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行動範囲の限られている多くの小学生にとって、家と学校だけが世界である、とまでは言わないが、知らないことを知ることさえもできない非常に狭い世間での生活を強いられている場合が多いのは間違いないだろう。すくなくとも僕はそうだったし、僕がその世界を一緒に過ごしたクラスメートたちも僕にはそう見えた。
だから学校というのは、良くも悪くも特別で、それがつらかったら最悪だ。
その環境がつらかったら逃げればいいんだよ。簡単な話だ。
そう言っていたのは誰だっただろうか。先生だった気もするし、友人の小説家だったかもしれないし、知り合いでさえもなく、テレビ番組か何かで見ただけのような気もする。
学校に嫌気が差したら逃げればいい。
言葉だけが記憶の中に残っているそれが間違っているとは思わないが、正しいとも感じない。小さな世界から大きな世界へと誘ってくれる誰かがいなければ、そもそも逃げることができないからだ。もしも独力で世界から逃れるすべがあるとすれば、それは、死、くらいだろうか。
その頃の僕は学校に嫌気が差していて、つまり僕は世界を憎んでいた。
僕の通っていた栗殻小学校は全校生徒を合わせても100人足らずで規模が小さく、村に小学校はひとつしかなかった。容易に場所を変えられる環境ではなかった。そんな小さな小学校では、当然クラス替えが行われることもなく、見たくない顔を視界に入れながら毎日を過ごしていかなければならないのだ。
「どうしたの、その顔?」
「転んだんだ」
「転んで、そんな顔になる?」
「なったんだから、仕方ないだろ」
「ふぅん」
母親と何度そんな会話になっただろうか。もちろん母は僕の言動を嘘だ、と気付いていたはずだが、最後まで素っ気ない態度を取り続けた。これは決して母が僕に無関心だったわけではなく、そう反応するしかなかったのではないか、と思っている。もちろん母の本心は分からず、いまとなっては聞くこともできないほど疎遠になってしまったので、推測するしかできないのだが……。母のほうも自分の置かれた状況に抗うのに必死で、僕の問題を背負い込める精神ではなかったはずだし、自分の抱える問題が僕の問題を引き起こしているのでは、という不安や恐怖もあったかもしれない。
敵意。蔑視。嫉妬。
子どもの世界で起きる問題のすべては、大人の世界でも起こることだ。苦しんでいるおとなに苦しい、と助けを求めることはできない、と子どもながらに漠然と僕はそんな想いを抱いていたように思う。
年齢の割に冷めた思考だとは思うが、諦めに近い気持ちもあったのかもしれない。いまになって思い返してみると、それが一番しっくりとくる。
閉鎖的な場所では、多数の憎しみや怒りがひとつの対象に集まることが、ときに娯楽になったりする場合がある。
いまとなっては、まるで他人事のように語ってしまえるが、はっきりと言葉にすれば、僕はいじめられていた。
罵声を浴びせられたこともあれば、小突かれたり蹴られたりも、もちろんあった。それもじゅうぶんに痛いし苦しい。でも慣れは、そのうちにもっともっと、と刺激を欲しがりだして、ズボンを脱がされて隠されたこともあったし箒でチャンバラと称してこめかみのあたりを強く撲られたこともある。
そして何よりも強烈な印象に残っているのが、あの水責めの一件だ。語らなくて済むなら語りたくないが、先生を、そして僕を語るのなら、やはり避けては通れない。
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