第112話 やくそく 4
あれから2時間あまり走っても、馬はトリィアの期待に応えようとペースを落とすこともなく、力強い足取りで進み続けていた。
「どう、どう…」
それでもトリィアはたてがみを撫でると手綱を引いた。
「少しだけ休みましょう。気持ちはありがたいけど頑張り過ぎですよー。少しオーバーペースでしょう?」
「ブ、ブル!」
「そんなことない?ふっふっふー…ごまかしても分かるんですよ。それに恥ずかしいことでは無いです。大切なのは全力で頑張ったら全力で休むことです。だからえんりょ…」
!
見られている!トリィアは視線の主を探そうとしたが、まだ目で確認出来るほど近くはないらしい。それでもトリィアもよく知ったこの気配は…
「大お姉様!」
「ごめんねっ、お願い!」
トリィアが馬に飛び乗ると、足をあぶみにかけたと同時に馬も飛び出した。
逸る気持ちに馬も応えて、トリィアと一体となって一点を目指して疾走する。少し疾ると遥か遠くに馬車の影が望めるようになった。
「ああん、もう…」
見えてはいてもすぐにたどり着ける距離ではない。少しずつ大きくなる馬車をもどかしく見つめながら、精一杯に脚をまわし続ける馬の邪魔をしないように我慢していることしかできなかった。
エルセーもトリィアに気付いてから馬車の速度を上げている。馬に飛び乗ってからの必死な早駆けを見て、尚更不安を駆り立てられているに違いない。
たいした時間でもないのだが、ようやくという感じで馬が止まりきる前にトリィアは飛び降りた。
(あれ?いつもの馬車じゃない?けど、あれはリードさんだし、乗っているのは確かに…)
馬を操っていたリードがすぐに止めようと手綱をしぼるが、乗っていたエルセーも待ちきれずに止まるより早くドアを開けた。
「大お姉様ーっ!」
トリィアが馬車に駆け寄ると、慌ててエルセーも飛び出してきた、が、
「!!」
エルセーの姿にトリィアは仰天した。
「えっ!ええええええー??」
その姿はトリィアが知っている今までのエルセーでは無く、ウレイアの記憶の中の若く美しいエルセーの姿だった。
驚いて立ち尽くすトリィアにエルセーは駆け寄って肩を掴むと、
「どうしたのっトリィアっ!まさか?!レイに何かあったのっ?」
「へ?あっ!いえっ、いえいえ、ぜんぜん大丈夫で、す…」
その答えに一拍考えると、
「ええ?ちゃんと答えなさい、どういうことなの?」
「えーと、どういうこと…といえば大お姉様のお姿のほうが…」
「ああ、もうっ…ちょっといらっしゃいっ」
トリィアは引きずられるように馬車に連れ込まれた。
そしてちょこんと正面に座らせられても、気になるエルセーの姿を上から下まで舐めるように眺めていた。
エルセーはトリィアの顔を両手で挟むと、
「こらっ、トリィア!」
「ふあぃ…」
「レイはっ、無事なのね?」
エルセーに目を覗き込まれたトリィアは頰を赤らめながらこくこくと首を縦に振った。
「も、もちろん大丈夫です、ぜんぜん……」
その言葉でようやくエルセーも肩の力を抜く。
「もう…まったくもう、あなたが1人きりで必死な顔をして駆けて来るものだから私はてっきり…」
エルセーに会う時には笑顔で…そうウレイアに言われたことをトリィアは今更ながら思い出した。
「ああーっ!そうでしたーっ。そういうことだったのですね?すいませんっお姉様ー、大お姉様もー」
「何がですかっ?」
「あうっ………お、大お姉様に会う時には笑顔を忘れないようにと…言われましてー」
エルセーはベンチに体を預けると大きく息を吐き出した。
「はぁー本当にもう…こんなにどきどきさせられたのは何百年ぶりかしら…悪い子ね」
エルセーはトリィアの手を取ると、手の甲をぽんと叩くようして握りこんだ。
「はわわ…」
「ん?」
「お、大お姉様っ?ところでそのお、お姿は…?」
「んん?」
エルセーは照れるトリィアの顔を見てにやりと悪い笑みを浮かべた。
「あらぁ、もしかしてトリィア…めんくいなあなたの御眼鏡に適ったのかしら?」
握った手の甲を撫でながらトリィアの眼の奥をじっと見つめる。
「あわわ…あの、お美しいのは前から知ってました…」
(けど…この飲み込まれてしまいそうな圧倒的な信服感は…)
「大お姉様っ、あの…抑えてください。お話しができません……っ」
「まあ?うふふ…あなたが驚かせるから全開になっちゃったのよ?でもそうねぇ、ちゃんと話を聞きたいし…」
エルセーは何かを飲み込むようにすっと落ち着いた顔を見せると、放っていたものが霧散して薄くなっていった。
「ふう…お姉様は不感症ではなく鍛えられていたんですねー?こんな大お姉様に迫られていたら他の誘惑やどんな威光を浴びようが流されることは無さそうです」
「あらあら、それは褒められているのかしら?何だか微妙ねぇ…それならあなたのことも鍛えてあげましょうか?」
「いえいえいえっ、私にはまだ早いというか、もったいないというか、漏れ出てらっしゃるもので十分というか…伝えなければならないこともあるのでっ」
ぐぐっと迫りかけていたエルセーをなんとか踏みとどまらせると、冷や汗とはまた違うものを拭った。
「そうね、話を進めないとここで野宿することになりそうだし?この続きはまた今度ゆっくりとね…」
「あ…はは…」
(なん…だろうなー?お姉様が警戒する意味がどんどん解ってくるんですけど…)
エルセーはさっと切り替えると
「それで、どんな感じ?まあ、あなたが1人で来たことで望ましい展開では無いのは想像できるけど?トリィア…」
「う…あ、はい。テーミスを見つけることはできました、というか…妙な奇襲を受けてしまったんですけど」
「妙…?」
…………トリィアは自分が来ることになった理由をエルセーに話した。じいっと黙って話しを聞きながらもエルセーは少し納得しきれない微妙な顔になっていく。
「ふうん…あの子を惑わせるなんてねえ。天使の異名は伊達ではないというところね」
(あれ?なんか苛ついてらっしゃる?)
「でもねえ、何でっ?それで私が隠れなければならないなんて…私達が一気に押し包んでしまえば簡単に方が付くでしょうに?」
トリィアが怖気ずくには十分な憤りをエルセーが発する。
「そ、そこはやはり…より安全で確実な作戦を望んでらっしゃるのでは、と…」
「あの子の考えていることは自分のことのように分かりますよ。でもねえ…慎重なのは良いけれど、それで返って足元をすくわれることもあるのよっ…?」
「ご自分ひとりだとむしろ無茶なくらい強引だったりするんですけどねー。私なんかが一緒だと本当に気を使われているようで…私もどう思ってよいものか…」
2人は目を見合わせると呆れたようにため息をついた。いや、ため息をつかれた。
「はあ、しょうがないわねえ……ボーデヨールの西に農村があるから、そこに行っていましょうか?」
「西、ですか?でも農村では泊まる宿も無いんじゃないですか?」
「心配しなくていいわよ、なんとでもするから」
自信に満ちたというよりは、当然と言う顔で微笑むエルセーにまた頰が熱くなると大事な事を思い出した。
「そうですっ、大お姉様!そのお姿はどうされたのですか?たしか本当のお姿に戻るとあの老け…年季を召した姿に偽装し直すのは大変だとおっしゃっていましたよね?」
当然エルセーがトリィアの失言を聞き逃すはずは無い。
「それは間違ってはいませんよ…でもあなた今、『老けた』と言いましたね?」
これは取り繕いようがなかった。
「………………あは?」
馬車が揺れる…おそらくは揉みくちゃにされているであろうトリィアを思い浮かべると、リードは申し訳なさそうに帽子を深くかぶり直した。
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