エピローグ:エンジェリック・バレット/04

 日没後の街を、シルバーブルーの一九八五年式アストンマーティン・V8ヴァンテージが走り抜ける。

 その古めかしいステアリングを握るのは、当然レイラ・フェアフィールドだ。隣の助手席にはいつものように憐の姿もある。

 太陽が没し、夜闇と街明かりに支配された街の中。ヘッドライトの明かりで夜の闇を切り裂きつつ、年代物のマシーンが古めかしいサウンドを響かせながら走り抜けていく。

 そんなアストンマーティンのカーステレオから流れるのは、A‐haアーハの『The Living Daylights』。かつてこのV8ヴァンテージが劇場のスクリーンでボンドカーとして派手に暴れ回った007、十五作目の『リビング・デイライツ』の主題歌だ。

 ある意味で、この曲以上にこのアストンマーティンに相応しい曲はないだろう。レイラはカーステレオから流れるそんな曲を聴きながら、夜の街をアストンマーティンで流していた。

 そうして二人が向かった先は、港湾エリアのとある埠頭だった。

 埠頭の岸壁近くに車を停めると、レイラと憐は二人で車を降りる。

「……なんだか、懐かしい気分ね。そんなに前のことじゃないのに、ずっと昔の出来事みたい」

「思えば、僕らは随分と遠くまで来たんですね……」

 そこは、レイラ・フェアフィールドと久城憐、二人の宿命に幕が下りた場所だ。エディ・フォーサイスに裁きを下し、熾烈な戦いが終わりを告げた場所。

 その場所に――――二人は、今一度こうして足を運んでいた。

 そんな場所に立つと、レイラは懐からマイクロフィルムを……さっき彰隆から報酬として受け取ったものを取り出すと、何気なく手のひらの上に乗せてみた。

 右手の中にある、小さなマイクロフィルムをレイラは見つめる。自分たちプロジェクト・ペイルライダーに生み出された暗殺者たちの、悲しき運命を背負っていた子供たちの全てが詰まっている、秋月恭弥の遺産たるそれを…………。

「レイラは、それをどうするんですか?」

 憐は傍らに立つそんな彼女を見上げながら、そっと問いかけてみる。

 すると、レイラは「貴方はどうしたい?」と憐に訊き返してきた。

 それに対し、憐は「それはレイラの物です、レイラの好きなようにしてください」と微笑んで答えてくれた。

「…………そう」

 憐の答えに、レイラはフッと小さく笑い。マイクロフィルムを握り締め……そのまま、右手ごとそっと胸に押し当てる。

 瞼を閉じれば、レイラの脳裏に今までの思い出が走馬灯のように駆け巡った。

 頭をよぎるのは、プロジェクト・ペイルライダーの暗殺者として育てられた日々のこと。物心ついた時から訓練の毎日を送り、その中でミリアと出会い……彼女と姉妹の契りを結んだ日のこと。

 そして、恭弥と出会い、彼の弟子として過ごした幸せな日々のこと。訪れた恭弥との悲しい別れと、今日までの日々と……そして、久城憐との出逢い。

 確かに、これは紛れもなく負の遺産だ。それは間違いない。

 でも……憐の言う通り、これが無ければ彼と出会うこともなかった。自分が全てを投げうってでも守りたいと思う、愛しい彼と出会うこともなかったのだ。

(…………感謝、すべきかしら)

 きっと、そうだろう。

 レイラは久城憐と出会わせてくれたこと、それに感謝しつつ……同時に、心の中で恭弥に別れを告げる。

(ありがとう、恭弥。私はもう少し生きてみる。この子のために……憐のために、憐と生きる明日のために)

 自分を救い出してくれた師匠と心の中で別れを告げ、そして決意すると。レイラは握り締めていたマイクロフィルムを、頭上に放り投げてしまった。

 彼女の頭上、天高く宙を舞うマイクロフィルム。

 それをレイラは――――バッと懐に走らせた右手で抜いた愛銃、アークライトで撃ち抜いた。何も見ないまま、右腕だけを天高く掲げて……彼女は、引鉄を引いていた。

 火花を散らす銃口から撃ち放たれた三八スーパー弾は、宙を舞うマイクロフィルムを正確に撃ち抜き、それを粉々に砕いて塵芥ちりあくたへと変えてしまう。

 ――――轟く、無煙火薬の乾いた銃声。

 そんな銃声が夜の埠頭に木霊する中、レイラはサッとアークライトを懐に仕舞い。そして、

「さあ……行きましょう?」

 と言って、憐とともにアストンマーティンに乗り込んでいく。

 キーを捻り、エンジンを始動させてギアを入れ、走り出すシルバーブルーのアストンマーティン。古めかしいV8サウンドを響かせながら、年代物のマシーンが走り出す。二人で、この先の未来を生きていく為に。

「……レイラは、僕とずっと一緒に居てくれますよね?」

「当然よ。だって約束したじゃない。これからはずっと、私は貴方だけの守護天使で居てあげるって――――」

 真っ赤なテールライトで軌跡を描きながら、レイラ・フェアフィールドと久城憐を乗せたアストンマーティンが走り去っていく。舞い落ちたマイクロフィルムの小さな破片を踏み潰しながら、甘美なエグゾースト・ノートだけを夜空に響かせて――――――。





(『エンジェリック・バレット』完)

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エンジェリック・バレット 黒陽 光 @kokuyou_hikaru

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