キャンプ②

 自宅よりも少し熱めのお湯に肩までつかりながら、私はほうっと息をついた。広い湯船で存分に足を伸ばすのは気持ちが良い。隣にいる綾葉ちゃんに「大きいお風呂だね」と言うと、控えめに微笑んで頷いてくれる。翔ちゃんの妹である綾葉ちゃんのことは生まれたときから知っていることもあり、私によく懐いてくれているのだ。


「わたし、思ったんやけど……高梨くんって、璃子ちゃんのこと好きなんちゃうかなあ」


 浴槽のふちに頬杖をついたまま、いつかちゃんがポツリと呟いた。私は存分に頰を緩めながら「うそっ、そんな風に見える?」と尋ねる。我ながら気持ち悪いと思うのだけれど、にやにやが止まらない。


「どのへんがそう見えたか具体的に教えて!」


 勢いよく食いついた私に、いつかちゃんは苦笑しつつも答えてくれる。


「まず、高梨くん璃子ちゃんみたいな女の子のこと結構タイプやと思う」

「うーん、それはどうやろ……高梨くん、美人好きやん。面食いっていう噂もあるし……」

「あと、高梨くん女子と全然喋れんのに、璃子ちゃんとはふつうに喋ってる。しかも、かなり楽しそう」

「でも、いつかちゃんとも喋ってるしなあ……」

「もう! 肯定してほしいんか否定してほしいんかどっちなん?」

「客観的かつ冷静な目で肯定してほしい……」


 面倒臭い私の言葉に、いつかちゃんはちょっと呆れたように肩を竦めた。ちゃぽん、とお湯が揺れて軽く波立つ。


「客観的かどうかはわからんけど、結構脈アリに見えたよ。璃子ちゃんの水着ガン見やったもん」

「えへへ、いやあ、そうかなあ……」


 確かに、想像以上に見られていた。今日のために選んだギンガムチェックのオフショルダー水着は、一週間前に購入したものだ。本当はもう少し露出が控えめのワンピースにしようと思ったのだけれど、一緒にいた香苗に「もっと攻めていけ!」と言われたので勇気を出した。高梨くんも「いいと思う」と言ってくれたので、頑張ってよかったな、と思う。


「高梨くん、ふだん女子の前で硬派ぶってるくせに結構ムッツリやからなー。璃子ちゃん、幻滅せんかった?」

「え、まったく!」


 言われてみれば普段の高梨くんとはちょっとギャップがあったかもしれないけれど、夢の中の彼はもっとエッチだから全然気にならなかった。それに、高梨くんにならエッチな目で見られても嫌な気持ちにならない。私は彼のことが大好きだからだ。


「……というか、ムッツリなんは私の方かも」

「なんで?」

「今日泳ぎ教えてもらってるとき……溺れるふりして抱きついちゃった」


 夢と同じく細身でがっしりとした身体を思い出して、私はキャッと頰を押さえる。そんな私を見たいつかちゃんは「璃子ちゃんって、見た目に反して結構アレやな」と溜息混じりに言った。


「璃子ちゃんのそういうとこかわいいけど、襲われんように気ーつけや。マネージャーなんかやってるからわかるけど、高校生男子なんて大概ケダモノやもん。まあ、たまに羽柴くんみたいなおじいちゃんもおるけど」

「おじいちゃん」


 私は思わず吹き出した。たしかに、今日の翔ちゃんは孫を遊びに連れてきたおじいちゃんのようだった。彼が女の子の水着にギラギラしているところは、あんまり想像できない。


「結構熱いな。綾葉ちゃんがのぼせる前に出よか」


 いつかちゃんがそう言って立ち上がった。ざばりと音を立てて、引き締まった身体から水滴が落ちる。いつかちゃんは中学の頃バスケ部だったということもあり、全身にほどよく筋肉のついた綺麗な身体をしている。おなかまわりがぷよぷよしている私とは大違いだ。

 脱衣所に移動すると、バスタオルで身体を拭いて下着を身につける。綾葉ちゃんももう七歳なので、一人で着替えて頭を乾かすこともできるのだ。大きくなったなあ、と私はなんだか感慨深くなってしまう。


「あ。璃子ちゃん、そんなとこにアザあるんや」


 ふと、いつかちゃんが私の胸元を指差して言った。私の胸には、生まれつき歪なハート型のアザがある。水着は胸元を隠すようなものを選んだけれど、下着姿になるとさすがに見えてしまう。


「せやねん……ちょっとコンプレックスで」

「なんで? そんなん気にすることないやん。てか、璃子ちゃんかわいい下着やな。わたしなんてカップつきキャミやで」


 私はふだん寝るときに下着をつけないけれど、今日はそういうわけにもいかない。水着を買ったときに、ちゃっかりとかわいい下着も新調した。淡い水色で、胸元にレースとリボンがついたやつ。


「高梨くんとお泊まりやから……」


 私が答えると、いつかちゃんは真っ赤になると目を剥いて「み、見せるつもりなん!?」と叫んだ。私は慌てて「違う、心意気の問題!」と否定する。


「び、びっくりした……璃子ちゃん、見せかねへんから」

「さ、さすがに私もこんなとこでは無理やわ……」

「こんなとこじゃなかったらええの……?」


 いつかちゃんは怪訝そうにしていたけれど、それ以上は突っ込んでこなかった。綾葉ちゃんに聞かせていいような話でもない。私はパジャマ代わりのTシャツとショートパンツに着替えると、手早く髪を乾かして、いそいそと彼の待つホールへと戻っていく。

 既にお風呂に入ったらしい高梨くんは黒いTシャツと短パン姿で、翔ちゃんと裕樹くんと三人でウノをしていた。いつかちゃんが「ただいまー」と言うと、チラリと視線をこちらに向けて「おかえり」と答える。普段夢で会う彼とほとんど変わらない姿に、私はなんだかどきどきしてしまった。このあいだ彼にさんざん身体を弄りまわされたことまで思い出して、私はカッと頰が熱くなる。

 それからしばらくみんなでウノをしていたのだけれど、昼間存分に遊んだ子どもたちは疲れているのか、次第に頭がかくんかくんと揺れてきた。


「おまえら、もう眠いんやろ」


 翔ちゃんが言うと、裕樹くんと綾葉ちゃんは揃って目を擦りながら「うん……」と頷く。翔ちゃんは二人を抱えて布団に寝かせた。


「俺も眠いし寝る。十時には消灯らしいし」


 かなり早いけれど、小さい子も多いから仕方ないだろう。私も昼間はしゃいだせいか、ちょっと眠くなってきた。いつかちゃんの隣の布団に入ると、ほどなくしてホールの電気が消える。

 距離にして約三メートルくらい。少し離れたところで、高梨くんが寝ている。そう考えると胸の奥がむずむずして、落ち着かない気持ちになる。高梨くんの寝顔見たいな、明日早起きしてこっそり見ちゃおうかな……。そんなことを考えながら目を閉じていると、次第にゆらゆらと睡魔が襲ってきた。




 キスをされている。ちゅっと啄むようなキスから、次第に舌を絡めとられる深いキスに。もう慣れてしまった少しかさついた唇の感触に、私はゆっくりと目を開けた。横たわる私を見下ろす鋭い眼光が間近にあって、息が止まりそうになる。


「……びっくりした」

「どしたん?」

「た、高梨くんに、キスされてるのかと……」


 本物が近くで寝ているものだから、なんだか妙な勘違いをしてしまった。

 キョロキョロと周囲を確認してみると、いつもと同じ白い部屋のベッドの上にいる。私を組み伏せてキスをしているのは、やっぱりハルくんだった。先ほど身につけていたのと同じ、黒のTシャツに短パン姿だ。こんなときでも私はこの夢を見てしまうのか。


「……おれ、高梨くんやけど?」

「ハルくんは高梨くんやけど高梨くんちゃうもん……」


 夢の中のハルくんは、あくまでも私の妄想上の存在だ。彼は「よーわからん」と首を捻って、再び唇を落としてくる。頰や瞼にキスをした後、耳朶を軽く食まれて、私は慌てて彼の胸を軽く押す。


「あっ……ハ、ハルくん」

「ん?」

「やめて……」


 いつもより積極的な彼は、不満そうに「なんで」と唇を尖らせる。ぐいぐいと胸を押し続けるけれど、びくともしない。


「高梨くんが近くで寝てるし……なんか、いちゃいちゃすんの恥ずかしい」

「は? なんでおれがおれに気ィ遣わなあかんの? なんかおかしくない?」


 そう言われても、どうにも居た堪れない。すぐそばで本人が寝ているのに、夢の中であんなこともこんなこともさせてしまうのは、どうにも良心が痛む。それでもハルくんは止まらずに、私のTシャツの裾から手を入れてきた。


「ひゃっ、ハルくん!」

「……おれ、今日一日めっちゃ我慢してて」

「え?」

「璃子の水着めっちゃエロくてかわいいし、あんな状態で抱きつかれたらやばいし、風呂上りもなんかいい匂いするし……」


 ハルくんの手が私の腰からおなかのあたりを撫でまわす。むにむにと脇腹を掴まれて、私はぽかぽかと彼の背中を叩いた。


「もう! やめてよ!」

「めっちゃやらかい……」


 ちょっと理性が飛んでいるらしいハルくんは、私のTシャツをぺろんと捲り上げた。買ったばかりの水色のブラジャーが露わになって、私は「ぎゃあ!」と叫び声をあげる。彼に見られても構わないとは思っていたけれど、まさか夢の中で見られるとは思わなかった。やはり準備はしておくものだ、と妙に冷静に考える。


「……なんかかわいいのつけてる」

「た、高梨くんとお泊まりやから……」

「おれのため?」

「水着も、高梨くんに見て欲しくて買った……」


 ぼそぼそと言った私に、高梨くんは嬉しそうにくしゃりと破顔する。私はこの笑顔が、世界で一番好き。


「……璃子、こんなとこにアザあるんや」


 ハルくんがふと呟くと、私の胸を指さした。つつ、と指先がアザをなぞる動きに身体が反応してしまって、「あ」と甘い声を漏らしてしまう。


「そ、そやねん……生まれつき」


 あんまり執拗になぞられるので、なんだか焦らされているような気持ちになってきた。非難をこめて「ハルくん」と睨みつけると、彼はちょっと笑って「ごめん」と謝ってくれた。


「なんか、エロくていいな」


 ハルくんはやけに嬉しそうだけど、こんなアザの何がいいのかよくわからない。私が首を傾げていると、今度は肩と二の腕の境界を指でなぞられる。


「あれ、ちょっと日焼けした?」


 滑る指のくすぐったさに身を捩る。日焼け止めは塗っていたけれど、多少は焼けてしまったかもしれない。ハルくんの肌も心なしかこんがりしているように見える。


「は、ハルくんも日焼けしたよね」

「あ、やっぱり? そういや風呂入るときめっちゃ痛かったわ」

「日焼け止め、ちゃんと塗った方がいいんちゃうかなあ」

「ほんなら明日璃子が塗って」


 悪戯っぽく唇の端を上げたハルくんの提案に、それは名案だなと考える。合法的にハルくんの素肌に触れるなんて最高だ。ちょっと恥ずかしいけど明日塗ってあげようかな、と私は思わずにやけてしまった。

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