第3話 7月21日(水)
一限目が終わり休み時間を迎えると、教室は少しだけ騒がしさを取り戻す。机の上の教科書を片付けで、すっきりとした机にだらけきった俺は体重を預けた。
座ったままだけど、気分は落ち着く感じ。ちょうど顔を上げたところで、教室の出入り口から誰かが入って来るのが見えた。廊下側の席に座る俺とそいつは見事に対面することになる。ばっちり目が合ってしまった。二秒ほど固まる。
「お」
「……」
半口開けて情けない声を出した俺に対して、そいつは無言で去っていった。それに俺は違和感を覚えなかった。もはや見慣れた光景だからだ。
ほぼ毎日といっていいほど遅刻してくる常習犯。確か名前が
というか、俺に限らずクラスの誰とも親しく話している様子を見たことがない。いつも窓側でぼおっと授業を受けては、たまに読書しているだけなのだとか。
別にいじめられているわけでもない。ただそんな奴という認識だ。友達との議題に上がることもほとんどないしな。
なぜ遅刻してくるかなんて知らない。髪も染めてないし制服も着崩していない。わかるのは不良じゃないってことくらいかな。ただなんとなく気になっているけど、誰も彼女に話しかけないだけ。
そんな光景も次の授業が始まるころには俺は忘れていた。
『なにか変じゃの』
隣から神が話しかけてくる。
「なにがだよ。主語つけてくれ」
周囲にバレないよう俺は小声で話すことにした。
『あの女子何か隠しとる気がせんでもない。それとお主に関わりがありそうじゃ』
「なんだそれ。曖昧過ぎてわからん」
『我も見通せる力は持ち合わせておらんのでなー。察せるだけよの。あとな』
「都合の悪い神だな、そんで?」
『我の声は憑りついておるお主にしか聞こえんし、なんなら声に出さずともお主の心で語り掛けるだけで聞き取れるぞい。じゃから、今のお主は独り言をつぶやく気持ちの悪いやつという印象を受けておる』
最悪な情報をありがとう。というか、早く言ってほしかった。
『我の悪口を言ってもバレるということじゃな』
ちょっとだけ、この神を忘れないようにしようと思いました。開いた窓枠で腰かける神は楽しそうに笑った。
**
本日最後の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。数学担当の先生はクラス委員長に挨拶を促すと、そそくさと教室から出て行ってしまった。
授業中はやたらと静かなくせに、放課になると騒がしくなるのが我がクラスの特徴だ。比較的勉強に対してはみんな真面目だから、うるさくする方が異常なんだろうけど。
それにしても神が憑いている状態だったが、いつもと変わらない日だった。もしかしたら神が実体化するんじゃないかなんて思ったが、まったくの杞憂で済んだ。
今の時代の勉強が面白いのか、ときどき「ほうほう」とか「ふむふむ」みたいな相槌を打ち、内容に耳を傾けているようだった。
唯一困ったのが、昼食時に俺が食べている惣菜パンを味わいたいと言い出したくらいだ。さすがにクラスメイトの前で少女に抱き着かれながら飯を食うなんて無理過ぎる。どんな拷問だよ。恥ずかしさと居たたまれなさで俺のハートが崩壊しちゃうわ。
帰宅する準備を進めていると担任が教室へと戻ってくる。英語の教材を抱えているという事は他クラスで少し教えていたようだ。
「ごめん、少し遅れたー。(ちらっと腕時計を確認して)他のクラスもたぶんもう終わってると思うし、今日はホームルームはなしにするわ。じゃあ掃除当番だけ頼むな」
マスクの下でもごもご言って、すぐに解散を促した。
ぱたぱたと一斉に去っていくクラスメイト達。部活に行く者もいれば、居残って勉強をする者もいる。夏休み後に実施される実力テストがあるため、うかうかしていられないのだろう。
そんな中で部活もしていない俺はそそくさと帰ることにした。もちろん、やるべきことがあるからだ。
とりあえずは今日中に祠を直すつもりだ。この神の機嫌が少しでも直るのなら早い方がいい。
カバンを担いたところで、
「ねえ、ユウ」
いつの間にか寄ってきていた唯に肩をつつかれた。
「どしたよ」
「今日こそはユウの家に行ってもいい?」
「悪いけど、今日は用事があるんだ。すまんな」
「それこないだも聞いたよ。毎回用事あるわけないでしょ」
「それが残念なことに今日はあるんだよなー」
「じゃあ言ってみなよ。どうせ宇宙人を見つけるとか、くだらない噓でしょ」
「祠の修理」
「あえ?」
予想外の返答だったらしく、口を開けたまま固まってしまう唯。別に嘘は言っていない。俺がなんでもない風に答えたのが、余計に不審に思ったのかもしれない。
別に唯のことを嫌っているわけではないが、執拗に来たがるので家にあげたくないだけだ。まあその、コイツには見せられないものとかもあるし。仲がいい分、触れられたくないスペースだってある。
「じゃ、また明日な」
「え、あ、ちょっと!」
横をすり抜けて昇降口を目指す。「無視された」なんて後で唯が怒りそうなのが少々気がかりだが、この際仕方ない。ちゃんと謝罪しておくから、許してくれ。心の中で手を合わせておく。
階段を降りていると頭の後ろの方から声がしてきた。
『あの女子とは何故逢引せぬのじゃ?』
逢引て。ハンバーグじゃあるまいし。
『お主に掛けた呪いを忘れたか? 女子と結ばれよという以上はお主に少しでも気がある子が良いじゃろうに。何故あの子に手を出さんか』
どうやらこの神は唯が俺に気があると言いたいらしい。だから唯と結ばれろってか。さっきも言ったが、別に嫌ってはいないのだ。ただ、距離が近すぎるだけでうまくそういう意識ができない。それだけだ。
『お主も難儀じゃの。人の子の心は複雑じゃが、解くには簡単なものもある』
……どういう意味だよ。
『今のお主には理解できんかもしれぬ。己で答えを見つけるのがよかろう』
説明を求めたのだが、残念ながら話を終わらされてしまった。そのまま脳内で会話をしながら下校し、数分で家に着く。今日はさほど重くないカバンを放り投げると、俺は収納ボックスにしまっていたある物を探し出した。
「どこいったけな……。確かこっちにしまってたと思うんだけど」
『何を探しておるのじゃ? 忙しない奴じゃのお』
「大家さんにもらった時は使わないって思ってたのに、まさか活躍するときがくるとはな」
『なんじゃそれは』
奥の方に潜んでいたそれを手に取った俺に近づき、のぞき込んできた神に対して自信気に答えた。
「みんな大好き雑巾さんだ」
『それを今何に必要とするかわからんわい。お主の思考回路は謎じゃて』
「いちいち煽るのやめたら教えてやるよバカ神」
『お主っ! 我を今なんと呼んだか!?』
「紙さまだろ」
『イントネーションに悪意があるのじゃ! むきー!』
「素直に教えてくださいって頼んだら教えてやったのになー」
『人の子に頭を下げるなぞ、神はやらんわい。あと我に対する侮辱は天罰を与えるからの』
「おい、それはやめろください」
へんてこな威嚇するポーズをし出したので、一応頭を下げておく。ある程度寛容な部分はあるが、一線を超えると呪いをかけてくる神だと理解してきた。慣れって怖いものだな。
「まあ、これはお前に使うんだよ」
『わ、われにか?』
きょとんとする神。普通に考えて祠の修理と清掃を思い浮かべると思っていたのだが、そこまで至らないらしい。なのでちょっとだけ脅しをかけてみることにした。
「へへへ、コイツをお前に使うんだ。何をするかわからないのかあ?」
『な、なにを……』
「うへへへ、仕方ないなあ。体で教えてやるからよぉ」
『やめ、やめんか……ひん』
完全にビビって目を閉じってしまった。その目にはうっすらと涙らしいものが見える。ということでここまでにしておく。
「まあ、いいや。これ以上お前で遊んでも仕方ないし。さっさと直しに行くわ」
『……』
無言の圧が怖いので、雑巾を濡らした俺は逃げるように部屋を出た。飛び出るついでに財布をポケットに突っ込んだ。
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