踏切を渡って
ふみ
第1話 世界で二番目
これを読んだところで
誰かの導きにはなれない。
救いにも、解決にもならなければ
明るい展望のある話でもない。
彼とわたしの
愛と悲しみに満ちた、
一生分の恋をした
ただそれだけの記録である。
彼とわたしは大学生の時に出会った。
ハタチそこそこの、よくあるバイト先での出会いだった。
彼はスラッと背が高く、くっきりとした目鼻立ち。
笑顔が印象的で爽やかな人だなというのが
第一印象だった。
対してわたしはどこにでもいる女子大生。
バイト先で出会った同僚たちと
夜遊びを覚えた頃だった。
毎日遊んでいた。
夜の繁華街で、カラオケオールをした。
あてもなく歩いてナンパされた。
同僚の通う大学の先輩だという人が時々顔を出し
よく口説かれた。
大学もサボった。
楽しい大学生活ではなかったから
いい人たちとは言えない同僚と、その先輩と
適当に日々を過ごすことしかやることがなかった。
何も難しいことを考える必要がなくて
責任も、やりたいこともなく
親元を離れたわたしがすることと言えば
馬鹿みたいに入れたバイトのシフトをこなすことと
覚えたばかりの男遊びだった。
そんな怠惰に満ちた日々の中で
彼は異質の存在だった。
人当たりがよく、大学にもまじめに通い
母親と2人暮らし。
聞けば反抗期もなかったという。
趣味は麻雀くらいで、
サークルにも所属し毎日きちんと通っているようだった。
わたしは麻雀には興味がなかったから
彼がはにかみながら話す麻雀の話を
あまり覚えていない。
そんな彼とは
シフトが被ればいろんな話をした。
大学のこと、趣味のこと、好きなお菓子、
記憶の遥か彼方へと葬り去られた
くだらないことをたくさん。
彼はわたしに惹かれていった。
ある日突然、
「俺、あなたのことが世界で二番目に好き」
と言ってきた。
よくわからなかった。
バイト中に言うことでもないし
二番目ってなんだろう。
この人はわたしを好き?いや二番目だから
好きじゃない?
そうか、わたしに彼氏がいるからか
と気付くまでに
そう時間は掛からなかった。
全く好きでもない彼氏のことを気にして
二番目と言ったのか。
その日から数日後だったと思う。
わたしはいつもの同僚と、彼を
家に招いた。
缶チューハイを開け、彼を酔わせた。
潰れた同僚の隣で
自分の体に彼の手を這わせた。
初めてキスをして
関係を持とうとしたところで
彼が潰れてしまった。
彼氏とは別れなかった。
好きじゃなかったからいつ別れてもよかったけれど
夜の繁華街でナンパしてくる相手と
同僚の先輩だという男たちと
わたしのことを世界で二番目に好きだと言ってきた彼。
区別なんてなかった。
彼は特別だなんて思わない。
自分に気があるなら寝ればいい。
酒に飲まされて寝なかったのなら
別にそれはそれとしてどうでもよかった。
次の日も、そのまた次の日も
普通の顔をしてバイトへ出向いた。
「ねえ、彼女いるの?」
何気ないわたしの問いに一瞬止まった後
「別れたんだよね、最近なんだけど」
と苦笑いしながら言われた。
わたしのことを世界で二番目に好きになる前に別れたのか
そのあと別れたのかは
聞いた気もするし聞いていない気もする。
「彼女のこと、好きだった?」
これも何気ない問いだった。
次に何と言われて
何と返そうかなんて
考えることもないくらい、何気ない。
「…俺、わかんないんだよね。
人を好きになるってことが」
…なんだこれ。
…なんだそれ。
今更流行らない恋愛ドラマのセリフそのまんまじゃん。
いやいや、いいよ。
失恋して悲しんでるなら話は聞くし
慰めてほしいなら背中でもぽんぽんしてあげるよ。
ただその、喉の奥が痒くなるような
背中に悪寒が走るような
歯の浮くようなとはまさにこのこと、
そんなセリフだけはやめてくれよ。
「どういうこと?」
これ以上くだらないセリフは聞きたくなかったけれど
自分から話題を振った手前
無感情で聞いた。
「今まで誰とも付き合ったことがなかった。
人を好きになる、
付き合うってどういうことかわからないって
サークルの人に相談したんだ。
そしたら誰でもいいから付き合ってみたら
人を好きになるってこういうことって
付き合うってことがわかるんじゃないかって
そう言われたんだよね。
だから付き合った。
でも結局わからなかった。
全然好きじゃないなってことはわかったから
8ヶ月で別れたんだ。」
好きじゃない相手に8ヶ月も費やしたの…
当時のわたしは呆れた。
でもそれは言わなかった。
言えなかった。
好きでもない彼氏とダラダラ付き合い続けてるのは自分だし、
好きでもない男たちと関係を持っていたのも
紛れもなく自分だった。
「でも、わたしのこと二番目に好きなんだ」
初めて自分から彼の言ったセリフに触れた。
「うん、いや、うん。好き。」
どちらともつかない曖昧な返事が
2人の頭上に浮かんで着地点を見失った。
わたしたちはよく遊ぶようになった。
昼に出かける健全な遊びだ。
わたしから手を繋いだこともあった。
彼は必ず手を握り返してきた。
体の関係に至るまで
そう長くはかからなかった。
夜遅くなった帰り道、
彼を家に招き入れた。
彼はわたしを、いや、わたしが彼を抱いた。
「俺、初めてなんだよね」
バツが悪そうに言う彼に
「まあ、でしょうね」
と返しながらサッと服を脱がせ
教科書にセックスの手順が載るならこれ、という
なんの面白みもない営みをした。
彼はわたしを抱きしめながら眠りについた。
人を好きだということがわからない彼が
世界で二番目に好きだという女と関係を持った。
わたしは彼に好きとは言っていない。
どんな気持ちでいるのかわからなかったけれど
確かめるのは億劫だったのでやめた。
「あなたのことが本当に好き。
一緒にいたい。
彼氏と別れてくれない?
俺、待ってるから」
てきぱきと、まるで業務連絡であるかのように
淡々とその言葉を言われたのは
何度か夜の関係が続いてからだった。
「うん、わかった」
確かそう言ったと思う。
じゃなきゃそのあとすぐ別れていないし
別れたその日に付き合ってもいない。
そして、どうやら「世界で二番目」が
一番好き、と言えるほど
わたしにのめり込んでいるらしかった。
わたしは彼氏に別れを告げた。
ほとんど逃げたと言ってもいいくらい
強く突き放して
じゃあねと言って終わらせた。
かっこよくもタイプでもない、
ただ優しいだけが取り柄の3つ歳上の人だった。
価値観も合わなければ体の相性も多分よくなくて
わたしより世間体の方が大事で
話がつまらない人。
「好きな人でもできたの?」
別れ際、感情のわからない声で聞いてきた人を
「今から付き合う人がいる」
と、偽りのない真実で遮断した。
改札に飲まれるわたしの背中に
いつまでも視線が突き刺さっていた。
彼氏と別れたわたしは
「今、別れた」
とLINEをした。
「頑張ったね。迎えに行くよ。
駅でいい?待ってる」
すぐに既読がついてそう返ってきたLINEを見て
何も頑張ってないんだけどな、と思った。
駅に着くと、彼がいた。
小さい駅の中で、一際目立つ高身長と
整った顔がわたしを待っていた。
その足でわたしの家に向かい
開口一番彼はこう言った。
「幸せにする。
悲しい思いなんてさせない。
だから俺と付き合ってください」
その日からわたしたちは始まった。
だだっ広い世界の中でたった2人。
誰にも気付かれないような2人。
他人からしたらどこにでも転がっているような2人。
そんな2人が2人だけの世界で
世界のほんの隅っこで
躓き、転び、泣き、死にそうに辛い日々と
溶けそうなほどに甘く、幸せに目が眩み
他の何も要らないと本気で思えた日々が
怒涛の如く押し寄せ、引き返し
一生分の愛と絶望を噛み締めることになろうとは
わたしも彼も想像すらしていなかった。
踏切を渡って ふみ @fumio_
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