第88話 …reunion 1
「あぁーお風呂様ーお風呂さまー、あなたはなんて偉大なのでしょうーブクブクブク…」
特にマリエスタ邸のテルマエ様は偉大であるっ、トリィアにとって……
「もうすっかりあなたの新しい神さまね?」
「いーえー、お風呂様は大好きですけど私はお姉様と結婚して…お風呂様は愛人にしますー。はあー、何でお風呂様はもっと普及しないのでしょう…?」
「こんな贅沢なもの、そこらの貴族でも持てませんよ。まあ、頑張れば、湯を張ったバスタブくらいには浸かれるけど」
「ええー?だってお姉様はそこらの貴族よりもお金持ちじゃないですかー?」
そこに突然、飛び入りで踏み込んできたエルセーがトリィアの後ろに立っていた。
「あらぁ…そんなに貯め込んでいるの?」
すっかり気を許していたトリィアはびくっ!と跳ねて湯をゆらすと
「うわっ!びっくりしましたっ!気を抜いて警戒を忘れてました…なっ、なるほどーっさぼっていると凄く心臓に悪いですっ」
「おかげで生き返りました、オリビエ様」
「そう?良かった。まったく、急だったから驚いたけど嬉しい驚きだったわぁ」
「あれ、大お姉様?んー……?お顔の見た目からすると…お体が妙に若々しいというか…んー?何か嘘っぽいというか…」
トリィアは目を細めてエルセーの身体を眺めると、不自然な顔とのバランスに気が付いた。
「あらあら…これはまずい弱点をさらしてしまったわ。まあ、そこまではなかなか、体まではちょっとねえ…『偽装』が半端なのよねえ……」
弱点を露呈してしまったエルセーはかくなる上はとばかりに老いた演技の枷を外した。
本来の身ごなしで動く高齢者顔のエルセーはもはや不審の極みでそのアンバランスさに2人の腰も引けてしまうが、湯に浸かる仕草は目が釘づけになるほどの艶麗さで流れるような動きである。
「わざとやっていますね?エルセー。まあ、普段は自分を押し殺しているでしょうから気持ちは理解できますが……」
「おてほん、ですよ!」
「は?一体誰に……トリィア!」
トリィアはエルセーのお手本をさらおうと一旦湯から上がろうとしたところをたしなめられる。
「いえいえ、熱くなったからちょっと体を冷やそうかなーと…?」
「あら?んー、あらあら?」
エルセーは何かに気付いたのか、ちょっと身じろぐトリィアの顔をじっと見つめ始めた。
「な?なんでしょうか?」
「ふーん?やっとレイに抱いてもらえたのかしら?」
「は?はいーっ?」
「エルセー!」
「あら、違った?だってえ、この間別れた時より大人っぽくなったし、ずっと良い顔をしてるし?だからてっきりっねえ…」
「い…いえ、残念ながらまだ…と言うか、何か、大お姉様?声色から雰囲気から、今までと随分とその…」
今までのエルセーとは違う存在感にトリィアは緊張していた。声は艶が増し艶美な物腰に赫々たる雰囲気、そして気品も何割か増しているように感じた。
実はトリィアが知っている自分を抑えていた今までのエルセーと、ウレイアの知っているエルセーでは、猫と虎くらいの違いがある。
これで偽装もやめて本当の自分を晒したならば、その威厳と圧力は、もはや暴力と言っても良い程だ。
「エルセーはね、文字通りネコをかぶっていたのよ。今でもかなり抑え気味のようだけど?」
トリィアはすすっとウレイアに寄ると耳打ちをした。
「お姉様はよくこんな方に憎まれ口を言えますね?」
「トリィアちゃん…」
「は、はい!」
「そうでしょう?この子は昔っから小憎たらしくて、何かにつけてすぐに、『それでは筋が通りません』とか、『科学的ではありません』とか、言いだすのぉっ……それがまた正論なんだけど尚のこと小憎たら可愛くてねえ……」
「あーはい…言いそうです…ね、はい……」
「それにねぇ……」
エルセーに引き戻されて、がっしりと抱え込まれるトリィア。
「ベッドの中では特に可愛くてねぇ…私の腕の中で何度も何度も気をやって…」
「ほ?ほうほう…」
「?!……エルセーっ!これ以上の悪ふざけは冗談では済まなくなりますがっ?」
「あららー?そうねえ……久しぶりにっ!師弟対決やっとくっ?ここなら多少の荒事も、大丈夫よ……?」
ぴちょんと、したたり落ちる水音が沈黙に更なる緊張感を加える。この緊迫感とふたりの間に挟まれてトリィアはその圧力に潰されて弾き出される。
「あわわわ、このふたりの争いには絶対に巻き込まれたくないですーっ!おお、お先に大お姉様のお部屋で待ってますからー……っっ!」
トリィアは風呂場から一目散に遁走した。その姿をエルセーは楽しそうに見送ると
「あらあら…少しやり過ぎた?」
「いえ…でも急で少し慌てました」
「ふふ、何か…区切りがつく事があったのでしょう?まあ、何かは聞かないけど…ようやくなのかしら?これからあの子は益々成長していきそうねえ?」
「はい、これからは私もトリィアに目指すべき高みを示さなくてはいけません」
「それでもあの子に…畏怖されるような教え方は嫌なのでしょう?そんなものは一時的なのに……」
苦笑いをするウレイアは都合の良い自分を情けなく思った……
「………先ほどはエルセーの『高気』にも気付いていたようですし、良い勉強になったと思います」
「べつにい、ただ少し素を出しただけよ。それより良かったわね…あなた達の絆がより強くなったのは確かなのでしょう?」
「はい…そう思います」
「そう……でも寂しいわ…あなたは私だけのものにしておきたかったのに…」
エルセーの諦めと侘しさを含んだ微笑みにウレイアの心はちくりと痛んだ。
「何も変わってはいませんよ、エルセー様?私は…わたしはいつまでも貴女の弟子で、貴女の娘です。そのことだけは、永遠に貴女だけのものです…それではご不満ですか?」
「!」
その言葉を聞いたエルセーは顔に手をあてて黙り込んでしまった。
かつてのオネイロと自分の想いが、今の自分とウレイアに重なって、その時の感情が湧き上がってきた。
「あなたのそういうところは…まったく…やっぱり、私のものにしておこうかしら…レイ?」
「はい?」
エルセーはウレイアを追い詰めるように近づいて彼女のあごを軽く押さえ込むと、エルセーの唇が静かに迫ってくる…
「エルセー…」
「ん?」
「…そのお顔では、ちょっと…」
「!っ、ひっどーい」
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