第135話 bound 境界 「ありがとう」 5

「聞こえるっ?テーミスっ…!あなたはこの世界では幸せにはなれない。あなたに安らぎを与えられる者がここにはいないからよっ」


「?………っ」


「テーミスっ、向こうで…エリスが待っているわっ…!」


「!」


 ウレイアはトリィアを握る手に力を入れた。


 残りの石から見上げる程の8本の極炎が上がった!


 赤を超えて黄色く発色しながら暴風に巻かれ捻り上がり、気流の上昇も手伝って更に成長しながら高く、高くっ…輝きだした炎は黄金色を思わせた。


 ウレイアはトリィアの肩を抱えると祭壇の下に潜り込む、更にまわりの空気に層を作って熱に備える。


(鉄をも溶かす極炎よっ、あなたのローブはどこまで耐えられるかしら?)


 火炎の竜巻となってどこまでも成長する炎は遂には天井を突き破り、割れたステンドグラスが鮮やかな雨を降らせ……


 ベンチや石像や、漆喰の壁や石の祭壇や、まわりの全ての物からはあまりの高温のために燃える間もなく一気に白い水蒸気とガスが立ち昇る……!


 本来ウレイアの攻撃力に際限は無く自由に形を変えることが出来る。しかし屋外でしか使えなかった。この教会を選んだ理由がそれだ、これだけの炎を普通の建物の中で作れば自分でさえ炭になってしまう。


 天井が高く、ステンドグラスが落ちれば高熱もこもらず、熱を伝えにくい石の祭壇は身を隠すには最適だったのだ。


(それでもさすがにっ、熱いわね…)


 炎は長くは保たない。それはさながら溶鉱炉の縁で耐えている状態の自分達が長く保たないのも一緒だ。


 でももう、勝負はついた……千切れて消えていくテーミスの気配を感じながらそう思って……ウレイアは油断していた。


(っ!?、まさかっ!)


 槍がこちらに向かってきているっ!?トリィアを狙っている!


(まさかっ、石の裏板を破れるつもりなのっ??)


 あんな小さな矛先が厚い大理石を貫通するとは思えない、しかし…ウレイアはその一撃が届くよりも先に戦慄を予感する!


(ち…っ!)


 狭い祭壇の中ではトリィアを押し除けるスペースも引き寄せる余裕も無いっ。ウレイアはトリィアを引き寄せると同時に、すれ違うようにトリィアと裏板の間に身体を滑り込ませた。


「!!!……っ」


 押し付けた背中に感じる焼かれた石板の熱とは違う熱さが、衝撃と共に腹の中を通って行く。なおも進もうとする執念を両手で受け止めると、それはトリィアの眉間に触れる直前で止まった……


「え…?………っ!?お姉様っ!!??」


 目の前に止まった鉄の塊と焼けたウレイアの手をトリィアは見た。


「ぐ、んん、つぅ…っ!?」


(軌道を変えてまでトリィアを…?まったく……っ)


 猛り狂った炎はテーミスの魂を引き連れて空へ昇って消えていった。


 すぐにウレイアはテーミスだったものを視て確認する。そこには小さく固まった成れの果てが転がっていた。


「し、死んでいるわね…間違いなく…っう……」


「お姉様っそんなことより…っ」


 今度こそ終わった、という安堵と共にウレイアを強烈な痛みが襲う。


「んんっ!…………くうっ。これはテーミスの執念の一矢ね…もう死んでいたはずなのに…」


 テーミスの執念が死んでも尚、鎖を動かし続けたのだろう。熱に晒され石板を貫通した矛先はもはや原形が無い。


「お姉様っ!!ひどい傷ですっ!!!それにそこ、は………っっ」


「嫌になるわね、まったく…っいくら考えておいても、必ず何かが起きる…んっ」


 ウレイアは体を少し起こすと、背中に手を回した。


「ッ!!!」


 鎖を握るだけでも激しい痛みが走る。しかし抜かねばならない…ウレイアはうなだれたまま目を閉じると、腕に力を込めた。


「ふう……んっ!いぃぃぃぃぃぃーっ!!!」


 意識が飛びそうな痛みに耐えながら鎖を一気に引き抜くっ。腹に開いた穴からはどろりと血が流れ出した。


「お姉様……っ!」


「はぁ……帰りましょう、トリィア…」


 しかし起き上がろうとしても体に力が入らない…


(!、これは…まずいわね。まあ…守りたいものは守れたし、目的も果たせた……)


 子宮を貫かれた、致命傷だ……


 助からない…それでも誰ひとり失わずに済んだ。トリィアとセレーネを任せられるエルセーもいてくれる。十分だ……ウレイアは割と満足して覚悟を決めた、その時……


 ピシッ…っというどこかでガラスが割れたような音がした…


「え?!!!」


 急にウレイアの体は異常なほどに体温があがり、汗が身体中から吹き出して、息が詰まる。


「んん…っ?く、はあ、はあ…くる、しいっ何が…おこって?」


 大概の痛みを経験してきたウレイアにとっても初めて味わう苦しみ…熱さ……まるで沢山の小さなものが身体中を巡り蠢いているようだ。


(なんて……気分のわる…っいぃ……?)


 ウレイアはなすすべも無く仰向けに転がり、自分の体に翻弄され何かにもみくちゃにされながら、通り過ぎて行くのを堪えて待つしかなかった。


「うっ、くう…っ、あ…はあ、はあ………っ」


 このまま死んでいくのかと思っていたが、もがく程の気持ちの悪さは徐々に遠ざかって行く。しかし……考えることが出来るまで回復しても、その原因はまるで分からない。


(はあ…傷のせい?じゃない……一体何が起こったの?)


 何気なく腹の傷に手を当てると、信じがたいことに気がついた。


「?!、穴はっ?」


 もう一度、今度はお腹を広く押して確かめてみる。


(傷も痛みも無くなっている??)


「どういうこと……っ???」


 ウレイアはすぐに体を起こして自分のケガを確かめた、そして困惑したまま周りを見ると


 ッ!?


「トリィアっ!?」


 無事であった筈のトリィアは目の前で丸くなって倒れ、苦悶の表情を浮かべていた。


「トリィア?どうしたのっ?一体何が……?」


 トリィアはただひたすら小刻みに体を震わせながら痛みに耐えている。異常な回復と不可解なトリィアの苦痛、酷く動揺していたウレイアはその理由を必死に探っていると、先ほどすぐそばで聞こえた石割れの『音』が甦ってくる。


 まさかっ、という思いで胸に手を当てて確かめる。


(トリィアのルビーが無いっ!)


 すぐにトリィアのペンダントを確かめると、やはり対のルビーは無くなっていた。


 ウレイアはトリィアを抱きかかえると、一体トリィアの身に何が起きたのかを確かめようとした。


「トリィアっ、あなた何をしたのっ?」


「んんっっ………」


 外傷は無いっ。しかし血の気が無くなりお腹を押さえて苦しんでいる。


(でも尋常ではないこの痛がり様は…)


 トリィアの手を押し除け腹部を軽く押してみる。


「い!いっ…たいぃっ!」


 軽く押した指先に感じる筈のものが、押し返してくる筈のものが、手応えが…張りがまったく無い…


 ウレイアは恐怖ですくんだ。


「まさかっ?…ありえない…っ!トリィア、一体あのルビーに何を込めたのっ?」


 苦痛を浮かべながらトリィアはウレイアに微笑んだ。


「お、お姉様……よくっこんな痛みに耐えられますっねえ……?…うぅっ…っ」


「まさかあなたっ身代わりになるために…あのルビーには…」


 ウレイアの腕にしがみついた手に力が入る度に痛みが襲っているのが分かる。


「んんっ…ち、ちゃんとお役に立つかどうかも分からなかったから…せいぜい…お守り代わりだろうなーなんて、思ってたんですけど…っ」


(そんなことが出来るはずがない…でも、とにかくトリィアを助けないと…っ)


「よかったぁ…役にっ……立って…」


「だまって…トリィア」


 ウレイアは必死に考えた。どんな方法でもかまわない、トリィアを救えるのならば……しかしいくら振り絞っても、何も出てこない…出てくるものが無かった。


 そしてふいに思い知る……


(人を傷つける方法など幾らでも思いつくのにっ)


 どんな事態でも勝ってきた……


 どんな敵でも葬ってきた……っ


 それでも……ケガに苦しむ誰かを、消えかけた命を救えたことはあっただろうか……?


 長い年月を生きて数えきれない戦いを生き抜き、絶え間ない研鑽の末に無類の強さを積み上げてきたというのに、ささいなキズを癒す『すべ』すら知らない、ただうろたえていることしかできない。そんな怪物は……


(あ……『彼ら』は正しい……私は、悪魔…)


「お姉様……」


「トリィ…」


「帰りましょう…私達の家に……」


(トリィア…この様子ではお腹の中は……でも、ダメよ、まだ諦めないっ!時間がある限り考えるのよ、方法を知らないなら今考えればいいっ)


 先ほどから徐々に人の声も騒がしくなってきた。ウレイアはトリィアを背負ってとにかくここから離れることにした。


(きっと子宮にも大きなダメージを負ったはず。このままでは長くは保たない…子宮が必要なら私の…)


 そんなメチャクチャなことを思いついても出来るわけがない、出来ても自分だけではどうにもならない。


 とにかく自分達の姿を認識できる者はもういない。騒ぐ人間達を無視してウレイアは堂々と開け放たれた正面から教会を出ると、急いでとりあえず宿に向かった。


(分からない……どうすればいいの?どうすればトリィアを助けられるのっ?……エルセー…助けて…っ)


 焦るばかりの頭の中はウレイアの足を急がせた。何もあては無い、そのあてのない『あて』を探して足が焦っている。


「あーぁ…せっかくお姉様の告白を聞けたのにい…」


 細い声でトリィアが囁いていた。


(………っ、神よっ、見ているのなら…いるのなら私を連れて行きなさいっ、私の問いに答えなさい!何故私達に過酷な運命を強いるのっ?答えによってはその首を……)


「お姉様…ありがとう…」


「!……ダメ、トリィ…ア…おねがい……」


 背中のトリィアの気配が、命が、剥ぎ取られるように小さくなっていく…それを感じることができる自分が…恨めしかった。


「はぁ……いやだなぁ…前の『死』はとても暖かかったのに…何だか…今日はとても…つめたい……………………………………」


 大騒ぎになっている道の途中で、ウレイアの足はゆっくりと、静かに止まった……

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