第4話 7月21日(水)

 着いたのは件の祠。

 やはり夜に限らず人通りは少ないし、どう見てもおんぼろだった。


「場所ごと移動させた方がご利益在りそうだけどな」

『それはやめてくれんか。我は此処におらんと力が溜まらんのじゃ』

「パワースポットみたいなものか。じゃあまあ丁寧に拭いていくとするかな。あと、このコーヒーは片付けていいよな。苦いの嫌だって言ってたし」

『お主がきっちり飲まんか』

「さすがに飲みたくねえよ。あとでオレンジジュース供えてやるからさ」

『それは有難いの』


 会話をしながら作業を進めていく。ボロボロになった藁は後日どうにかすることにして、屋根の部分や柱の部分に溜まった埃を雑巾で拭いていく。さっと拭いただけでも真っ黒になってしまった。この際だから黙ってきれいにしてやることにした。

 誰かがしなくちゃいけなかったこと。みんなが見て見ぬふりをしたこと。それはやっぱりどこかで回って、結局誰かがやらないといけないんだろう。


「ごめんな」

『いきなりなんじゃ』

「今までこの祠のこと、無視してたなって」

『……わかればよい』

「うん」


 よし、こんなもんだろ。少しはきれいになったことでなんとなく漂っていた悪い雰囲気が消えたように思う。


「賽銭の受け皿はやっぱ取れないようにした方がいいと思うんだよ」

『まあ、お主のような人間がおるしの』

「それは悪かったって。週末はどうせ暇だし、それ専門の店にでも買いに行く。神様もついてくんだろ。一緒に見ようぜ」

『うむ、我もみたい。最新のがいいのじゃ』

「できるだけ俺の財布に負担はかけないでくれ」


 花も添えないとな。地蔵はこのままにしておく方がいいんだろうか。考えているうちに自分がするべきことがどんどん増えていき、ちょっとだけ面倒くさいななんて思ってしまう。だけど、たまには悪くないな。


「なんか飲みたいのあるか?」

『ほう、お主もわかってきたではないか。我はあれじゃ、ほれ』

「お、コーヒーか……嘘だって。わかってるから、そんな睨むな」


 俺が飲むコーヒー缶と神のためにオレンジジュースを自販機で購入する。神様ってのはずいぶん甘党なんだな。そういえば誰かに憑いていないと味がわからないはずなのに、なんでコーヒーの苦みは知ってんだろう。

 そんなことを尋ねてみると、


『祠に居るときは供え物の味がわかるのじゃよ。離れれば、お主の言う通り、誰かに憑いておらぬとわからぬがの』

「力を使ってるわけか。……っておい、なぜに実体化する」

『別にいいではないか。たまにはこうして触れておかんとな』

「おい、バカ。誰かに見られたりしたら……」

『よいよい。照れるな』


 いくら人通りが少ないからって、少女をおんぶしながら自販機の前で遊んでいたら……。


「ユウ……? そこで何してるの?」


 聞き慣れた声で後ろから呼びかけられる。見られたくないやつに見つかってしまったのが一瞬でわかった。


「お、おう、唯か。どうした」

「どうしたってこっちのセリフだよ。その子誰……?」


 やっぱ実体化している状態なら俺以外にも見えるようだ。って、そんな事実確認をしている場合じゃない!


「え、ええと、親戚の子……とか」

「とか、ってなによ。なんでそんな嘘つくん?」


 おっと一瞬で嘘だと見破られてしまいましたか。わんちゃん誤魔化せないかと思ったが、流石に無理だった。

「祠の修理っていうからもしかしたら家の近くのかなって思って通ったんに、本当はその女の子と遊ぶためやったん?」

「おい、まて。遊んでるわけじゃない。本当に修理してたんだよ」


 汚れた雑巾ときれいになった祠を見せつけるようにアピールしてみる。というか、神様よ。さっきから黙ってないで何か助けてくれませんかね。ほら、めっちゃ怪しんでんじゃん。


『仕方ないのお。何故この女子には強気に出れんか』

「何をこそこそ話してるの?」


 神が俺に耳打ちしている様子が気に入らなかったのか、唯が俺の方にぐいっと近づいてくる。おいおい、どうすんだこれ。なんて誤魔化せばいいんだよ!


『仕方ないの。ほれ』

「え……」


 神が手を伸ばして唯の額に触れたかと思うと、いきなり唯は気を失ったかのようにその場に崩れる。慌てて俺は支えた。え、何が起こったんだ。


「おい、唯!? おい、しっかりしろって!」

『心配するでない。少し気を取っただけじゃて。ほんのちょっとで意識が戻るのじゃ』

「びっくりさせんなよ……」

『お主がどうにかしろと言うから収めただけじゃ。お陰で力を使う羽目になったのじゃ』


 何やら神は文句を垂れていたが、俺は唯が無事だったことにほっとして力が抜けてしまった。


『しっかりせんか。あとは我は消えるでの。二人に任せるわい』

「あ、ちょ、待てよ!」


 俺の呼びかけも虚しく神はきれいさっぱり消えてしまった。引っ付いていた重みがなくなり、体が軽くなる。俺の腕には唯が気持ちよさそうに眠っているのだった。


「とりあえず、家に帰った方がいいよな……」


 飲み物を処理し、雑巾は後日回収ということで祠の下に置いておくことにした。唯と唯の鞄を担いで、俺はしぶしぶアパートへと戻ることにした。

 さっきまでとは違う感覚が背中に当たる。子供の体とは違う重みがちゃんと感じられるし、なんなら女の子特有の謎の甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 それに、その……アレがな。


「まさかこんな形で家に招待することになるとはな」


 俺の独り言に対して、唯は寝息で返事する。なんとか部屋までたどり着いた俺は、ベッドに寝かせるのもどうかと思ったので、普段使ってるクッションを枕にして唯を寝かせてやった。


「どうすんだ、このまま寝たままってのも困るが、わざわざ起こすのもなあ……」


 時計を見るとちょうど六時を回ったところだった。まだ日は落ちていないが、あまり遅くならないうちに唯を家に帰してやらないとな。余計な心配はかけない方がいい。

 ぼうっと待っていると、唯が目覚めたらしく、「ふああ」と大きなあくびが聞こえた。


「う……あれ、ここは?」

「起きたか。残念なことに、ここは俺の家だよ」

「え、あ……そうなんだ。えへへ、ユウの家か」

「あんまり部屋をじろじろ見るなよ。そんな面白いもんもないし」

「別にいいじゃん。ってか、あたしなんで寝てたんだっけ……」

「あーあー……ひ、貧血とかじゃないか? いきなり倒れたからとりあえず俺の家に運んだんだ」

「そっか……ありがとね」


 純粋に笑って感謝を述べる唯にちょっとだけ心が痛んだが、あの光景を覚えていられる方がよほど困るので致し方なし。


「体調は大丈夫なのか? よかったらなんかお茶とか出すけど」

「うん、寝たおかげかちょっとすっきりしてるかも」


 俺は立ち上がって冷蔵庫から二人分のお茶を用意する。戻ってくると、唯は誰かにラインでもしていたのか、携帯をニマニマと見つめていた。

 友達にでも「俺の部屋に入れた!」とか報告しているならぜひやめていただきたい。クラスで広がって男子からも問い詰められたことあるからシャレにならねえんだよな。


「まあ、大丈夫ならいいけどさ。それ飲んだら帰ってくれよ」

「えーもうちょっとゆっくりしたいんだけど」

「女子が男子の部屋に遅くまでいたら親が心配するだろ。もう六時も回ってるし」

「今日は泊まっちゃダメなの?」

「だ、だめに決まってるだろ!?」


 急に何を言い出すんだ。男の友達でもまだ誰も泊まらせたことないのに、女子が泊まるなんて問題になるだろ。これがバレたら絶対にクラスでいじられるぞ……。


「でも、お母さんに今日ユウの家に泊っていくってラインしたら、オッケーもらえたよ? ちなみにユウのお父さんも了解ってきた」

「なにしてんの!? つか、さっきラインしてたのはそれかよ!」


 父さんまで何をしてくれてんだ。唯が父さんの連絡先を知ってるのは本当に謎だし。いつの間に交換なんてしてたんだが。


「いいじゃん。それともなんか理由があるの?」

「唯こそ外泊するはいいのよ……」

「あたしはいいよ……ユウなら、さ」


 ごくりとのどが鳴った。なんだよ、なんでこんなさっきから心臓が鳴ってるんだ。唯が俺の方に近づいてくる。ただの友達にしか思っていなかった唯に、どうしようもなく「女の子」だと思ってしまって緊張している自分がいた。


「ねえ……」


 呼びかけられるとさらに鼓動が高鳴っていく。ひやりとした手が重ねられる。


「俺だって男、なんだぞ……?」

「あたしはユウのこと、好きだよ」


 言葉にされてしまった。俺が逃げられないように。

 上気した頬に切なげな視線を向けられ、俺は答えざるを得なかった。俺と唯の距離が近づいていく。目を閉じて、唇を差し出す唯。

 いつもとは違う可愛さのある顔。俺はそっと触れるようにキスをした。

 それはほんの数秒だった。


「ん……」

「あ、っと……」


 互いに気まずくて顔をそむけてしまう。


「えへへ……ありがと」

「にゃにがだ」

「ふふふ、動揺してんじゃん」


 心臓がバクバクとうるさいくらいに跳ねている。なんだよ、余韻にも浸らせてくれないのかよ。唯はしばらく笑っていたかと思うと、突然腕を反らせて伸びをしながら言った。


「あー。やっぱりあたし今日は帰るね!」

「は……? どうしたんだよ急に」

「なんかすごく満足しちゃった。家にも上がったし、……キスもできちゃったし」

「そうか……」

「あ、もしかして実は泊ってほしかった?」

「べ、別にそんなことねえよ!」

「意地張らなくていいのにー」


 実は少し期待してたなんて言えるわけねえじゃん。互いに真っ赤になった顔を合わせたり背けたりする。


「あたしももう限界だし……」

「あ? なんかいったか?」

「なんでもなーい。じゃあ、また明日ね」

「おう。送ってくか?」

「別にいいよ。まだ明るいしね」


 どこか嬉しそうな唯をとりあえず玄関まで見送った。帰り際にぶんぶんとこれでもかってくらいに手を振る様子がなんだか可笑しくて笑ってしまう。

ほんの少し前まであった香りと温もりが消えたことに、少しだけ寂しさを感じた。……ほんの少しだけだけど。


「……ん? なんだこれ」


 ポケットに入れていた携帯がぶるっと震えた。開いてみると通知が三件。唯と父さんと差出人不明の三つ。

 とりあえず唯は「友達に自慢していい?」っておい、ふざけんな。

 父さんからは……なんだ、不在着信? 全然気が付かなかったな。あとで電話し直すか。

 そして最後の不明なのは、なんだこれ。

 でたらめな文字列と記号の文。なのに読めた。


『送信主:我 * 一つお主が契りを結んだので知らせておくのじゃ』


 これは神様だよな。契りが結ばれたって……まさか唯のことか。契りを結ぶの定義がよくわからなかったが、このタイミングだともしかしてキスってことか。自分で考えても仕方ないので、本人を召喚することにした。


「なあ、おい」

『なんじゃ、ふわあ……。我も忙しいでの』

「完全に寝起きじゃねえか。このメールは何なんだ?」

『何ってそのままの意味じゃろう。文字が読めんのか? これだから無知な人間は困る』

「うるせえよ。一つ契りを結んだって……唯のことだよな?」

『当たり前じゃろう。お主らさきほど接吻しておったではないか。だから呪いの一つを認めてやったんじゃ。昔から接吻は男女の交わりにあろう。口吸いなぞ、村でもやっておった者もいたぞ?』

「解説ありがとよ。あれでクリアにしてくれるんなら、俺はあと二人とキスすればいいのか?」

『それはわからぬ。お主と相手に同意がないとな、それは契りを結ぶことに相違ならんじゃろう』


 どうやら二人の間にそういう感情を持って、キスしないといけないらしい。というか、やっぱりどう考えても俺はサンマタをしなくちゃいけないのか。

 そんな複数人にキスとか気軽にできねえよ。さっきだって唯にめちゃくちゃドキドキしたのに。黙った俺に神が言葉を重ねた。


『それが契りの重さじゃよ。ちゃんと理解しているようなら、それでいいのじゃ』

「そうか……」

『他に無いようなら我は寝るぞ。あとは父上にでも電話したらどうじゃ』

「やっぱ寝てたのかよ!」


 クソ神はあくびを残して、跡形もなく消えてしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る