第23話 祝福 1
2日目、ウレイア達は既にハウィックを出発して今日の目的地であるクリエスに向かっていた。
この様な旅で馬や馬車を利用するのは先ずは高い地位を持つ者や富裕層、それから任を負った騎馬兵、それ以外では体力の無い女性や子供、老人が殆どであった。それはつまり『男子たる者は自らの足で大地を踏みしめ、何処へだろうとどこ迄も艱難辛苦を乗り越え其処へ至るべし、それが出来ない男は男じゃ無い、ああ不甲斐ない…』そんなツラい社会常識の中で男は生きていた。
まあ世界の何処に行ったって旅の基本は徒歩だった時代だが、この国では、いや近隣諸国も含めて五体満足な男が馬車に乗っていれば軟弱であると思われたのだ。
ちなみに馬車を所有しているのは一部の富裕層だけで、経済的に余裕がある家でも使用する頻度が低ければ、必要に応じて馬や馬車を借りる方が当然経済的と言えた。
正直言って2人も馬車を借りるのが一番都合が良いのだが、女だけの旅を頻繁にしている事を宣伝するのも好ましくないので、たまには乗り合いの馬車に紛れなくてはならないのも仕方がないことだった。やはり世間の常識としては、女だけの旅は危険な行為とされているからだ。とはいえ、ウレイア達には当てはまらないのだが…
この馬車のように用心棒が随伴していれば小悪党相手には牽制になるだろうが、もしも相手が組織立った盗賊団であれば乗り合いの馬車が楽な獲物であることに間違いはない。
だからこそこのような馬車をはじめとして、旅は明るい時間帯の移動が基本になっている。暗い中での移動で一番恐ろしいのは、道に迷うことでも野獣でも無く、欲望に貪欲な人間達なのだ。
もしもこの馬車が盗賊共の襲撃を受け、もしも用心棒達が対処出来ない状況になったとしたら、残念だが盗賊とこの馬車に乗っている全員は悲運に見舞われる事になるだろう。その時の犯人役は勿論、盗賊達に演じてもらおうとウレイアは思っている。
「皆様、本日お昼頃に立ち寄る村は食事ができる店も少なくご不便かと思います。昨日と同様に粗末ではございますが、お食事のご用意をさせていただいておりますので是非ご利用下さい」
丁寧にモーリーが説明を終えると、皆が手を挙げて食事を希望した。
こればかりはしようがない、不審…と言うか、不思議に思われないように2人も頂くべきだろう。もっともトリーはそのような事とは関係なく食べる気満々のようだ。
「昨晩は良くお休みになられましたか?」
モーリーが気さくに話しかけてきた。
「はい、十分に。モーリーさん達は昨夜はどちらにお泊りになったのですか?」
「私達従業員は、それぞれの町や村に決まった宿が有ります。翌日の支度などにも都合の良い宿でないといけないので…」
そう言うと火の入っていた火鉢に大きな鍋を置いて見せた。それは火鉢に被っているゴトクにぴたりとはまるようにようになっていて、馬車が揺れてもはずれないようになっている。
「今から温め始めないと間に合いませんので」
今ではひとつひとつに興味を示すトリーの反応がすでにクセになっているようで、自分の仕事にわざわざ注釈をつけてくれるようになっていた。
「昼食が楽しみですねっ?お姉様」
「そうね」
人は緊張していると普段よりおしゃべりになったりするものだが、乗り合いの旅も2日目になると顔を知っているというだけで警戒心も薄れていく。面通しの済んだ者同士のリラックスした雰囲気の中で、昨日にも増して静かに、そしてゆっくりと景色が流れていった。
トリーもウレイアの膝枕と馬車の揺れを満喫しているし、ウレイアはいつも通りに本の世界を出たり入ったりしている。
気が付けば陽も高くに昇り、ピクリと建物を感じ取ったトリーが不意に起き上がると満足そうに伸びをする。
「んっんんー、ありがとうございました…お姉様、天国でしたー」
「そう…」
例によって馬車は道から少し外れて、細い川の側に停車した。乗客は馬車を降りると食事を受け取って思いおもいに散って行く。2人も食事を受け取ると、他の客から離れて川岸に腰を落ち着けた。
「今日のメニューは豚肉のトマトソース煮ですね。お肉がすごく柔らかくなってますよ?」
「そうね」
ウレイアはここで、口調を改めて話し出す。
「ところでトリー」
「どうかなさいましたか?お姉様」
「明日にはエルセーと会う事になるけど、今の彼女は『オリビエ・マリエスタ』よ。他の人がいる時には間違ってもエルセーと呼んではいけませんよ?」
「はい…オリビエ様、ですね。大丈夫です、安心して下さい」
「そう?ならいいわ」
この自信が何を根拠にしているのかは分からないが、とりあえずはこの子を信用しておくことにした。
「あと一応言っておきますけど私の名前は…」
「ベオリア様ですよねっ?解かってます。でも…私にとってはやはりお姉様です。『お姉様』が、お姉様のお名前です」
「そう…ま、まあ、いいわ」
「でも…『ウレイア』と言うお名前も素敵ですよね。やはりエルセー様に頂いたのですか?」
そうトリーに問われると、ウレイアはふと懐かしむように僅かに微笑んだ。
ウレイアにもエルセーに拾われた時に与えられた名前があった。この名前を知る者は本当に僅かで、この20年余りはベオリアで通している。
「そうよ…まあ、国を変える度に名前も変えてきた私には、名前の意味も価値も随分と薄れてしまったけど」
「ううむ…お姉様はクールと言うか、ドライですよねー?」
「そう…?」
「そう言えば、ええと…オリビエ様が結婚されたお相手はどんな方なのですか」
「相手はネストール・マリエスタ。ハルムスタッドの元貴族の家系で、商売で成功した今でも爵位は持っているようね。たしか侯爵だったかしら……」
「ほほーう…もしかしたら、オリビエ様は侯爵家を隠れみのとして利用しているとか?」
「良い案ね、でも違うと思うわよ。僅かの間ならともかく、20年…ただの人間と暮らし続けるのは並大抵では無いし、なにより、実は随分前に貰った手紙には『彼を愛してしまった』と、はっきり書いてあったのだけど…」
トリーの表情には困惑が浮かぶ。
「そ、それは、なんと言うか……お姉様にまでそうおっしゃるならば……」
「ただあの人の場合は言葉どおりに……いえ、言葉を理解するだけでは十分とはいえない厄介な人だった。まあ……ワザとそうしていた節もあったけれど、私を鍛えるためにね」
エルセーの結婚は、ウレイアがエルセーから距離を置くようになったきっかけにもなった。
「お姉様も言葉の端々から相手の心理を常に想像するようにと、教えてくださいましたよね?ただ、お姉様はド直球ですけど」
「きっとあの人に育てられたせいね」
エルセーの結婚に怒りと言うものは無かったし、蔑んだわけでもない。ましてや悲しみでも無くむしろ彼女らしいと思ったほどなのに、何か理解はしても納得が出来ない、そんな気持ちの上だけの理由で、決して嫌いになれない相手に対して目と耳を背けて聞かなかった振りをすることしか出来なかった。
それでも、ウレイアの気持ちの整理が付くまでの間、エルセーは黙って待っていてくれていたのだ。あの時、トリーがエルセーに逢いたいと願ってくれたことでウレイアは救われた。
そして馬車の長い旅は、エルセーの前に立つ心の整理と覚悟のための時間をウレイアに与えてくれた。
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