第22話 旅をするには 4
モーブレイを出てしまうと目に写るのは果てしの無い草原である。街道を進んでいればチラホラと他の旅人とすれ違うこともあるが、旅を共にする者もいなければ五感に伝わってくるものは全てこの自然界の在りようだけである。
その世界に身を投げ出して黙って進んでいると、この世界では自分は小さくありきたりで少しも異質では無い、自分の存在をそんなふうに感じることが出来る。そして遠くを望めば、世界を覆いつくそうと拡がっていく自分の心を感じることが心地良かった。
もっとも乗り合いの馬車に身を置いている今回は色んな雑音を覚悟しなければならないのである。
馬車は今日の宿泊地であるハウィックに向かっているが、そこまではまだたっぷりと半日以上ある。こういった長旅の秘訣はどれだけ上手に暇を潰せるか、もしくは上手に呆けられるかだろう。
トリーはすっかりうち解けたモーリーとの会話に夢中になっているが、ウレイアは今回の場合でも本だ。彼女は本が好きなのでは無く、そこに込められている知識が必要なのだ。
彼女達の能力は想像力に強く左右される。後は単純に『出来る』ということを疑わないこと…消極的な言いようだが、『信じる』では無く、『疑わない』と言うのが一番正しいと思う。
言ってみれば心の中にある力を自分の意思で顕現させるというのがウレイアの認識なのだが、もしも自分の能力に不安や疑問を感じると、その効果は著しく低下したり、場合によっては発現も危うくなってしまう。また一度その状況に陥ってしまうと元に戻るのは容易な事では無い。だからこその『疑わない』ということになるのだ。
基本的には強く願うだけでも効果はある。それは只の人間達も自然に行っていることだが、あまりに小さくて不安定な奇跡は偶然で結論が着いてしまうものだ。
彼女達は蘇ってからしばらく、相次ぐそんな偶然を体験することで自分の能力を認識することになる。
だが1人きりでは弛まぬ探究心を持ち続けるのも難しく、すぐに壁にぶつかり、後先を考えずに中途半端な能力を奮った結果、誰かに殺されるのが大体なのも当然の結末だった。
しかし幸運なことにトリーにはウレイアが、ウレイアにはエルセーという最も得難い師がいた。自分を庇護し、必死に向き合って得られる100年分の経験を10年で与えてくれた。
そしてどうやって強く安定した力を得るかと言うと、あくまで理屈っぽいウレイアの話しに戻れば、彼女はなぜ火が燃えるのか?なぜ音が伝わるのか?木はどのように腐るのか?あるいは心臓はどうやって動いているのかを自分なりに理解すれば、止める方法とそのイメージは強く疑いようの無いものになる、とウレイアは考えている。
その為の知識をウレイアは本に求めてきた。彼女の弱さを補ってくれるのは知識であり、知識を深めることで今も強くなり続けていることを彼女は『疑わない』。
もっとも、あなたは知識を得て強くなりなさい、そう教えてくれたのはウレイアを育てたエルセーに他ならない。
「お姉様っ、モーリーさんがお食事も用意してくれるらしいですよ?」
「何?ごめんなさい、聞いていなかったわ」
トリーの場合は危険で効率も悪いのだが、様々な実体験から学び取っていくタイプのようだった。
「あれ、お珍しいですね……?ええと、もうしばらく行った所で休憩のために停車するそうなんですが、お願いすれば簡単なお食事を用意していただけるらしいですよ?」
「ああ、まあ…もともと食事付きのチケットですからね」
「いえいえ、違いますよ、そう言う意味では無くて、モーリーさんが作ってくれるお料理に興味があるのですっ」
「そう…なら、お願いしておきなさい」
ウレイアがそう答えるとモーリーはトリーの注文の手間をはぶいた。
「それでしたら停車して直ぐに召し上がっていただけるように準備させていただきます。お2人分ですね?」
「いえ、私はいらないから1人分にしてちょうだい」
「はい、お1人分ですね」
そう言うとモーリーは魔法の箱の下に設けられた引き出しに手を掛ける。もちろんトリーはそれを見逃すまいと身体を捻りあげた。
今日の宿泊地であるハウィックに向かう馬車は残り30キロ程手前にある小さな村に立ち寄る。
この時代、街道と言っても大きな街から離れれば何も敷設していないのは当たり前、人が移動しやすい地形を選んで往来しているうちに下草は擦り切れ、土が踏み固められ、やがてそれが『街道』となる、まるでどこかで見た人生訓のように……さらにより安心して旅が出来るようにと、2〜30キロ置きに身体を休める事の出来る村が点在するようになった。
しかし村と呼ぶにも格好のつかないのが本当で、大体は10軒前後の建物しかない部落といった所がほとんどである。当然整然とした区画整理も無く、馬車は適当な場所に停車した。
モーリーは停車してトリーが降りるとすぐに料理を乗せたお皿を差し出した。皿の上には小ぶりな鶏肉のソテーと野菜、一切れのパンが載せられている。ちなみに旅の休憩所なのだから宿も食堂もあるにはある…がしかし、おそらくこのモーリーの手料理に勝るものは出てこないと容易に想像できる。
「この程度の簡単なものしかお作りできませんが、どうぞ召し上がってください」
「いいえ、とても美味しそうです。ありがとうございます」
トリーは受け取った皿を持ったまま辺りを見回した。
「お姉様、あちらの見晴らしの良い所で休みましょう?」
村は南向きの傾斜地に造られていて、日に向かって緩やかな斜面をどこまでも見下ろせる立地だった。
「すみません、ちょっとだけ持っていてくださいますか?」
ウレイアに皿を渡すと、トリーが脇に抱えていたブランケットがふわっと草の上に広がる。
「どうぞ、こちらに。お姉様……」
ウレイアは皿を返すと促されるままブランケットの上に腰を下ろした。
合わせる焦点も無い景色を漠然と受け入れてみると、目の前の繰り返し隆起している草原は見渡す限りの海原の様で、風にそよいでぶつかる小さな森は遠くに浮かぶ小島に見える。時おり強い風が長いウレイアの髪ももてあそんでいくが、陽射しは暖かく耳障りなものも目障りなものも無く、心の内も自然と凪いでいった。
「ふうん、なかなか気持ちが良いわね…」
「そうですね。しかもかわいい愛弟子からはー、はい」」
手を添えて控えめに差し出された鶏肉のソテーにウレイアは仕方なくひと口だけ付き合った。
「!、あら、なかなか…」
「そうですよねっ?マリネしてあった鶏肉をソテーしただけなんです。保存と調理の手間を考えた旅にぴったりのメニューですよね?」
さらには新鮮な空気が料理の味をより美味しく仕上げているのは間違いない。
「ところで…エルセー様はどのような場所にお住まいなんですか?」
そう聞かれてウレイアは意識を遠くへやるような目をした。
「……知らないわ。最後に会ったのは20年以上前かしら……その後に結婚相手の家に移り住んでいる筈ですよ?」
「そうなんですか……はあっ?!えっぇええええええっ??結婚っ?、結婚っておっしゃいましたかっ?!」
皿をひっくり返しそうな程の衝撃を受けたトリーはウレイアでも記憶にない様な顔をした。
「そうよ」
「そ、そ、そ、それはっ、だんっ……!」
慌ててトリーは声を絞る。
「それは…人間の男性と言うことですよね?」
「そうよ」
「?……!…?…?!?」
困惑と嫌悪の入り混じった感情と、ウレイアの育ての親に対する尊敬を全て足して割ると答えはどうなるのか?トリーは懸命に考えた。
「そんなことあるのですか?」
「んー、話しに聞いた程度ならあるかしら……長く生きているとそんな事もあるのかしらね?なぜかそれも彼女らしいと思ったりもしたけど…」
「でも、男性となんてっ…それにそうなると……そのお相手にもお会いするという事ですよね?」
「そうね」
途端にトリーは不安で表情を曇らせる。
「まあ、私達が居づらくなる様な事をする人では無いから安心なさい」
「は、はい…でも驚きました。確かにそれが本来あるべき姿とは思いますが……自分でも最近特に感じるんです。普通の人?…と自分の間のすごく深い隔たりみたいなものを」
自分の特別とも言える『力』を頭での理解も超え魂にまで刻まれる頃になると、生物としてそれはごく自然な感覚として感じられるようになる。そして『人間』に対する感情は徐々に希薄なものになり、動物どころか物を見るような自分にふと気が付くようになる。
「それは自然なことよ。良い事なのかは分からないけれど」
「だから…尚更驚いたんです」
「でしょうね……まあでも、私やあなたの知見の広さなんて、世界に比べればここから見える景色程度でしょう。だからエルセー以外にもいるかもしれないし、それが当然な国もあるかもしれない。世界は広いのよ?トリー」
「まあ…そうかもしれないですけれど……お姉様は世界を隅々まで見たいのですか?」
「え?ふうむ、どうなのかしらね?」
「世界の端まで行くと何があるのですか?」
「答えてあげられないわね、行って来た人がいないのだもの」
「うーん、じゃあ…エルセー様にお会いした後は、そのままどこまでも行ってみますか?」
「!、面白いことを言うわね?」
「お姉様が居て下されば、どこでも一緒ですから」
「そう…」
トリーの無垢な笑顔にウレイアは微笑んだ。
「まあ、まずはエルセーの所ね。そろそろ馬車に戻りましょうか?」
「はい、お姉様」
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