第138話 bound 境界 生きる意味、生きてきた価値 3
エルセーはそんなウレイアを悲しそうに見つめると同時に、抱えられたトリィアのことをじっと見つめて何かを考えていた。
(まさか…こんなことになるなんて。トリィア、あなたを失ったらこの子はもう…耐えられないかもしれない……)
そしてしばらく走った辺りで、エルセーが口を開いた。
「レイっ、街を出てからずっと、この馬車をつけて…いえ、付いてくる者がいるけど、あなた、心当たりがあるんじゃないの?3人の同族よ」
ウレイア達を追えるなど、ただの人間ではあり得ない
「さんにん……?ああ、おそらく…テーミスの元から逃がした…ものたちです。そう……ちょうどいい…止めてください」
ウレイアのうつろなことばにエルセーは眉をひそめる。
「何が丁度良いものですかっ、その3人で『うさ』を晴らしたところで何も良くなる筈など無いでしょう?自分をおとしめるのはおやめなさいっ!」
「おとしめる?……私は苦しむトリィアを救えなかった……所詮、わたしは『悪魔』で…」
バシッ!…っと、自分を罵る言葉を吐こうとした瞬間、ウレイアの頬にエルセーの手が叩きつけられた。
「なんて情けない……!しかもこんな平手打ちにすら反応できないなんて…これ以上トリィアの前で不様を晒すなら、この私が引導を渡してあげますっ。あなたはここでずっといじけていなさい!リードっ、止めなさいっ」
エルセーは馬車を降りるとその3人に向かって歩いて行った。
ウレイアは叩かれてうなだれた姿勢のまま動けなかった。そしてまぶたを強く閉じると、口をつぐんで唇を噛み締めた。
(ッ…あたたかすぎますっ………エルセー…)
付いてきた3人はやはりウレイアが逃がした同族達だった。エルセーはその3人の前に悠然と立ちはだかる。
「なんのつもりなのっ?あなた達…っ、テーミスの敵討ちをしたいの?なら…私が相手をしてあげるけど…?」
「「「!?」」」
ウレイアを追って来たらまたとんでもない大物が出てきた。
エルセーの威圧感に戸惑いながら互いの目を見合わせるとすぐに馬から飛び降りる。そしてウレイアが脚を斬りつけた女、まずエルセーに声をかけたのは彼女だった。
「あ、あの…馬車に乗っているもうひとりの…仇を討ってくれた人に会いたいのですが…?」
大方そんなことだろうと、エルセーはため息を吐いた。
「はあ…何故会いたいの?テーミスにしばらく飼われていたせいで飼い犬根性が染みついてしまったのかしら?」
「…っ!」
たしかに、期待などしていなかったと言うと嘘になる。特に無理に操られていなかった2人は自分の意思でテーミスの軍門に下った。
そしてテーミスの庇護のもとで過ごしていた時間が、不満はあっても不安の無い、ぬるま湯に浸かった状態だったのだから。
しかしその中で、少なくとも彼女は違った。
拒絶された上でテーミスが無理に取り込んだということは、それだけのものを彼女が持っていたからだろう。少なくともウレイア達の乗っていた馬車を追うだけの力を持っている。
「私はただ、テーミスから解放してくれたお礼と、その…少しでも話ができればなって……私の仇を取ってくれるって言ってくれたのに、私は何もできなくて、たったひとりで勝てるわけないって疑ってもいて…と、とにかく、こんなに誰かのことを凄いって…かっこいいって思ったのは初めてだったから……っ!」
(あらまあ、またあなたのファンが増えたようよ?あなたも少しは有名になってきたんじゃなくて?)
エルセーはかつてマザー・ゲーと呼ばれ、正体不明の大物として同族の間で囁かれ羨望を受ける存在だった。
ゲーは混沌の中から生まれた地母神で多くの恩寵をもたらした原初の女神。
その女神、ゲーと呼ばれたエルセーが、出来の悪い弟子の噂がお伽話のように広まるであろうことを喜んでくれていた。
しかし、エルセーは苦笑して首を振ると
「悪いことは言わないから、大人しくこのまま去りなさい。本人には、折を見て伝えてあげるから」
女は残念そうにうつむいた。
「私は…っ、デブラ・ノールズって言います。できれば…覚えておいてほしい、あとは『ありがとう』って伝えてください」
「分かった……そっちのふたりは?」
「え?」
「い、いえ…」
「そう、それじゃあ頑張りなさい。それから言っておくけど、この後着いてきたら殺すから、いいわね?」
「「「!」」」
エルセーは油断せずに、彼女らが十分離れるまで見送った。
戻ってきたエルセーは何も言わずに、黙ってウレイアを見つめていた。
馬車が揺れる度にトリィアの身体が物のように合わせて揺れる。
ふいにエルセーがトリィアの手を握った。
「?…」
「本当にトリィアはいい子ね」
そしてこの上ない微笑みをトリィアにかけてくれた。
「エルセー…すいませんでした。私には、あなたの弟子を…娘を名のる資格は無いですね……?」
破門されても仕方がない、殺されても文句は言えない。ウレイアはうつむいたまま、エルセーの顔を愚かしさのあまり見ることができないでいる。その姿はよくエルセーに叱られていた幼かった頃と何も変わっていない。
「はあ…まったくっ……本当に手のかかる子ねえ、あなたはっ?………まあ、鍛え直して欲しかったら、いつでも私のところに帰ってらっしゃい、ウレイア?」
「!………はい」
(私の師であり、母であり、英雄であるエルセー、私が窮地に立った時に必ず目の前に現れる……私は、あなたに拾われて、本当に幸運だった。あなたに叩かれただけで、生きてきた価値を感じます…エルセー……)
偉大なる母は、愛娘を叩いてしまった右手をずっと握りしめていた。
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