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あの日、放課後にクラスメート三人からトイレに呼び出されたのが、はじまりだった。
彼らはいわゆる主犯グループと呼べる存在で、その三人は同級生の中でも特に体格が良かった。この時の僕たちは小学校五年生だったが、彼らは六年の先輩たちからも怖がられていた印象がある。洗面所の前に僕は立たされ、排水溝の部分にノートを破って丸めた紙が無理やり詰められているせいで、溢れ出しそうなほどの水が洗面器に溜まっていた。内のふたりに後ろから身体を固定された僕は、残ったひとりに後頭部を掴まれると張った水の中に顔を押し付けられ、どれだけもがいても、僕を押すその手は離れてくれず、意識は失う寸前だった、と思う、もう抵抗もできないような状態になった頃にようやく空気が鼻と口に入り出し、ふらふらになった僕を見ながら、三人が笑っていた。
「殺したら、犯罪になっちまうからな」
と言ったのは、僕の頭を押し付けていた三人組のリーダー格である岩肩剛だった。殺さなくても、この行為は犯罪以外の何ものでもない。それでも残念ながら、喧嘩、嫌がらせ、いじめ……と法の手の届かない形に名前が変えられていき、注意や警告に留められてしまうのが、学校という空間の怖いところだ。
僕はこの三人を恨んでいて、特に岩肩に関しては自らの手で殺してやらなければ気が済まないほどに憎んでいた。
他にも僕への攻撃に加担している生徒はいたが、他の生徒には、実はそれほど恨みや憎しみを抱いていなくて、それは時間を経たいまだからそう思う、というわけではなくて、当時からその三人以外への怒りは薄かった。
これはただの持論でしかなく別に周りから理解してもらおうとも思っていないが、最初から、いじめる者、いじめられる者、という役割を持って生まれてくる場合なんてほとんどなくて、その環境や関係に応じて、その場での役割が変化していくものだ、と僕は考えている。誰かにいじめられていた者が、どこかで別の誰かをいじめている、なんて、そんなのめずらしくもない話だ。
いや……これもはっきり言ってしまおう。僕自身もかつて別のいじめに加担していたことがある。
復讐心を募らせれば募らせるほど、僕は怖くなった。
同じぐらいの憎しみが僕にも降りかかってくるのではないか、と。その不安と恐怖が噴き上がりそうになる怒りをなんとか鎮めてくれている気さえした。
でも岩肩たち三人に関してだけは話が別だ。限度を超えている。
死んでほしい、なんていう感情では足りない。感情の奥底で強まっていく火が、ばちばちと音を立てて爆ぜながら、外へ、外へ、と叫んでいた。理性という水がガソリンにでも変わった時、僕は彼らを実際に殺してしまうかもしれない……、という、その想像は恐怖であり、仄暗い愉しみでもあった。
僕は僕以外の人間の内心なんて知らない。だけどこれは本当に僕だけの特殊な考えなのだろうか。
先生、と出会ったのは、そんな水責めの一件から二週間ほど経った頃だった。
そんな状況の中での出会いだったからこそ、
「憎しみは心の奥底に秘めておきなさい」
という言葉は鮮烈な印象として僕の記憶に強く残った。
すこしでも時期がずれていたとしたら、ここまで感情を揺さぶられることはなかったはずだ。僕の頬に手を当てながらそう呟き、僕をじっと見つめる先生はあの時、何を考えていたのだろうか。
僕たちの出会いは特別だった。すくなくとも僕はそう思っている。
そして先生にも初対面の時から、他とは違う何らかの想いを抱いていて欲しい、と考えてしまうのは自然な感情のはずだ。ただ、僕たちが当時のことを話す機会はいまのところはまだ訪れていない。
先生の言葉に反して、僕の第一声はごくごくありふれたものだった。
「あの……、あなたは?」
「私? あなたに名前を教えるのはまだ早いかな。とりあえず、私のことを多くのひとは、先生、と呼ぶ。だからあなたも、先生、と呼びなさい」
先生の本名を知ったいまも、僕は彼女のことを先生と呼んでいる。名前を呼ぶ、という行為が、彼女の絶対に踏み込んではいけない領域に足を入れることになる気がして、その覚悟がまだ付かないからだ。
いまでも考えてしまうことがある。もしも僕が先生と出会っていなかったら、あの日、誰も死ななかったのではないか、と。いや、先生はあの事件に直接的な関係があったわけではないのだが……。
先生はそうなる未来をすでに知っていたうえで、敢えて僕に、
「憎しみは心の奥底に秘めておきなさい」
と言ったのかもしれない、なんて、そんな想像が頭に付いて離れない。
考え過ぎだとも思うが、それでも、いやだからこそ先生のあの時の本心を知りたくなってしまう。まぁもしかしたら、考え過ぎだよ、私の能力はそこまで人間離れしてない、とそんな言葉を先生の口から聞きたいだけなのかもしれない。
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