第12話 三人目の弟子 8
ストーカーを引き連れた女の足取りは迷うことなく住宅街に入りペースを変えることなくカッシミウの散策を楽しんでいるかのようだ。一軒隔てたすぐ隣の通りでは警備兵が目を光らせている、これは運が良いということでは無い、一団との距離を詰めながらウレイアは確信していた。
『監視』のリソースを減らし『隠伏』を強めたウレイアに警備兵の目など意味は無い。たとえ目の前を横切ろうと少し風が頰をなぜた程度にしか感じないだろう。
女はやや歩調を緩めると辺りを見回しながら一軒のドアの前で足を止めた。と同時に、10メートルほど離れていた男2人はやや近づいて、物陰に潜んで周囲を警戒している。
実はウレイアはもう女の直ぐ後ろに立っている、あと一歩前に出れば息がかかるほどだ。
(ふむ…これでも気が付かないなんて……)
そしてドアに手を当ててブツブツと呟く様を見て、少しワザとらしくクスクスと笑った。
「!?」
突然尻尾を掴まれた犬のように女が振り返る。その表情に思わず吹き出しそうになったが、そこはもちろんぐっとこらえる。
(若いのね……)
フードからのぞいた女の顔はまだ少女と言っても良いくらいの容姿、見た目はトリーより少し上だろうか?まあ実年齢は分からないが……
目を凝らして辺りを見回しても仁王立ちしているウレイアに気づく様子は無い。少女、いや女は気をとりなおしてドアと対決している。やがてドアをゆっくり開けると、確認しながら家の中へと消えていった。
動かない男達を観察しているとやはり何か合図を待っているようだ。すると少し空いたドアから白い手がにゅっと出て、指で招くような合図を送ってまた消えた。
そのタイミングを見てウレイアはごく小さな水晶のかけらを彼らの足下に放った。すると男達はびくっと震えてその場に硬直し、ヒューヒューと喉を鳴らし動かなくなった。ウレイアは彼等の脳に至る幾つかの神経を軽くつまんだ、見えざる手の様なものと言えばいいだろうか?水晶の効果の範囲内に居る限りもはや彼等になす術は無い。
男達は今、四肢を締め付けられ、口も目も、耳までもふさがれて呼吸以外の何も許されない。いや、不感の世界で不安と恐怖に震えることは許されている。はたして彼等の精神がいつまで悪夢の世界で耐えられるのか、ただウレイアはそんなことを気にもしないのだが。
ストーカーを処理して女の後を追って行くと、家の中は静まり返って住人の寝息しか聴こえない。どうやら住人を目覚めないようにしているようだ。
(ふうん、こんな事は出来るのに……?)
そのまま奥へ進むと、子供の寝ている一室で女は男達が入って来るのを待っているようで、腰に手を当てて子供を見下ろしていた。
「お連れさんは来れないわよ……?」
「ッ!?」
女の息が止まるっ!血相を変えて振り返ると何も無い空間を睨んで固まった。
何も無かった空間をグッと凝視してから瞬きをした瞬間、見失っていたものが姿を現す。黒いヴェールを全身にまとった女っ、その姿に忘れていた息を飲み込むと問うよりも先に左手を見せて凄んだ。
「眠れっ」
すぐに女は言い放つが、ウレイアは軽く手を口にあてたまま黙って立っている。
何故?という思いと危険だと感じた女は次いで脅すように言って睨んだ。
「心臓を潰してやるっ!」
そう言って目に力を込める、その様子から察するに、おそらくはこの娘の精一杯の力なのだろう。
「まあ、残酷ね……」
それでも空を割って現れたウレイアは胸に手を当ててクスクスと笑って見せた。
「おっお前は、誰だっ?」
自分では成すすべのない脅威、直感でそれを理解した彼女はどうすればこの場から逃げ帰ることが出来るのか、全力で考え始める。
「んー、今度は時間稼ぎかしら?私が誰かなんてどうでも良いのでしょう?」
「!」
しかし、つたないかけ引きで事態を変えられる筈もない。ウレイアから主導権を奪うにはあまりにも若すぎた。
「あなた、戻ってから何年?10年…15年位かしら……?」
「え…?」
女は意外な問い掛けに少し戸惑っている。
「な、なに?」
「ああ、ごめんなさい、これは個人的な興味ね?それより、なぜと聞くならば、なぜ私がここに来たのか…ではないのかしら?」
無防備に近づくウレイアの威圧感に女が後ずさる。
「な、なぜ…ここに来たの?」
そう言った目に殺意が見えた瞬間、わずかな光に反射して女の髪の中から何かがウレイアに向かって放たれた!それをウレイアは掌を向けて虫を払うように人差し指と親指で摘んで止めてみせる。
「毒を塗った針…?今のは良かったわよ、そう、スマートでさっきのよりずっと良かった。なるほど……カンヌキを外したり針を飛ばす程度は出来るわけね………?」
規格外で想定外な現実を見せられた女の目から僅かな希望が消え失せ、抵抗は無意味だと悟らされた。ウレイアは針を放ってじっとりと女を見下ろす。
「さっきの質問の答えだけど…あなたを捕まえるつもりは無いわ」
途端に息を飲んで女が怯えた目をした。
「殺すつもりもありません。すぐにこの街から離れなさい…なるべく遠く」
「な、なんで……」
力では及ばないとは思いつつも、反抗と疑問の意思を目で語っている。
「人間が怯えて、うろたえる姿に少しは満足出来たでしょう?子供は売って趣味と実益を兼ねることが出来る、というところでしょうけれど……」
「え?」
「やめろと言っているわけでは無いし、怒っているわけでも無いのよ?ただもっと学びなさいな、どうせところ構わずこんなことを繰り返しているのだろうけれど、もっと利口になりなさい。そうでないと、長生きは出来ないわよ?」
「??…あ、アンタは一体?」
ウレイアの言葉に困惑し怯えているのか会話はまた振り出しに戻った。
「んん?どうも噛み合わないわね……?まあいいわ、とにかくこの街には私がいる、ここで悪さをするのはおやめなさい、分かった?」
「……」
女は黙ってうなずいた。圧倒されたまま気づかなかったが少し落ち着いてくるとヴェール越しなのに覗いた目は穏やかで、見つめていると澄みきった深い瞳の底に引き込まれてしまいそうだ。
「何?変な顔をして、ちゃんと分かった?」
「へ、へんっ?……分かったよ、アンタのナワバリではもう仕事をしない。でも……」
「でも?」
危険な『副助詞』である。ウレイアの語気が強くなったことを女も敏感に感じ取った。
「わ、悪いことをしなければ来ても構わない、のか……?」
「なぜ?遊興でこの街に通っているとでも言うの?」
「え?ゆう……なに?」
「……とにかくダメよ、この街には立ち入らないか、ここで死ぬかを選びなさい」
「だ…………なら…死、いや、もう…来ない」
すがって命を乞うどころか、ためらいながら不可侵を飲んだ少女にウレイアは僅かな違和感を覚えた。
「そう、では〝動かないで〟」
「ッ!!」
ウレイアの言葉を耳にした途端に自分の意思とは無関係に自分の身体が動きを止める。
(なっ?!なに……っこれ……??)
動かない……いや動けない、動いてはいけない、自分のものでは無い強迫観念に強く支配される。
唖然とした表情を見せる彼女にウレイアは小さな水晶のかけらを見せると、右手の中指と人差し指で挟んだ。
なすがままに空を仰いでいる女の頬に左手を添え、反対側の首すじに水晶をそっと押し付ける。
「い?痛…っい……」
「もしも、あなたが私のことを誰かに伝えようとすれば、あなたの首から上は獄炎に焼かれて死ぬことになるわ、よく覚えておきなさい」
「……」
生かされる対価、それと知っていて疑いもせず彼女は受け入れる。むしろなにか大切なものを貰えた…そんな感情さえも感じていた。
「外の2人も連れて行きなさい、まあ少し正気では無いかもしれないけれど。そのあとは、あなたの好きになさい」
「なら私にっ…」
すがるように言いかけた言葉をウレイアの目を見て飲み込んだ。いつの間にか身体も自由を取り戻している。
「私と私の言った言葉を刻みなさい。そしてできれば、長く生きなさい」
静かに離れていくウレイアの姿は瞬きの度に明滅して残像を引きずりながら消えていく。
「待って…わたしはエルシー、まってっ……」
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