第139話 bound 境界 生きる意味、生きてきた価値 4

 エルセーの姿は若返り、引き裂かれた服に血にまみれているウレイア、そのウレイアに抱かれているトリィア…更には深夜という異常な状況にも関わらず、使用人たちはウレイア達に深々と頭を下げて礼を尽くした。


 あまりに変わった状況にウレイアの方が戸惑っていると


「あなたの泊まった部屋にトリィアを寝かせなさい。それから身体を洗って…着替えなさい。そんな姿はあなたには相応しくないわ……」


「はい……」


 エルセーに言われるまま、ウレイアはトリィアをベッドに寝かせると、しばらく見つめて額にキスをした。


 この屋敷の風呂にもトリィアの思い出がこびり付いている。身体を洗いテーミスの残しを洗って流すと、湯に身体を沈めた。


 ひとりになったウレイアに、現実がまたのしかかる。とどめることもできずに、ウレイアはひとりでしばらく肩を震わした。






 ウレイアが部屋に戻ると、エルセーはトリィアを見つめて手を握りしめていた。


 見ればエルセーはトリィアを着替えさせ、身支度を整えてくれていた。


「エルセー…」


「レイ、少しトリィアのそばでお休みなさい。また明日ね?」


「はい」


 エルセーはそれ以上は何も言わずに部屋を出て行った。


 ウレイアはトリィアの横に体を横たえ、髪を撫でた。


(トリィア…私はエルセーの様に良い師…良い姉だったかしら?)






「もちろんですっ。お姉様は私の良き母で、姉で、たまに妹で……いつも恋人で、最高の師匠で、そして、かけがえの無いパートナーですっ」


「そう…」


 欲張りなトリィアに呆れて肩をすくめた。


「それから、私自身、私の半分でもあります」


「それは…そうね、私も…同じかも……」


 そう言ったウレイアを疑いの眼差しで覗き込んだ。


「えー、本当ですかあー?」


「ええ、よく分かったわ…失って、しまったから…」


「は?失った?何をですか?」


「あなたを…私の半分を…」


 トリィアは怒った顔をした。


「やっぱりっ、私への想いはその程度だったんですねっ?」


「え…?」


「私はお姉様が死んでもそばを離れるつもりはありませんし、自分が死んでもお姉様のそばを離れませんよっ?たとえ魂だけになろうともお守りする覚悟ですっ!」


「それは、ただの精神論…」


「ただのっ?た だ の、とおっしゃいましたね?これは私の想いですっ!私達は想いを顕現させるのだと、お姉様はおっしゃったじゃあないですかっ!?」


「それは、ちょっと違…」


「いいえっ、一緒です。そしてこの想いは、ずっとずっとお姉様と私だけのものです。だから失うことなどあり得ないのですっ!」


 トリィアは腰に手を当て、肩を怒らせて断言する。


「そんな…無茶苦茶な…」


「無茶でも苦茶でも押し通す、それが私達ですっ違いますか?」


「ああ、はい…」


「だからお姉様、これからもよろしくお願いしますっ。あっ、そうそう、これは…『気安めではない』ですよ?」


「え?」






「トリ…ィ…」


 再び目を開けた時には外も明るくなって、トリィアはやはり…身体を横たえたままだった。どうやらトリィアを抱いたまま、眠ってしまったようだ。


 ゆめ…だったのか……?あまりにも鮮明な明晰夢。


(トリィア…まったくあなたは…)


 朝焼けに浮かんだトリィアの顔は、少し微笑んでいるように見えた。


 コンコン…


「!?」


 もう『監視』すらまともに出来ていない、視るとエルセーがドアをノックしている。


「はい」


「起きていた?レイ…」


 エルセーは昨日の服のまま入ってきた。ということは昨夜はずっと起きてウレイアを見守ってくれていたのだろう。


「エルセー…」


「ん?いいのよ」


 エルセーは起き上がったウレイアの頰を撫でると、トリィアを見つめて手を握った。


 そして軽く顎を押してから腰の下に腕を差し込むと、トリィアを少し持ち上げる。


「?」


 そういえば、度々トリィアの手を握っていたエルセーに、ウレイアはようやく違和感を感じ始める。


「エルセー?」


「ふむ……」


 エルセーは何かをしばらく考えると、迷いながら話し始めた。


「レイ…あなたに変な期待を持たせたくないし、無責任なことを言うことになるかもしれないけれど、でも事実は事実だし…このままトリィアを埋葬するわけにもいかないし……それにしても、普段のあなたならすぐに気がついたでしょうに……何か妬けるわねえ?」


「?……あの、何を…?」


「ふつう…死後の硬直は顎などから始まって、大体10時間程で四肢にいたり、指の関節なども曲がらなくなる…」


「!!!!!!!っ」


「そして身体の循環が止まると目は白濁し、体液は下に溜まり始める……そうよね?」


 そうだっ!エルセーの言葉を理解した瞬間、ウレイアは心臓が止まったっ。


 そして震えて止まらない手を一度握ってトリィアのまぶたを持ち上げる。


「目の…にごりが…ありませんっエルセー!」


 今度は早鐘のように心臓が胸を叩きつける。


「ウレイア!だから期待するんじゃありませんっ。今も万が一、いいえ、もっと低い期待で様子を見にきたけど、トリィアは目覚めていないでしょう?もっとも目覚めるのは2日後と聞いているけど……それに、何よりトリィアは一度生き返っている。でも死後の崩壊が始まらない…これは…どう考えればいいのかしら…?」


 エルセーの困惑をよそにウレイアの期待はどんどん膨らんでいる。


 無駄でもいい、無意味でもいい、すがりつける事実があるのなら、ウレイアはそれを手放さないっ。


 たしかに2度生き返った者の話など聞いたことが無い。どんな結果が待っているのかは誰にも分からない領域なのだ。


「これは、どうすれば良いのかしら?もしかしたら死んでいるように見えてそうではないのかも…いえ、死んではいるのよねえ?」


「待ちます…っ、一週間でも、一か月でも…いいえ、100年でも待てます!この子の身体が死に向かうまでは…」


「でも、それはいたずらにあなたの心を傷つけてしまうかもしれない…あなたの心が壊れてしまうかもしれない」


 エルセーは何よりウレイアの心配をしていた。


「いいえ、エルセー。まだ私にも出来ることがあるかもしれない、その時間を貰えただけで、私は救われます」


「ふう…そう。ならば、見守りましょう……」


 死んでしまえばウレイア達も人間も変わらない、すぐに身体は崩壊して土に還っていくのだ。


(でもその兆候が無いのなら、私は待つことが許される)


「あの、エルセー…」


「なに?」


「馬車を貸して…いえ、売ってくれませんか?馬はいますから…」


 その言葉にエルセーはみるみる顔を赤くすると、ウレイアを怒鳴りつけた。


「なっ?何を言い出すのっあなたはっ?許す筈がないでしょう、そんなことっ?!ここに居なさい!ここでっ、トリィアを見守りなさいっ!!どれだけ手を焼かせれば気が済むのですか?あなたはっ!?」


「あの…」


「大体、その馬だって私が連れてきたのです。もう私の馬ですっ、少しは私を…もっと私を頼りなさいっ!!」


 ウレイアは憤慨して声を上げるエルセーを強く抱きしめた。


「エルセー、分かりましたお母様…」


「お母っ?」


「何日か…一緒にトリィアを見守ってくださいますか?」


「何日かですって〜?ずっとに…そ、それじゃあひと月…」


「3日…」


「に、2週間っ!」


「1週間…その後カッシミウに来ませんか?」


 エルセーが折れた。


「もう、分かったわよっ、1週間あればここのごたごたも片付くしっ……」


「ありがとうございますエルセー…いつも私を見守ってくれて、叱ってくれて……私はあなたに育ててもらって…本当に良かった」


 今まで言えなかった言葉と想いが、自然と口から溢れ出す。


(今のエルセーは母の顔。少しわずらわしいけれど…なんて贅沢なんだろう?)


 彼女達に血のつながりは無いけれど、その代わりに全てが自由だった。母でも、父でも、姉妹にも、親友にも、恋人にも、何にでもなれる。


「帰りましょう、トリィア……私達の家に…っ」


 そして、無二のパートナーにも…

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