第20話 旅をするには 2

 見渡す限りの草原、どこまでも続く丘陵地帯。隣国ハルムスタッドの広大な領地の殆どは緩やかな丘の続く平野がただ延々と広がっている。


 ペンズベリー王国領との境には沿岸部を除いて低い山脈が連なっており、その山脈の南端、国境にほど近いなだらかな裾野にポツンと、しかし2階建ての豪壮な邸宅がある。


 北に山を背負って南にどこまでも裾野を望む大きな屋敷で、蜜色の石で統一された外装はよく見れば繊細な彫刻があしらわれ、豪華で慎ましいという相反する佇まいを見せる。


「オリビエ様」


 境など分からない庭園のベンチに腰掛ける女性に身なりの整った中年の男が声をかける。


「3日後のクルグスに馬車の手配をいたしました」


「朝ですか?」


「はい」


「ありがとう、リード」


 女性は握っていた2枚の小さいコインを傍らに置くと、目を細めてカッシミウの方に目を向けた。






 翌日の朝、陽が登るとすぐに出発する馬車に合わせて、ウレイア達は暗いうちに家を出なければならない。しっかりと身支度は済ませた、昨日詰め込んだ荷物は玄関に置いてある、結局トリーの皮袋はパンパンのソーセージのままだ。さてそろそろ


「トリーっ行くわよ、そろそろ下りてらっしゃい」


「はいはい……っ、お待たせしてすいません」


 ぱたぱたとトリーが階段を下りてくる。


「あら?あなた外套は?」


「あっ、いっけない…すいません、すぐ持ってきますっ」


 旅をする時の服装として、『外套』はとても便利なものだ。厚いウールの外套は雨風や寒さを防ぎ、体を休める時には敷物にも毛布がわりにもなる。なにより女の身では姿を覆って隠せる服装は大切だった。


「お待たせしました。さあ、早くエルセー様にお会いしに行きましょう」


 袋小路から出て適当に小路を右に曲がって少し歩くと、広場へと真っ直ぐ続く通りに出る。その交差点を左へ、しばらく進み警備詰所を過ぎた辺りで広場を遠くに見ることができる。


 広場は旅の出発点であり、早朝から客を待つ馬車やその客を見込んで色々な露店や売り子が賑やかに声を上げていた。


「お姉様これはっ?!今日はまた馬車がいっぱいでどの馬車か分かりませんね?」


「あの紫色の旗が立っている馬車ですよ」


 馬車の各業社は客が迷わないように、それぞれの色の旗を馬車に掲げている。馬車を見つけた乗客はその前に立っている御者に確認して、代金を支払った証明書を見せれば乗ることが出来るという仕組みだ。


「おお…!大きな馬車ですよ?お姉様っ」


 2人が乗る馬車は5頭引きの大きなもので、荷を入れることが出来るベンチがゆったりとしたスペースで4列据え付けられている。御者は2人、侍女が1人、そのうえ食事と用心棒まで付いて安い馬車と馬を貸りるよりも贅沢な料金となっていた。


「これは、随分と楽できそうです……」


「帰りは日取りを決めていないから、こうはいきませんよ?」


「はい、こんな旅も素敵ですけど、本当は2人だけの旅が一番好きです。帰りは2人でのんびり戻りましょう?」


「でも女の2人旅なんてあまりに目を引くもの。噂になっても面倒だからたまにはこんな旅もしないと…」


 苦笑いをしながらウレイアはため息をついた。誰でも無い、ウレイア自身が乗り合いの馬車は面倒で好きでは無いからだ。


「はあ…2人だけの方がよほど安全なのだけど……」


 言っているそばから2人に御者が近づいて来る。


「皆さんお揃いになりましたので、ご乗車次第出発いたします」


「わかりました。乗るわよ、トリー」


「面白くなりそうですね、お姉様?」


「あなたのような性格が羨ましいわ」


 馬車は12人乗ることが出来ると聞いていたが乗客の数は7人、2人は最後列に座ることにした。


「見てくださいお姉様、面白いですね?」


 2人の後ろにはスペースが設けてあり、侍女の椅子と小さな火鉢が備えられていて、お茶程度であればいつでも淹れられるようになっているようだった。


「それではお座りください。出発いたします」


 手綱を持たない御者の言葉に合わせて馬が歩き出すと、馬車はギシギシきしむ音と共にゆっくりと動きだした。


「乗り合いの馬車もたまには乗っているのに…少しどきどきしますね?」


「わくわくでしょう?」


 トリーは少し興奮気味に言った。ウレイアはまだ楽しめるほど余裕はない。乗客の中に怪しい者はいないようだが、それでもしばらくは監視の為に気を抜くわけにはいかないだろう。すると声を潜めてトリーが言った


「私もお手伝いしますから、お姉様も少し楽にして下さい」


 『監視』している事に気付いた頼もしいトリーの言葉に、ウレイアは彼女の頭を撫でた。

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