第118話 慟哭 2
それは少し前……
エルセーと別れたあと、一刻でも早くウレイアの元へ戻ろうとしていたトリィアは、無理をさせない程度に、それでも最大と思われる速度で馬を走らせていた。
「こ れ でっ…お使いはっ…おわりですっ…」
トリィアは乗馬のリズムに合わせて変な歌を作っている。
(戻ったらお姉様をナデナデしてあげましょう!)
馬もトリィアも上機嫌でボーデヨールに向かっていた。
(んん?)
トリィアは手綱を軽く引きながら、たった今『監視』の中に浮かび上がった人物に注目する。
そしてゆっくりと足を止めた馬の上でトリィアは考える。
(こんなところで?人……?)
ここからでは同族かどうか…隠すことが上手い者ならばヒトに成りすませる。そんなそぶりでも見せてくれれば悩まずに済むのだが、女がたったひとりで…こんな街道の途中で人待ち顔をしていれば、トリィアでなくても不審に思うのは当然である。
ただ、ちらほらと他の旅人や馬車も往来している時間でもあって、無理に考えればこんな辺ぴな場所だが誰かとはぐれたのか…?待ち合わせをするつもりのただの人間かもしれない。
「ううん…どう思いますか?ウーマさん…」
「ブル?」
勝手に適当な名前を呼ばれた上に何を問われたかなどウーマには分からない。
(でも、もし……あの人が同族でテーミスの仲間だったら…それは憂慮すべき事実ですよね?やっぱり確かめないと……)
しかし同族かどうか判断するには、それと分かるまで近づかなくてはならない。さらにテーミスの仲間であるかを知るためには少なくとも、疑惑を持てるだけの情報を得なければならない。
手綱を握る手に力を入れると、意を決してトリィアは馬を進ませた。
(どのみち避けて通れば時間がかかるし、何よりテーミスに仲間がいるのならその情報を持って帰るほうが重要ですよね?)
こんな時、町の中のように忍び寄れる場所ならば相手の様子からある程度推測することもできる。
目や耳に頼らずこちらの存在に気づいたそぶりを見せてくれれば同族である疑いを強めることができるが、まだ距離はあってもすでに互いの姿が見通せる草原である。
他の馬車や旅人の前で馬の上から姿を消しても騒がれるだろう。
(それは相手も同じなんだから…刃傷沙汰にはならないよね?ふう……よしっ、私の後ろにはお姉様が付いてくれていますっ)
ひとりきりの不安を振り切るように、今まで見て学んできたことを自信と勇気に変えて踏み出す。それはまぎれもなく、教えを与えてくれた全ての人に守られていることを意味している。
(ええと、しかしどうしましょう?)
しかし何か腹案があるのかというと…ノープランである。
(と、とにかく人間かもしれないから、まずは確認しないと…それから…ええと、テーミスの仲間かどうか……聞くの?)
蒼い瞳が泳いで空が映った。
「だ、ダメだあたし…」
トリィアはまず、相手が人間だったら危害を加えないことを前提に考える。それは無用の騒ぎを起こさない意味もあるが、何より優しいからである。
それでもぶつぶつと考えながら馬にまかせて近づいていくと、100メートルほどを残した辺りで女が顔を向けた。すぐに視線を他へ移したが、身構えていたトリィアの緊張感は増していく。
(いやいや…この人は…)
近づくにつれて相手の正体がはっきりしてきた。顔が十分に見合える距離まで来ると女はにっこりと会釈をした、旅人同士が交わす挨拶のそれである。トリィアは挨拶を返しながらじっと女の顔を確かめる。
そしてほっと胸を撫で下ろした。
(なんだー、やっぱり人間ですよねー)
しかし……すれ違いざまに三度女と目が合った時に感じた異常は……
(!、この人っ意識がないっ?操られて……)
「ねえ…」
背後から不意に声をかけられた。そして突然現れた声の主の気配に全身に鳥肌が立つっ。
(うそっ?テーミ…)
「〝眠って…〟」
身体から力が抜けて意識が散ってしまいそうになるのを堪えて振り返ると、ドアの開いた馬車の中にそれらしい少女が座っていた。
「っ!!」
「〝眠りなさい〟」
目が合った瞬間に更に言葉をかぶせられると易々と心の防壁を突破されてしまう。
「あ…おねえさ…ま…」
意識を刈り取られていく中でもうひとりの女が馬車から降りてくるのを見届けると、トリィアはだらりと意識を失った。
ずり落ちそうになるトリィアを馬がかばって膝を折ると、すぐに降りてきたもうひとりの女が頭を抱き抱えるように受け止めた。
「まあ!馬が?」
受け止めた女は感嘆の言葉を口にしながらテーミスを見た。テーミスは満足した笑みを浮かべると女にうなずいて見せる。
そして立たせていた女にはあしらうように冷たく命令する。
「その馬を馬車につないで…お前は御者台に座りなさい」
「はい…」
女はテーミスに言われた通りに行動すると、御者台によじ登った。
その間にトリィアは引きずられながら馬車の中に連れ込まれ、テーミスの隣に壁にもたせかける形で座らされた。
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