第113話 ひとつの石ころ 1

 自らの失言でエルセーの報復を受けたトリィアの顔は、前回よりも更にふっくらと仕上がっていた。


「うぅ…すみませんでした…」


 ところがエルセーは満足そうにひと息つくと


「ふう……あら?なんでこんなに盛り上がったのだっけ?」


(はあ…っ?もう、何が何だか…拾ってくれたのがお姉様で本当に…良かった)


 トリィアは自分の幸運に心から感謝していた。


「そうそう、私が偽装を解いた理由を聞いてきたのね、それで私を見たトリィアが私が老けた…と………?」


 エルセーの時間が巻き戻された。しかも改ざんされていた。


「ちょちょっ?そ、そんなこと言ってませんっ!じゃなくて、そういう意味では……」


「なんてねっ!分かってたけどっ!私に『老けた』なんて言っちゃダメよ?」


(り、りふじん…ああ、おねえさま…)


 トリィアはがくりと座りながら崩れおちた。


 そんなトリィアを見てころころと笑っていたエルセーはふうっと伏せ目がちになると


「まあ…一度は覚悟を決めたのだもの、完全な状態で確実にテーミスを葬るつもりだったんだけど…あなたに聞いた限りではここまでしなくても良かったかしらねえ?」


 にっこりとエルセーは笑って見せるが、再会してからずっと、気がかりだったことがトリィアにはあった。


「あの大お姉様?…たしか以前に、あの偽装は自由には元に戻れないようなことをおっしゃってましたよね?それと、いつもの馬車ではないのはマリエスタを名乗れないから…だけならいいですが、まさか…」


「ふうん…なんだかんだでもう…さすが、いいえ…困ったほどにあの子の弟子ねえ。思うこと、考えることがよく似てる。受け継いでいるのねえ?」


 トリィアの後ろに立つウレイアの影を垣間見る。


「ああ、ちょっと横道にそれちゃったわね…まあネストールとは少しの間でも夫婦ごっこをした仲だし、黙って消えるのも難しいからね、私のことを正直に教えてあげましたよ」


 エルセーの言葉にトリィアは身を乗り出した。


「そんな…それではこれまでのことを全て捨てる覚悟をされて来たのですか?」


「すべて?」


 エルセーは首をかしげた。


「何を言っているの?私の『すべて』はウレイア…いいえ、今はあなた達よトリィア。あんなものは長い人生のおまけ…ちょっとしたイベントみたいなモノかしら?」


「大お姉様…」


「とにかく、私もそのつもりであの人に告白したのだけど、話は意外な方向に進んだのよ…」


 その時のネストールの返事は…






「やはりそうだったのだね…」


 屋敷の居間で、自分はいわゆる『魔女』と呼ばれる者だとエルセーに告げられたネストールは、驚く素ぶりも見せずにそう答えた。


「あら、やはり気付いていたの?」


「ああ、いや…そうであって欲しい。そう思っていたのかな…」


 それは初めてマリエスタの屋敷を訪れ、ネストールといくらかの会話をした時にウレイアも感じていたことだった。


「ではやはり、ミス・ベオリアとミス・トリーもだね?」


「…そうよ」


「ああ、でも…リードは『人』だよね?」


「ええ?ええ、あの子は14の頃から私の世話をしているわ。だいいち男でしょう?」


 ネストールは一人ひとりの正体をただ確かめるようにエルセーに確認した。


「『あの子』か…もしかして3人とも私よりも長く生きているのかな…?ああ、いや…許してほしい、女性に歳を聞くのは失礼なことだね……」


「かまわないわよ、言いたく無いことには答えないから……私とベオリアはあなたよりずっと長く生きていますよ。トリーは少し歳下かしら」


 それを聞くと納得したかのようにうなずいた。


「そうか……それでは人としても敵わないのも当然のことだな…」


 ネストールの反応は意外ではあった。


 罵倒する、怒りを示す、もしくは怖れられる。そんなことを多少は予想していたのに、敵意はおろか恨み言のひとつも出してこない。魔女に時間を奪われていたはずなのに、それもネストールは納得していたかのようだった。


「あなたには悪いことをしたわね。本当は何も知らずに、穏やかな人生をおくってもらうつもりだったんだけど、そうも言っていられなくなってね、言い訳をするつもりも無いし……要するに私はあなたを利用していたのよ、ケールの名前を目にした時に興味と下心が芽生えたことも本当だし」


「うむ?君が何故ケール様の名を……?」


 ネストールは意外なところに強い興味を示した。


「オリビエ、君はケール様の名前を知っていたのかい?」


 その顔はエルセーの答えに何かを期待しているように見える。


 さて、エルセーがここまで自分たちのことを話してきたのは、実はネストールの口を塞いでおくべきかを見極める為の試験でもあった。


 もちろんネストールをはじめ、使用人全員を殺すのは、エルセーにとっても本意では無い。だが自分達のこれからにさし障る原因となり得るならば、彼らの運命をここで終わらせるしかないのだ。


 だから詳しく話すほどに試験の合格基準は厳しいものになってゆく。ならば結局は、彼らの生死はエルセーの言葉にかかっているとも言えるのだ。


「ええ、私達にとってケールは特別な存在だし、私の……師の友人でもあるわ」


 その言葉を聞いた時、ネストールは驚きと共に少しだけ腰を浮かすと、すぐに膝の力を抜いた。


 そしてうつむいて間を置くと、ひとこと呟いた。


「これで果たせる…」


「ん?」


 ネストールはおもむろに立ち上がりエルセーに歩み寄ると、すっとひざまづいた。

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