第136話 bound 境界 生きる意味、生きてきた価値 1

 鼻をつく焼けた臭い、そこかしこの延焼跡、円心状に炭化したベンチ、破壊された祭壇や彫像、天井のステンドグラスは砕け落ちカケラの中には溶けているものさえあった。


 そして血の跡と見られる黒ずみと祭壇の前に転がっている小さく丸まったヒトの塊……


 大聖堂のこの惨状を説明できる者は誰ひとりいない……




 落日の後、しばらくしてから起こったこの出来事に町は大騒ぎとなり、その惨たんたる聖堂の姿は見る者を恐れさせた。神の御業か悪魔の仕業なのか、中には何かが神の怒りに触れ、憤激の拳が振り下ろされたのだ……そう言い出す者までいた。


 しかしどのような騒ぎも、今のウレイアの耳には届かない……


 ウレイアは宿に戻りベッドに座り、ひとり虚空を眺めていた。






「………!」


「「……??」」


「………………っ」


(とおくが…さわがしい……)


 その傍にはトリィアが横たわっていた。いま、ウレイアの頭を巡るものは、トリィアと出逢ってから今日に至るまでの20年余りの歳月。


 記憶に残るひとつひとつが順番に、すべてがありありと蘇っていた……






 あの日…


 私は鑑定の仕事で遠い町を訪れていた。


 あいも変わらず書店を物色して、少し文化の違う街並みを見ながらぶらぶらと歩いて、そろそろ帰路につこうかと考えていた頃だった。


 どこかで誰かを呼ぶ声がする。『人』には届かないその声が私を振り向かせた。


(またか…)


 さまざまな場所に行く機会が多かった私は、こうしてたまに幼い『同族』の呼ぶ『声』を耳にした。


 その頃の私は2人目の弟子を失い心を傷めて……もう弟子は取るまい、これから先はひとりきりで生きていこうと決めてしばらの頃だった。


 私はいつものようにそのままやり過ごすつもりで遠ざかろうとしたが、何故かその時ばかりは足を向けずにはいられず、その声をたどって姿を探していた。


(私は何をしてるの?探してはだめよ…)


 強く引かれるその声に抗うことが出来ず、脚は勝手に声に向かって進んで行き、そして立ち止まる……


 力なく立ちつくすその娘は、既に私のことをじっと見つめていた。


(!)


 娘は追いすがってくるわけでも無く、ただ……私を見つめている。しかも薄汚れて土にまみれていても、その服には血でできたシミがべっとりとこびりついていた。


 どこにでもいる不幸な娘だ。


 そう思って立ち去ろうと歩き出したのに、私の足はまたしても自分を裏切った。


 そしてその瞬間に私は心を決めたのだった。


 とは言え、そのすぐ後に私が自分にほとほと呆れていたのは言うまでもない。しかしこの時私はどうしても、トリィアを置き去りにできない何かを感じていたのだ。


 私は娘の体を洗い、新しい服を買って与え、そのまま連れて帰ることにし、その道程で話しをできる状態かを確かめながら様子をみていた。


 名前を聞けば、アンナ・ヘンリソンとはっきり答える。受け応えや着ていた服からしても、家柄の良い娘なのだろう。


 とにかく死んだはずの人間がうろついているのは不味い、名乗りたい名前は無いかと聞くと首を振る。


 私はトリー…3という意味の名を与えて、ずっと先の後にアンナを名乗ることはかまわない、けれどもこれからしばらくはトリーと名乗るか、好きな名前を決めるように言うと、彼女はそれを受け入れた。


 私は思った…この子にはなるべく血生臭い技は最小限に教え、生き残る術を徹底して教えていこうと……


 とは言え親が思うように子供は育たないものだし、現実もまた、そんな甘い思いをあざ笑っていたのだが…


 トリィアは出逢った時から私になついた。そしていつも明るく振る舞う優しい心の持ち主だったが、でもそれは異常なことなのだ。


 私達が再び生を受けるには心が壊れるほどの痛苦に晒されなければならない。それ程の経験の直後、大概の者は数年、ともすれば数十年の間、受けた傷の痛みに苛まれ、力を得てからは暗い感情に振り回されるのが当然だと言える。


 つまりトリィアは無理をして明るく振る舞っていたのだ。


 トリィアは私が家にいる間は常にそばについてまわり、部屋を与えても私のベッドで眠り、時折り酷く落ち込んでは私の膝の上から動こうとしない。そして自室に入るのはひとりで泣く時だけ………


 そんな生活がしばらく続いたある日、トリィアは思いついたように私に聞いた。


「ウレイアさまは…わたしは、ウレイアさまの何なのでしょう?」


「ん?」


 私はトリィアを弟子にするために連れ帰ったわけではない…と思う。当然のように連れ帰り、当然のように共に暮らしている。


 あらためて問われると、それは私にも分からなかったが……


「そうね…何かしら?」


「え?」


「一緒に住まう者だから、家族、かしら…?」


 トリーは少し考えると、


「かぞく、ですか…ではっ、ウレイアさまは私のおねえさまですねっ!」


「私がお姉様?」


「はい…ウレイアさまはおねえさまですっ。お姉様っ!」


 この時、トリィアは初めて私を『お姉様』と呼んだ……

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