いつか想いの消える、その日まで
束白心吏
いつか想いの消える、その日まで
理由はわかっている。大輔君が私のセカイの全てだったからだ。全てを彼から貰っていた。喜びも楽しみも、悲しみも怒りも、恋も愛も何もかも。彼のいない世界で私は空っぽになった。元通り、と言ってもいいかもしれない。もしかしたらそれよりも酷いかもしれないけど。
喜怒哀楽の情も失せ、生きている気力は微塵もわいてこない。こんな思考をすることすら億劫に感じる。
――このまま線路に入って、轢かれてしまおうか。
『駄目だよ』
「……え?」
『振り向くのもダーメ』
ネガティブな思考をかき乱すように、懐かしさを覚える声が聞こえた。かと思ったら、私は無理矢理に正面を向かされて、何者かに押されるように線路を渡りきっていた。
一体なんなのだろうか。誰かの悪戯? それとも私の幻覚?
そんな私の思考とお構いなしに、声は私に言う。
『さ、家まで帰ろう。それまでは振り向いちゃ駄目だよ?』
振り向きたい衝動をどうにかこらえて、声に従って家に入るまで振り向かないでいると、遂に「振り向いていいよ」と声がかかった。
私はすぐに振り返る。そこには――
「あ……あぁ……」
『やあ
そこには、死んでしまったはずの恋人、大輔君の姿があった。
認識した瞬間、視界が滲んできた。こらえていた涙が溢れてきたのだろう。
そんな私の姿を見て、彼はいつものように優しい微笑みを浮かべた。
「大輔君……だいすけくん!」
『はいはい、俺だよ大輔だよ~。だから落ち着いて』
落ち着いてなんていられない。だって、死んじゃったと思った大輔君がまた私の前に現れたんだから。
私は抱きしめようと大輔君に近づいた。だけど――
「え、あれ?」
なんど抱きしめようとしても、大輔君の体は私の手を透けてしまう。
「大輔君?」
『天那落ち着いて』
「落ち着けないよぅ! 大輔君! 私悪い所全部治すから触れさせてよぉ!」
『――落ち着いたかな』
「……うん」
一通り泣いたお陰か、いくらか冷静さを取り戻せたような気がする。
私は自分で用意したお水を飲んで、大輔君に視線を向ける。
『じゃあ説明するね』
そう言って、大輔君は現れた経緯を説明してくれた。
まず、幽霊として目覚めたのは死んですぐだったこと。
死んでこれまで、私以外に会話できる人がいなかったこと。
そして――
「私を大輔君を留めてる?」
『俺が取り憑いたって言うのが適切かな。まあともかく俺はさっきから天那から離れられそうにない。心なしかさっきより意識も明瞭だし』
理由はわかんないけどさ。と、大輔君はどこか嬉しそうにそう付け足して笑う。
どうやら、さっき私を見るまではどこか意識も不明瞭で、私を助けたのも衝動的な行動だったらしい。
「それって、私に生きていてほしい、ってこと?」
『そうだね』
「嫌だよ……大輔君のいない世界で、私は生きられない」
『大丈夫。天那は強い子だよ』
「そんなことない!」
私は思わず叫んだ。
「私は……強くなんか、ないよ……ずっと……大輔君の背中に隠れて……」
『……』
「ねえ、帰ってきてよ大輔君。私、大輔君がいないと……何も出来ない……っ」
嗚咽が漏れる。大粒の涙が頬を伝い、カーペットを濡らす。
大輔君はそっと、私の体に手を回した。
『そんなことないよ。天那は強い子……クラスの子達と堂々と張り合っていたじゃないか』
「それは、大輔君が取られそうだったから……」
『人前に出るのが苦手だけど、俺と一緒に演劇やったでしょ』
「だって、大輔君の隣は私の居場所だもん……」
『苦手なことだって、頑張って克服しようとしていたよね』
「大輔君に見放されたくなかったから」
『俺はそんなことしないよ』
少し笑った風に大輔君は言う。
わかってる。わかっているけど、私は心配で心配で仕方なかったのだ。
だって、大輔君は勉強も出来るし、運動神経もいい悪いで言えばいい。あんまり流行には興味がないようだけど、皆の話題についていけるようにと努力もしている素的な人。
そんな人と引っ込み思案な私とじゃあ、どう考えても釣り合わないのは明白。
だからどうにかして隣にいたかった、いられる自分でありたかった。だから努力してたし努力出来た。
そんな私の思考を否定するように、大輔君は言葉を紡いだ。
『それに、俺はもう死んでるんだよ。こうして天那と会話しているけど、触れることはできないし、きっと天那以外の人に見える可能性は低い』
「でも、事故だし……」
『事故でもなんでもだよ。死は死。万人に唯一平等に訪れる不可逆的な変化。生前の俺だって言っていたよ』
確かに言っていた。だけど大輔君は時折そういう難しいことを言って、私がわからないと「まだ先の話だよ」と笑って慰めてくれたことが何度もある。
『まあ、寿命で死ねばまだ半世紀以上先の話だからね。こんな早くに死ぬとは思ってもみなかったよ』
その言葉が、私に重くのしかかった。
嗚呼、そうだ。私はこれから、何十年と、大輔君がいない世界を生きなければならないのだ。
「嫌だ……嫌だよ……まだいなくなってほしくないよぉ」
『……うん』
「まだ、色々やりたかったこともあるのに……」
『うん』
「大輔君がいない世界なんて……うわあぁぁぁっ」
『……うん。俺もおんなじ意見だよ』
泣きじゃくる私に対し、ごめんね。と謝って、大輔君は悲しそうに目を伏せた。
『――突然こんなことになって、混乱したでしょ。今日はもう寝よっか』
「……夢の世界でも、大輔君に会える?」
『きっと会えるよ』
「寝ている間に、いなくなったりしない?」
『しないよ。大丈夫』
「夢に会いに来てくれる?」
『どうかな』
でもやってみるよ。そう言って微笑みを浮かべ、大輔君は私の頭を撫でるフリをする。そこに感触はないけれど、心なしか温かさを感じ、私は幸せな気分で夢の世界へと旅立っていった。
■■■■
道敷大輔視点
――見ていられない。
思えばそれくらい葬式に来た天那は酷い有様だった。
髪はぼさぼさで、目元は厚い隈と腫れで赤黒くなっていて、生気がまるで感じられない。下手したら俺よりも死人みたいだった。
とても心配になって帰った天那を追えば、彼女はこのまま自殺するんじゃないかと思うくらいに線路上を凝視していた。
『――駄目だよ』
気づけば俺は言葉をかけていた。伝わらないと家族に話しかけていた時にわかっていた筈なのに。
「……え?」
しかし伝わった。不思議と驚きはなかった。そして同時に、俺は日本神話の一節、黄泉の国の話を思い出して行動していた。
『振り向くのもダーメ』
彼女の顔を正面に向かせ、線路を渡らせる。
触れられることに驚くこともなかった。そんなことを考えるよりも早く、これじゃあ駄目だと急かすような衝動が俺を突き動かし、彼女を家まで帰らせた。天那が家に入った瞬間、やっと脅迫めいた衝動は治まった。
『大輔君……だいすけくん!』
振り向いて名前を呼ばれ、全身を使って喜びを表現されて、俺の中で何かが変わった。それは説明するのは容易いけれど、何故そうなったかは不明な現象。そっから、俺は天那に触れなくなった。
その後、また少し大変だったけど、説明もしたし、彼女の様子も先程よりは明るくなった。寝姿も……まるで俺を求めるように、俺の手に手を重ねていた。
『夢に会いに来て……か』
夢枕、というものがある。死者が生者の夢に出て来ること。天那が言いたかったのはこれだろう。
出来るか出来ないかで言えば……これは先日、出来ることを両親で確認してる。
『ホント、昔の人って凄いよなぁ』
俺はそんなことを考えながら、天那の枕元に立った。
幽霊になって三日目。月曜日。
天那は起きて早々、とても上機嫌に挨拶をしてきた。
「おはよう大輔君」
『おはよう。天那』
「なんか、おはようって言うだけなのに、新鮮」
『だね』
やっぱり天那には笑顔が似合う。お日様のように明るい笑顔からは元気が貰えるような気がするし、もう一昨日までの暗い天那の面影は一切ない。
こんな日がずっと続けばいいのにと思う反面、いつか天那に素的な人が現れるまではずっと見守っていたいと思う自分がいることに気づいた。
……いや、これもたぶん、ずっと思ってたことなのだろう。そして、これからずっと思っていくことだろう。
――いつか想いの消える、その日まで。
いつか想いの消える、その日まで 束白心吏 @ShiYu050766
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