第19話 旅をするには 1
「うっふふーん、ふふーん……」
2階からは上機嫌なトリーの鼻歌が聞こえて来る。『思い立ったが』とばかりにトリーに急かされてエルセーに手紙を送ったのが3週間前、還ってきた手紙には『愛しい娘へ』という頭語の後に『今すぐに出立しなさい』という文頭、その後にはウレイアを急かす内容の文章が綿々と綴られていた。
ため息をつきながらすぐに出発日をしたため送り返すと、その6日後には『既に迎える用意は整った』と還って来る。この6日間というのはエルセーが住んでいる場所を考えると最短であった、いや、受け取って返事を書くことを考えると1日が何処かに消えている、呆れたことにせっかちが限界を超えたのだ。
ウレイアは用事を片付け、乗り合い馬車の手配りをし、慌ただしく明日の出発を迎える。トリーはその支度の真っ最中というわけである。
この家の2階には30平米程の寝室が3つ、それから階段を登るとすぐに10平米程のクローゼットがある。ウレイアはトリーを連れ帰ってから空き部屋に自分と同じベッドを置き、デスクとワードローブ、ドレッサーまで自室と全く同じ家具を納めてトリーに与えた。
「トリー、入るわよ?」
「おっ?お姉様?」
普段あまり立ち入らないトリーの部屋を覗くと、ウレイアの想像通り部屋の中は旅の支度でごった返しになっている。
(やっぱり……)
「どうされたのですかお姉様?私の部屋に来てくださるなんてっ?とにかくどうぞどうぞ、早く入って下さいっ」
トリーは取り逃がすまいとウレイアの二の腕を掴んでグイグイと自室に引きずり込んだ。所狭しとベッドの上に散乱していた服をぐいっと押し退けると、ウレイアを座らせてから身体を寄せて自分も腰掛ける。
「…………」
そして何か期待を込めた眼差しでウレイアを見上げた。
「ああ…私が来たのはね……」
「はい…っ」
「昨日私が、『今回は乗り合いの馬車で行くから』と言ったのはね…?」
「はい?ええ、おっしゃってました」
「乗り合いの馬車はスペースが限られているから、荷物は絞って少な目にしないと……という意味も含まれていてね」
そう言いながらウレイアは部屋の中に広げられた『荷物候補』を眺めていた。
「!!…もっもちろん、分かってますよっ、だからほら、ど、どれを持って行こうかなーって取り敢えず出してみてですね……」
そう言うトリーの後ろには、荷物がぱんぱんに詰まったソーセージの様なバッグがひとつ、既に転がっている。
「寝間着にお出かけ用にディナー用に…もしかしたら乗馬服もいるし、ええと……ううむー、もう持っていきたいものがいっぱいで……」
「困っている割には楽しそうね?」
「それは当然です!お姉様との旅が楽しくない筈がありません。しかもお姉様のお姉様にお会いできるのですから!失礼の無いように考えるともう……」
ウレイアの育ての親であるエルセーのことを思うと期待と喜びと緊張で、居ても立っても居られない数日を過ごしていた。
「エルセーは寛容な人よ、それに人の内面を見抜くのも得意な人だから着飾っても無意味なの。ありのままのあなたを見せれば良いのよ、それで十分」
「ありのままって、こんなまま?」
「そんなままよ…」
「そんなままって?こんなままをありのままにお姉様のお姉様に?お姉様はお姉様のお姉様にありのままをそのまま見られてもお姉様のお姉様は愛しいお姉様を可愛いと思ってくれるかもしれないですが私はお姉様のお姉様にこのままありのままをお姉様のお姉様に………うにゅっ?!」
ウレイアがトリーの口を摘み上げる。
「あたたた…ほ姉さみゃ……?」
「誰も頭の中で早口言葉に挑戦したいとは思いませんっ」
「す、すいません…これからは『エルセー様』で…」
「あなたらしく無いわよ、トリー?とにかく必要な物は向こうで揃えることも出来るし、あなたも旅には慣れているのだから何が入り用かは分かるでしょう?」
2人はウレイアの生業の都合もあって他の土地に足を運ぶことも多かった。長い旅は『冒険』と言った方が良い、ただ2、3日の移動くらいは日常の範ちゅうで、定期的に馬車が行き交う範囲で時間を選べば野盗に狙われることもあまり無い。もっとも特別な『力』を持つ彼女達にとっては、人の多い街なかを散歩するよりも『冒険』の方が余程気楽なものだった。
「でも今回はやっぱり特別です、エルセー様にお会いしたいとは言いましたが私を気に入っていただけるかどうか……」
「そんなもの関係ありません、エルセーが気に入ろうと入るまいとあなたは私の弟子です。気にすることではありませんよ?」
「お姉様……」
トリーは軽くウレイアにもたれると傍にあった服を取った。
「この服も、このベッドも…ここに有る物全ては、お姉様が私を想って与えて下さったもの……お姉様の愛にあふれたこの部屋で過ごせる私は、幸せ者です……」
「そう…そう思ってくれるのなら私も嬉しいわ………でもねトリー、その服は初めの頃に買って上げた物でしょう?もう小さいでしょうしいくら何でもお捨てなさいな?他にも古いものがいくつも……」
「だっダメです!どれも私の宝物なのですっ、こ、こればかりはお姉様のお言いつけでも…」
慌てて守るように服を抱えるとトリーは縮こまる。そんな姿を見せられてはウレイアにもなす術も無く、そっとトリーの頭に手を置いた。
「そう……全てあなたの物だもの、好きになさい」
「わたしの…」
そう呟くとウレイアに抱きついて黙りこんだ。ウレイアは子供をあやすようにトリーの頭を撫でた。
「………さて、私は何かエルセーに持っていける物がないか買い物に行くけれど、あなたも一緒に行く?」
「買い物?」
ぴょこっと顔を起こしてウレイアを見た。
「行く行くっ、行きましょう、お買い物!あ…でも……」
2人の周りには変わらずに物が散らばっている。
「戻ってからにしなさいな?」
「ええと、お姉様のお言いつけとあれば、仕方がないですね?では……」
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