第3話

 東京で汽車を乗り換え、大阪からは海路となった。貨物船の船蔵に、ただ詰め込まれたという感じだ。

 そして玄界灘でいよいよ祖国を離れる。まずは天皇陛下へのお別れの挨拶としての「捧げ筒」である。初めて日本を離れる豊吉にとって、これから行く所がどんな所か、皆目見当もつかなかった。

 日本も暑かったが、大陸の暑さも半端ではなかった。だが、空気が乾いている分だけしのぎやすく、炎天下は耐えられないほどの陽射しでも、日陰に入るとひんやりしていた。船酔いでふらふらしながらも天津の外港の塘沽に上陸した部隊は、すぐに北平へ向かう貨物列車に乗せられた。だが北平までは行かず、北平の南郊四十キロほどの所に第十四師団は駐屯した。

 豊吉の目にとって、何もかもが珍しかった。田舎の風景もどこか乾いていて、湿潤な日本のそれとは明らかに異質である。一面の畑で、水田は見られない。視界をさえぎるものは何もなく、家も煉瓦を重ねて土を塗った壁がほとんどのようだった。

 異国に来たという実感が、ようやく沸いてくる。しかもここは、孔孟の国である。李白や白楽天と同じ空気を自分は吸っている。

 しかし自分たちは、物見遊山に来たのではないと豊吉は身を引き締めた。ここはどこまで行っても敵の国、すなわち自分たちは今敵の真只中にいると言ってもいい。そこはもはや、戦場であった。


 駐屯してすぐに、現地における再度の初年兵教育が始まった。まずは服装、整列、徒歩訓練などの教練で、内地にいた時よりもずっと実践的な訓練内容だった。

 豊吉にとってそれよりも何よりも恐かったのは、自分が生まれて初めて人を殺したことである。下士官は銃剣術の教育の一環として、また度胸をつけさせるための訓練として、たくさんの中国人の捕虜を連れて来た。

「こいつらは暴虐目に余る『支那』軍の兵士たちだ。今日、こいつらを処刑する。おまえたちの手でやるのだ」

 豊吉は背中がゾクっと動いた。戦争に行くのだからいつかは人を殺すことにはなるだろうと覚悟をしていたが、ついにその日が来た。捕虜は二十人ほどいて、兵士とはいったが中には女もいる。豊吉と年齢的には変わらないようだ。

 紐で縛られながらも、彼らは黙っていない。何か盛んにわめき散らしている。豊吉はその姿を見て、これならやれるかもしれないと思った。彼らがわめけばわめくほど、何を言っているかかがさっぱり分からないだけに動物の咆哮にしか聞こえない。そうなると、縛られて髪を振り乱しているの人々すら、人間ではなく単なる動物のような気になってしまう。

 まずは下士官が見本を見せる。軍刀がきらめいたかと思うと、一人の捕虜の首は前に掘られた穴の中に落ち、血しぶきが噴水のように上がった。すぐに体も前へ倒れて穴の中に落ちる。豊吉の隣で見ていた同じ分隊の吉村は、思わず口を押さえて走っていった。背後で激しく吐いている。

「ようし、こんどはおまえたちだ」

 下士官の声に、分隊の兵一人一人が銃剣で、捕虜を一人ずつ刺していく。待っている間、豊吉の足は震えた。豊吉の番になった。命令は絶対で、もちろん拒否することなどできない。まさか自分の生涯のうち、人を殺すことがあるなどとはこれまで思ってもみなかった。

 もう、何も考えても始まらないと、豊吉は縛られながらわめき続けている男の腹を突こうとした。だが、その直前で手が止まってしまう。豊吉は目をつぶった。何度かの躊躇の後、目をつぶったままついに銃剣を前へと突き出した。

 柔らかい感触がした。

 地獄の底からのようなうめき声が上がる。さっきまで有機体として存在していた人間は、ほんの一瞬の後にただの動かぬ無機物となった。

 豊吉の胸は、痛いほど激しく波打ち、肩で息をしていた。もう次の捕虜が、仲間の分隊の兵によって突き殺されている。豊吉の手はまだ震えていた。


      ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 この地方は一年で一番暑いのが七月で、八月の立秋を過ぎればもう涼しい風が吹き始める。

「あなた、眠れないの?」

 同じベッドで寝ている琳香が、闇の中で心配そうに夫をのぞき込んだ。暑苦しくはないのに、確かに健中は眠れないでいた。

「戦争はますます大きくなるなあ」

 それだけを言って、健中は黙った。不安である、この身に、この村に、そしてこの国にこれから何が起ころうとしているのか……。

 母は「戦争というのは、国と国の偉い人同士がやるもんだ。実際に戦うのは兵隊さんだけどよお、どっちにしたって、わしら一般の百姓には関係ねえこった」と楽観視している。しかし、どうしても健中は不安が拭い切れず、ますます眠れなくなる。しかし、とにかく寝ておかねば、明日も地下穴掘りの作業がある。しかもそれは、今や急ピッチで進められていた。

 指揮を執っているのは、軍から正式に故郷であるこの村に派遣された来た李芳である。しかし、様相はただの村娘のままだ。もちろん一人ではなく、何人かの兵士も一緒だが、彼らは皆農民として完全に村の中に融け込み、軍の兵士であることは見ただけでは分からなくなっている。

 李芳たちの軍も、今は名称が変わった。日本という共通の敵を持って、共産党はあれほど敵対していた国民党軍と手を結んだ。そしてその共産党の軍隊である中国工農紅軍のうち、華北駐屯部隊は第八路軍と改称された。今や李芳は八路軍兵士だ。

 八路軍は戦力も少なく、近代的武器もなかったが、敵の後方に回り込んでの神出鬼没の遊撃戦を得意とした。そればかりでなく、民衆の心をつかみ、それを組織するといった運動戦も戦略として大切にしていた。李芳が健中に抗日義勇軍を組織することを勧めたのも、民衆を組織してこの村を根拠地にしたかったからのようだ。

 地下穴掘りも、李芳はじめとする八路軍兵士は指揮するとはいえ命令するのではなく、民衆とともに汗を流していた。琳香はすでに妊娠が目立つようになり、穴掘りには参加してはいなかった。


      ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 内地にいた時と違って、ここでは束の間の楽しみもあった。歩いて三十分ほどの所に小さな村があり、時々そこに自由に行くことが許されたのだ。ほんのわずか、豊吉たちはここで異国情緒に触れることができた。

 その時の実感は、中国は貧しいということであった。日本では小作でさえ、ここの農民よりましな生活をしているように思われる。そこでは買い物もできた。買い物といっても軽く口に入れる種子類や、酒と煙草などだけだ。ここではすでに、中国連合準備銀行券(連銀券)、すなわち軍票が使えるし、軍票は中国銀行券よりも価値があったから喜ばれた。それを差し出すと、栗売りの人のよさそうな老婆は、ただでさえしわくちゃの顔をさらにくしゃくしゃにして何か言う。豊吉たちはもちろん何を言っているか分からないから、適当に相づちを打っていた。

 豊吉にとって初めて持つ軍票は何かおもちゃのお金のような気がして、これで物が買えるというのが不思議だった。酒はかなり度が強い酒で、初めて飲んだ者は一口でぱっと吐き出したりもしたが、次第に慣れていった。いつしか、その酒は彼らの間でチャンチィウと呼ばれるようになった。

 また、少なくとも兵たちの立場からすればの楽しみではあったが、中隊本部のある民家の中に女がいた。この女はわざわざ兵の慰問と称して連れてこられた人々で、ほとんどすべてが朝鮮人であったが、名前は日本名を名乗らされていた。

 ここへは豊吉のような初年兵が来てもとがめられない。料金は八十銭で、初年兵の俸給は月八円八十銭であったから決して安くはない。それでも夕方になると、その民家の前に行列が出来る。気の早いものはズボンを下ろして待っている。

 豊吉も最初誘われた時は断ったが、ある時好奇心から出掛けた。正直には、体が欲求したといってよいだろう。なにしろ男ばかりの軍隊の中に閉じ込められているのだ。それだけでも気が狂いそうになる。もう女性の姿を見るだけ、側に寄るだけでも天国気分で、だから豊吉はそのような女が軍隊にいるということは、その女たちは天使だと思えるようになっていた。

 もちろん、入隊前の普通の暮らしをしていた頃の豊吉なら、そんな思いは持たなかったであろうし、そういった状況に顔をしかめたはずだ。生まれてこのかた豊吉は、女郎屋などに足を踏み入れたことはなかったし、そのような遊びをしたこともなかった。しかし今は状況が違う。

 順番を待つ間、豊吉の胸は高鳴っていた。里子の事が頭を過ぎったがそれを押し殺したなどという偽善的な感情さえ、豊吉にはなかった。里子を忘れたわけではない。しかし、少なくともこの時だけは、豊吉の頭の中に里子はいなかった。

 豊吉は八十銭で朝鮮女を抱いた。その時は、相手の女の境遇や素性およびここへ来たいきさつなどを考えもしなかったし、またそのような余裕もなかった。


 やがて季節は秋になっていった。日本では九月になっても残暑が厳しいが、ここ華中では八月下旬にはもう涼風が吹き始める。その頃は訓練、訓練の毎日だった。そのうち、上海方面の戦果が伝えられ、自分たちの出撃も近いのではないかと人々は噂した。

 その命令が下ったのは九月も半ばになってからだった。ある日、突然全員集合の号令がかかり、そのまま豊吉たちは天津へ向かう貨物列車に乗せられ、途中からは歩かせられた。

 出発に当たって小隊長から、「行く先で『支那』の民間人の村に出くわすこともあろうが、残虐な殺人、放火、略奪、婦女暴行は禁ずる」との訓示があった。

 中国は孔孟の国という意識があったが、この地で実際の民衆を見ているとどうも礼節には程遠い気がしていた豊吉であった。たまに村へ出かけた時も、村人たちの衣服や家をはじめとする貧しい生活、大声で叫び合うような慎ましさを知らぬような会話、大声で歌を歌いながら道行く人など、豊吉は少々うんざりしていた。

 それに引き換え、わが軍隊のあの訓示である。日本は孔孟の国である本家よりも礼節を重んじる国だなと、豊吉は実感していた。

 平原の中を延々と続いて進む軍隊の列は、さながら一つの生き物のようであった。道はないに等しく、背の高いトウモロコシ畑の中をかき分けながら進む。しかも、かなり重い背負い袋と装具武装で歩くのである。

 さらには、敵襲も常にある。豊吉が大陸に来て初めて敵の銃声を聞いた時は、花火か何かかと思った。そのような銃声が遠くで響いたかと思うと、トウモロコシの中から突然敵が現れてちょっとした小競りあいになることもある。

 だが、例の訓練としての捕虜処刑以来、もう豊吉には度胸がついていた。平気で敵に向かって銃の引きがねが引けた。

「あれは正規の『支那』軍ではない。八路パールーといって共産党の軍隊で、装備がないものだからああいったゲリラ戦しかできないんだ。あんな連中、踏みつぶして行け!」

 分隊長が歩きながら、大声で下知する。しかし、「行け」と言われても、どこへ行くかは豊吉のような一兵卒たちには全く知らされていなかった。とにかく黙々と歩くしかない。

 恐いのは敵襲ばかりでなく、地雷だった。

 西尾は豊吉の小学校の時の友人で、軍隊で同じ分隊となり、久々に顔を会わせた気さくな男だ。その西尾の顔も今は変わって、表情がきつくなっている。歩きながら豊吉は、昨日の夜の西尾との会話を思い出した。「貴様は教導学校へ行くのか」と、彼は聞いてきたから、豊吉はかぶりを横に振った。

「いや、そのつもりはない」

「そうか、お互い生きて帰りたいものだな」

 西尾はそう言った。その西尾の体が、歩きながら突然の爆音とともに宙に飛んだ。慌てて駆けつけた時は、足は半分飛んでいた。本人も即死だった。

「西尾!」

 と、叫んでも返事はない。

「かわいそうだが、仏さんはここに置いて行くぞ」

 無情な分隊長の声である。しかし、逆らうことは出来ない。さっきまで生きて前を歩いていた友人が、もう死体となっいるのである。自分もいつ同じ目に遭うか分からない。確かにここでは、死は鴻毛よりも軽しと言われている通りだと吉は実感した。それにしても、埋葬すらできないのである。これが戦争だと、豊吉は心の中でつぶやいた。


      ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 雨が少ないこの地方としては珍しく先月の半ば頃にまとまった雨が降ったが、また本来の乾燥した天候が続くようなった。今日も昼の休憩として家に食事に戻り、再び作業場に健中が戻ると、もう人の背丈ほどに伸びたトウモロコシ畑の前で、李芳が人々に大声で話していた。

「日本軍はもう、華北地方の大部分を占領したという情報が入った。先月からチャハル、綏遠では大暴れだという」

 健中の隣で聞いていた昔からの悪餓鬼であった宋洋が、健中に耳打ちした。

日本リーペン鬼子クイツが来たって、相手にして戦っているのは中国の軍隊だろう。まさか一般の民衆に手出しはすまい」

 この若者の思考は、どうも自分の母親と同類のようだと健中が思っていると、それが李芳の耳にも聞こえてしまったらしく、李芳は咳払いをした。

「いいですか、皆さんは一般の農民だから大丈夫だけど、私は兵士だから私は危ない。だから私は自分を守るために、こうして皆さんの戦意を促していると、そう思っているのなら心外だ。先月末、チャハル省の張家口は日本軍の占領するところとなって、知識人がたくさん刑務所で処刑された。そればかりか、今月になってから武器も持たない一般の住民を捜査・逮捕という口実で日本軍は追い回し、人がいたら必ず殺すといった具合です。ある家の庭では十三人を殺し、また二歳の子供の足をそれぞれの日本軍兵士が一人ずつ持って、体を……、体を引き裂いたんだという!」

 話している李芳自身が、言葉を詰まらせた。聞いている方は口を抑えたり、目を見開いたりで、誰もが言葉を失っていた。気を取り直した李芳は、また話しはじめた。

「日本軍はさらに河原で十人を機関銃で銃殺にし、五時間もの長い時間虐殺は続いて、張家口で三百三十人の同じ炎黄の子孫たる我々の同胞が難に遭った。この村が危ないなんてどころの騒ぎではないんだ。中華民族全体の危機なんだ。華夏児女よ、起ち上がろう、起ち上がろう!」

 やがて、話を聞いて足をがくがく鳴らしていた人々も気を取り直し、いつしか歌の合唱となった。それは二年前に封切られた『風雲児女』という映画の主題歌だった。もちろんこの村の人々は映画など見るすべもないが、この歌は抗日の精神抑揚のために広く歌われていた。


 ――起て! 奴隷にはなりたくない人々よ。

 われらの血と肉で、築こう、われらの新しい長城を。

 中華民族の最も危険な時が来た

 一人一人が最後の叫びを挙げるよう迫られている――


 健中も歌った。しかし彼の場合、まだ足が震えていた。


 ――起て、起て、起て

 われらの心は一つ、敵の砲火を冒して

 進め!

 敵の砲火を冒して

 進め、進め、進め!――


 これを機に、穴掘りとともに村の家の壁のあちこちに抗日スローガンが貼られた。

「打倒日本帝国主義!」「共産勝利万歳!」

 このような紙が貼られていない家はほとんどない状態となり、春節の対聯よりも多かった。

 ところがこのような士気と裏腹に、伝えられる情報はますます耳をふさぎたくなるようなものばかりとなった。

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