を考えてみろ。


「んで、どこまで行ったんや?」

「一泊したって本当か?」

「してねえしてねえ。あいつならすぐに帰ってったぞ。あと、その顔やめろ。殴りたくなる」

「素直じゃねえなあ、雅勇くんはよぉ」

「新田が品川から聞いたって広めてたぞ。ほんと口軽いな……。お察ししますわ」


 唯のやつ、昨日ラインでやめろって言ったのに。

 キスくらいで自慢するなよ……っく。

 昨日の感覚を思い出してしまい、脳内で唯が再生される。顔が熱くなってきたのがわかったので、俺はその場から逃げるように席に着いた。とりあえず予習でもして気を紛らわせるとしよう。

 下手に唯のことを考えると、顔に出るかもしれない。まだ騒がしい教室の中で一人自習していると、締め切っていたドアががらりと開かれ、その方に気を持ってかれた。肩まであるまっすぐな黒髪が俺の視界を過ぎる。

 入ってきた人物と目が合った。ただ、互いに無言で。


「……」

「……」


 完全にデジャブだった。いつも遅刻してくるはずの三間七海みまななみ。今日はなぜか始業前に到着したようだ。まあ、俺にはどうでもいいけどな。

 目があったのも少しのことで、三間はすたすたと自分の席へと歩いていった。特に話すこともあるまい。クラスで話したことのないやつなんてざらだ。気にしない気にしない。

 と、思っていたのだが……。



                  **



 まさかこんなことになるとは。

 ラインで父さんから指定されたファミレスに向かうと、遠くに見慣れた顔があった。父さんと同じ席に座っているのだから、十中八九新しい家族とやらのはず。

 反対側に向かい合うように座っていたのは……なんと三間だった。朝とは別の意味でお互いに顔を見合わせる。


「なん、で、がっ、時飛くんが……」

「お前こそ……」

「なんだ、お前ら知り合いだったのか?」

「「知り合いというか、同じクラス」」


 俺と三間の声が重なる。

 動揺を隠しきれない三間はまだ口をパクパクさせていた。母親の背中に隠れるようにして袖をつかんでいた。俺もある程度の覚悟を決めていたのだが、まさか同じクラスメイトだとは思っていなかった。

 戸惑いながら俺に、父さんは二人からは見えないように軽く小突くと、


「じゃあ、とりあえず自己紹介でもします?」

「そうですね、では……」


 軽く三間の母親が会釈をした。


「初めまして、雅勇くん。私は三間美那子みなこと言います。あなたの……新しいお母さん、になるのかな」

「あ、どうも……」


 ぺこりとお辞儀を返した。初対面で礼儀正しいおしとやかな人だと感じた。真面目な父さんが惹かれるのもわかる気がする。新しいお母さんと言う言葉に、俺はどうしても違和感を抱いてしまった。


「ほら、七海も」

「うん……。三間七海です」


 俯いたままの七海は決して俺たちの方に目線を合わせることはなかった。特別それに腹を立てたわけじゃないが、なんとなく七海の気持ちを察してしまって俺は何も言えなくなる。


「じゃあ、俺たちも。ごほん……俺は時飛伸明のぶあき。よろしくな七海ちゃん」

「はい。こちらこそ」

「んで、こっちが」

「えと、時飛雅勇です。よろしくお願いします?」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 美那子さんは微笑むことで反応を示したが、やはり七海の方は何も言わなかった。


「まあ急な話で困惑してるかもだけど、籍は入れたから報告を兼ねて顔合わせをと思ってね。いきなりでごめんな、七海ちゃん」

「いえ、お母さんからそれっぽい話は聞いてたので」


 あれ、じゃあ俺だけ再婚を知らなかったってこと? さては父さん、俺に隠していたのか?


「いきなり一緒に暮らすのもあれだから、もう少しこのままの方がいいかな」

「それなんですけど……」


 なぜか気まずそうに笑う美那子さん。


「伸明さんのお宅におじゃまする日が今日からだと勘違いしてまして、アパート引き払っちゃったんですよね……。だから今日荷物ごと車に積んできてまして……」

「あ、まじっすか」


 内容の衝撃に思わず敬語を忘れてフランクになってるぞ、父さん。隣で小さく息を吐く七海が視界に入った。


「あー、えっと。じゃ、じゃあうちに来ます? 一応いつでも大丈夫なように準備はしてたので。うーん、ここで食べるには少し時間も早い気がしますので、よかったらうちで御馳走しましょう」

「あら、ありがとうございます! 七海もそれでいいかな?」

「いいよ」


 賛成のいいよなのか、拒否のいいよなのか。俺には判別できなかった。父さんは既に二人が来る前から頼んでおいたドリンクバーのことを話したかと思うと、


「会計は先にしておくから。じゃあ俺と美那子さんで買い出しに行ってくるから、あとは二人で少し話してみるとか、どうだ?」


 どうだと言われましても。

 ほとんど学校でも話したことのない俺たちがいきなり二人だけにされて何を話せっていうんだ。ちらりと視線を七海に向けると、恥ずかしそうに顔を赤らめて背けていた。そりゃそうだよな。俺だって二人きりにされたらすごく困る。

 了承もしていない俺たちをそのままに二人は、仲睦まじく笑いながら店を出ていってしまった。

 父さんが別の女性と歩いていく背中を見る。

 昨日の電話ではまだ現実味を帯びていなかった再婚というものが、今目の前で表現されていることに俺は気付いてしまった。

 他人というものが家族に切り替わる境界線。拒否することもできずに、ただ見ていることしかできない無力感。それだけが残る。

 目の前の彼女はどう思っているのだろうか。


「えっと……」


 当たり障りの会話でもして変な雰囲気を消そうと思ったのだが、俺にはそこまでの技量がなかった。それでもなんとか言葉をつなげてみる。


「三間さん、だっけ」

「今はたぶん、あんたと同じ時飛だと思うけど……。さん付けはいいよ。下の名前でもいい」

「え、あ……七海ななみさん?」

「うん。七海でいい」

「じゃあ、俺のことも気軽に呼んでくれていいから、さ。雅勇っていうんだけど、変な名前だよな。はは」

「いいと思う」

「へ?」

「名前が! その……別に変じゃないし」

「あ、ありがと」


 目線が合うことはないが、なんとかぎこちないながらも、お互いに会話をつなげている。なんだろうな。

 今まで唯以外の女子と二人きりでしゃべる機会なんてなかったから、こういうものなのか? それとも顔を背けられているのは、俺が七海さんに嫌われてるからなのか? 無視されないだけマシだけどさ。


「いきなり再婚って言われて、相手がクラスメイトなんてビビるよな。ほとんど喋ったことなかったけど、七海が意外と喋りやすくてよかったよ」

「そ、そう……ありがと。私もその、雅勇くんと…………」

「え? よく聞こえないんだけど……」

「な、なんでもないから! 一度喋りたかったとか思ってないから!」

「お、おう……」


 俺が聞き返したのに対してかなり動揺したのか、なんか本心が出た気がしたんだが。少し赤らんだ顔が向き合った。普段とのギャップに俺もかなり動揺してしまう。

 クラスでは大人しそうな正確に見えたが、実際は話したがり、なのか? しばらくぽつぽつと喋っては沈黙が交互に流れるのだった。


「まあ、その、なんだ。これからよろしくという事で」

「そ、そうだね」


 なんだこれ、お見合いかよ。ちょっとだけ気まずい。


「それにしても、あんなお母さん見るの久しぶりかも」

「久しぶりって?」

「ちょっと前にお父さんが亡くなって、しばらく落ち込んだままだった。それでも生きていかないといけないし、会社の清掃のお仕事見つけたって……」

「なるほどね」


 そこで俺の父さんと出会ったってわけか。というか、俺の父さんは職場で女性を口説いてたのかよ。


「すごい優しい人に会ったのって言ってた。ちゃんと話を聞いてくれて、お金のことも話してて」


 父さんも俺の知らないところで頑張っていたらしい。


「今度私にも紹介してくれるって言っててさ。それが本当に嬉しそうでさ。そんなの見たら反対なんてできないじゃん。相手に連れ子がいて、それが同じクラスの男子だったとしても、否定できないじゃん」


 ふむふむ……あれ、もしかして俺ディスられてる?

 ひょっとしなくても、もしかして俺を否定してる? あれえ?


「だからその……仲良くするからさ。ね?」


 ね、ってなんだよ。その「ね」はいったいなんなんだよ!? どういう意味なのか教えてくれよ。


「と、とりあえずうちに行くか。父さんたちもたぶんそろそろ帰ってるんじゃないかな」


 こくりと七海は頷いた。二人同時に席を立つ。会計は済んでいるとのことなので、そのまま店を出た。俺たちが出るのと同時に、四十代ほどのおばさんたちが入っていった。話題は俺たちのことだったのか、背後から「若いっていいわねー」なんてマンガで見たことのある会話が聞こえる。


「私らってどう見えてるんだろうね」

「え?」

「ほら、さっきの人たち。なんか言ってたから」

「ああ。まあ、同じ学校の制服着てるから、つながりはわかるんじゃないか」

「カップルに見える、のかな」

「どどどどどうなんだろうな」


 俺が敢えて言葉を濁したのに、この人言っちゃったよ! おかげで俺の方が意識してるみたいじゃねえか。


「少なくとも兄弟には見えない気もするけどな」

「事実上は義兄弟だけどね」

「誕生日遅いんだろ? 別に気にしてないけど、一応俺の方が上になるのかな」

「それじゃあ私が妹ってこと? ふふ」


 七海はなぜか嬉しそうに笑った。ちょうど横断歩道に差し掛かり、赤信号で足が止まる。横目で様子を窺うと、さっきまでの緊張が嘘のように感じられた。


「同級生の妹って嫌じゃないのか」

「ううん。私はずっと一人っ子だったし、兄弟がいるならお兄ちゃんが欲しいなって思ってたから」


 顔合わせの段階でなんとなく察してはいたが、やはり七海も俺と同じ一人っ子だったらしい。どんなにお兄ちゃんが欲しくても、親にお願いしたところで叶えられない願いってわけだ。

 それが叶ったから嬉しいのか。相手は俺なんかだけど。七海はいたずらっ子のようにニヤッと笑って見せると、


「雅勇お兄ちゃんって呼んだ方がいい?」

「……っつ! 勘弁してくれ」

「ふふふ、もしかして照れてる? 顔真っ赤だよ」

「ち、ちげえよ。暑くなっただけだし!」


 不覚にもちょっとだけ「おお」と思ってしまった。そんな感情を誤魔化すように青に変わった信号を渡り始めたのだが、顔に出ていたのを見られてしまった。

 妹に翻弄される兄の構図を頭に思い浮かべてみる。

 少しだけ恥ずかしかった。

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