第3話 なのらない女 3

 半月後、カッシミウのパブリックバー



 首都モーブレイから東へおよそ30キロ、海を望み大きな湾にぶつかると海運と商業の街、カッシミウを見つけることが出来る。


 街はしばらく国葬に伴って喪に服していたが、もとより物流が止まる事は無く、数日前からは徐々ににぎわいも戻ってきていた。


 人や荷馬車が行き交う一番活気のある大通りの目立つ場所には、一軒の古いパブ『レーベル』がある。石壁が建ち並ぶこの大通りの中にあって、漆喰の壁を太い柱が抱きかかえて踏ん張っている姿は、今さら変えることの出来ないこの店の看板となっていた。


 その古いパブの一番奥まった席で、いま読み終わった本を膝の上に置いたひとりの女がうつろな視線をまき散らす。


(ふう、もう少し…厚い本を持って来れば良かったかしら?)


 白い薄絹を頭からかぶり、その薄絹を幾重にもふわりと巻きつけ重ねたようなドレスを纏っている。


(もっとも、待ち合わせる場所を私が直前に知らせたからなのだけど…)


 この街も、そしてこの店も随分と賑わうようになった。静寂を好む彼女は常連というわけでもないが、ずっと以前、オープンしたての落ち着いた雰囲気を思い出しては懐かしく浸れる自分を少し意外に感じていた。


「!」


 突然女は何かを察してピクリと首を動かした。動かした頭をゆっくり戻してため息を追加する。いやため息では無く、呼吸を整えたのかもしれない。とにかく女が息を吐いてから数分すると、男がひとり店外を確認してからレーベルに入って来た。彼が彼女を待たせていた人物である。


 男はいかにも颯爽とした様子でフロアを進み、けして多くもない客を目で物色するように見ている。その有り様に女は呆れてクビを小さく振った。仕方がないのでそのよく回る首がこちらを見たタイミングに合わせてテーブルを軽く叩いてやった、それは彼女からの『許可』でもある。


「おお……っ!」


(まったく……)


 早々に彼女が機嫌を損ねた理由は彼の『場所』と『目的』をわきまえない身なりと身振りが原因である。


「お待たせしてしまいましたね?」


 彼なりに着崩したつもりだろうが安物など身に着けられない安いプライド、まあそれはいい、しかしクビのリボンタイや胸にあしらわれた光り物、精巧な細工や質の良い宝石は目ざとい者が見れば家柄を想像したくなるだろう。しかもこれ見よがしにぶら下げてきた木の化粧箱は誰もがその中身に興味を示しそうだ。


 とかく貴族というものは自分を誇示しなければ存在が薄れて死んでしまうとでも思っているのだろうか?女はそれが鼻について不愉快に感じる、確かに体裁を整えればそれなりの器量もついてくるのかもしれないが、自覚の無い見栄は見ていて滑稽なものであった。


 取り敢えず彼は持っていた化粧箱をテーブルに置くと、背筋を伸ばして椅子に腰かけた。


「カッシミウまでのご足労、恐縮です…カレンベルク子爵……」


「いやあ、そんなにかしこまらないで下さい。まあ、大騒ぎになってから暫くは身動きが取れなかったが落ち着いた頃合いを見計らってコッチに逃げ出して来てね、実を言えば2日前からノンビリと海を眺めていたんだ、が…私の所在がよく分かりましたね?」


「………」


 彼は重職を担うカレンベルク侯爵家の長男、ジューダ・カレンベルク。歳は28歳、彼自身は子爵の爵位を与えられている。功名心が強く小ずるさを世渡りだと勘違いしている程度の人間、言わば非常に扱いやすい人物だ。


「本当にミステリアスな人だ、それ程の気品と美貌をお持ちで異質な存在感。まぶしいほどのゴールデンブロンドとスカイブルーの瞳、儚げな面持ち、例えるならすぐに溶けて存在の『境』を消してしまうかの様な、そう……透明でありながら何故か目を引く水面に浮かぶ薄い氷の様…では如何でしょう?」


 得意気に妄想を語っている間、女は眉尻をピクピクさせて殺意のこもった目で見つめていた。


(お前はその薄氷よりも薄っぺらいのねっ、もう死んどくっ?)


 などと聞こえてきそうだ。まあしかし取り敢えず


「結構なお手前で……」


 と、彼女としては死ぬ気でお世辞を口にした。


「とは言え……本当に不自然ですね?私が店に入った時はこのテーブルが目に入らなかったし、このテーブルに着いた時から誰も私を見ない。仕事である店員ですら目配せもしない。まるでこのテーブルと我々は存在していないようだ……」


「…………」


 ジューダは改めて店内を見回して女を見つめた。


「まあでも、我々には好都合ですね。コレは…お約束したモノです」


 そう言って男はテーブルに置かれた化粧箱を押して差し出した。彼女はその木箱を眺めて男の目を気にすることもなく軽くその表面を撫でる。


 一瞬箱は僅かに震えて男の目にはボヤけて見えたかもしれない。


「たしかに……」


 その中身は金貨がきっちり500枚、不審なモノも無いようだ。しかし男はすぐに確かめる。


「中を確認しないのですか?」


「信用していますよ……」


 女のささやかな微笑みにジューダは息を飲んだ。次いでポケットから小袋を出すと化粧箱の上に置く。


「そ、それからこちらは、3カラットのルビーの原石が5つ……そんなにルビーがお好きなのですか?」


 その問いかけにも女は微笑で答えながら袋をつまみ上げた。


「あら?3カラットよりは石が大きいようですが?」


「!」


 またしても中を見ずに今度は石の大きさを見透かされた。さすがに驚きを隠せないがその驚きを疑問に変えさせない何かが彼女にはある。


「さ、3カラットの原石を磨いたら半分以下になってしまうかもしれない、それに原石の大きさを揃えるのは少し面倒ですから……」


「そう」


 気のきく紳士を演じたいようなので少しだけ気持ちを込めた微笑みでねぎらって差し上げる。そしてその度に男は言い知れぬ高揚感を感じていた。


「あと…っ、これは私からの贈り物と思っていただければ……」


 そう言って上着の内ポケットから綺麗な小瓶を取り出して彼女の前に置いた。肩の膨よかな吹きガラスの小瓶で細やかな細工と炎が揺らめくようなデザインの蓋には蝋で封印が施されている。中には透明だが黄金色がかった液体が入っていた。


「ローズオイルですね?」


 しかも何度も蒸留を重ねた上質なモノ、触れもせず女は中身を言い当てた。しかしこれにはさすがに疑問が口をついて出る。


「本当に不思議な方ですねっ?まるで『魔法』のようだ!」


 思わず『魔法』という言葉を出した男に彼女はにこりと笑って自分の鼻の頭を指先で軽く叩いて見せた。


 それほど鼻が効くのだろうか?香りが漏れているようには感じなかったが………そんなことを考えているのが手に取るように分かる。それに初めて会った時から抱いている疑念がその濃さを増していることも。


 惑わせ誘導し、適当にチラつかせても答えは与えない。彼女はそれを楽しみ男の内面を弄んだ。ジューダは確かめたい欲求に責められながらがんじがらめになっていく、自ら口を滑らせた『魔法』と言う言葉に囚われそこから連なる禁忌の種族でアタマがいっぱいになる。


「くす……」


 愉悦の嘲笑。


 初めて見せたその表情に男は肩がすくみ、その魅力に全身が総毛立った。これ程胸が高鳴ったことなど記憶に無い。


「しっ、しかし……何故貴女の『言葉』を疑わなかったのか、あんな荒唐無稽な『提案』を飲んだのか…私は今だに霧の中を彷徨っていますよっ」


 ジューダは小さく頭を振って何かを振り払うように喋り出した。


「そして驚いた、いや、驚愕した。誰の目にも疑いようも無く事故と納得せざるを得ないのに……貴女の言った日付けと時刻に偽りは無かった……」


「くす……」


「あ、あの夜はずっと眠ることが出来ずに橋の方を睨んでいましたよっ、一体、どうやって……?」


「何を言っているのか……あれは可哀想な、不幸な事故でしょう?違うの?」


 笑みを含んだ呆れた顔で彼女は男をたしなめた。ならばもうそれ以上、彼に真偽を確かめる事は許されない。


「あ……い、いえ、失礼しました。確かに、そうですね、明らかに事故…でした……」


 何故か罪悪感にさいなまれる、否定をされると居た堪れなくなる。自分が愚かなのだと認めたくなる。あり得ない感情の起伏に困惑するばかりで自分が解らなくなる。


 男は懸命に振り払い、リセットを試みる。


「き、聞くところによると、この店は140年ほど前の建国の折に交易の要所として造られたこの港町、カッシミウに初めて作られたパブだとか……王国の中でも歴史のある店のようで…もしかしたらあなたもその…常連なのですか?」


「……」


 彼女は顔も変えず何も語らない。


「いや…貴女を探ろうとしているのでは無く、いやそうでは無いか……差し障りのない事であれば貴女のことを教えて欲しい、それが本音です。何しろ偽りでも名乗って頂いていない、顔は見えても今も貴女はヴェール越し、その姿勢を崩して頂けない……」


「お好きにお呼びなさい、あなたの言う通り私がここで名乗った名前に意味は無い。もしもあなたに、如何なる代償も厭わない覚悟があるのなら何かが変わるかもしれないけれど……?」


「!、それは……」


「あなたにとって私は何の意味も持たない存在、今回起きたことは事故に他ならないし、もし背負いきれない秘密を抱えてしまったと思っているなら……安心なさい、たとえ神でもその秘密は暴かせないから」


「!!、か、神を相手取って『暴かせない』とは……」


 男は不快感では無く尊大とも傲慢とも取れるあまりの言葉に驚いた。『神』とは『人』も『法』も『万物』も超えた存在であった。


「あら?ごめんなさい、信心深い方だったかしら?」


「いや……」


 彼女にとって『神』は畏れる対象では無い、それだけは解った。

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