第8話 食べていいのか氷菓子
「鏡の国のカガミスタン?イチヤ君、それは妹さんが心配するはずだよ。麻薬中毒を疑われて身体検査されたんだよ、それ」
実家で朝食を食べてからバイト先のコンビニ「サイプレスマート釈有留二丁目店」にシフト前に出勤し、栗色のショートカットが凛々しい店長の西園寺シズカさん32歳バツイチにバックヤードで悩みを聞いてもらったらこの返事。
「チュチューを禁止ってそれか。僕は麻薬はやりません」
「あたしも心配してるのよ。ミュージシャンってお薬で自滅する人多いから。イチヤ君、根は真面目で気は小さいよね?そういう人が誘われても断れないケースが多いんだって」
「誘われたら断ります」
お互いユニフォーム姿の僕とシズカさんはパイプ椅子に座り向かい合って話をしていたのだが、彼女は顔を寄せ、ささやいた。
「鏡の国でキスを断れなかったんだろ」
「はい」
「妹は断ったの?」
「外に出しました」
言ってから誤解を招く表現だったことに気付き、付け足した。
「入れてはないです信じてください」
「モラルでは問題だけど変態ではないから気にしないほうがいいよ。海外でもマイケルと妹は出来てたとあたしゃ信じてるから。鏡の国のカガミスタンはこの目で見るまで信じないけどね。証明出来なければお薬を疑っちゃうかも」
シズカさんが疑うのも無理はないと僕はスマホを取り出し電源を切った。
「これを見てください。でも声は立てないようにお願いします」
モニターの中でフルートを練習しているノースリーブワンピース姿のミラちゃん。音大の教室じゃないな。誰かの自宅?
黙ってモニターを覗き込むシズカさん。白髪交じりのハンサムで細身の男性がミラちゃんを腕組みしながら眺めている。フルートの音も何も聞こえない。あれ、白髪交じりの男性がスラックスを脱いだ。ふんどし姿で仁王立ち。それを気にしながらフルートを吹くミラちゃん。年上の彼氏?でもそんな雰囲気じゃない。
シズカさんが手で自分の顔を覆った。僕も見るのが苦しくなり再びスマホの電源を入れた。
「指導教官のセクハラ。付く屁理屈は知らないけど。進学塾のCMに出てきそうなコだから色々あるんじゃないの?イチヤ君には助けを求めて近寄ったってのもあるかも」
「場所が分からない……」
「本人が言うまで黙ってな。今日はここでちゃんとバイトしてくれないとあたしも困るし。探し回ったりしないこと」
「分かりました」
大学の経済学部在学中にラッパーデビュー。就職活動をしないままバイトしている僕にとってシズカさんは人生経験豊かな先輩。忠告に素直に従うことにした。
「ところで防犯カメラのモニターに不審人物が映ってるんだけどイチヤ君の知り合い?」
僕の知り合い?シズカさんが何故そう思ったのかは瞬時に分かった。身長二メートル弱体重推定百キロのジャージ姿にサングラス。首には太い金のネックレス。絵に描いたようなB-BOY。おじさんだからOLD BOYかな?
「見たこともない人ですね」
「まだシフトに入る時間じゃないけどレジにいるベトナム人のパオちゃんが困ってると思うから様子見してくれない?」
言われるまでもなく早めに出勤。普通のマンガ雑誌のグラビアを見て恥ずかしそうにしていた純情真っ直ぐ眼鏡っ子のパオちゃんを置き去りには出来ない。カウンターの内側からさりげなく観察。ここら辺の常連客で持っているような店舗に不審人物出現。
「MCイチヤさんいる?」
ふんぞり返って横柄な口調。よく見れば指にごっつい指輪。殴られたら痛そう。僕何かしました?
「私に何か御用でしょうか」
「分割払いでMONEY MAKIN‘、マンション又貸しぼろ儲け、あぶらこうじは工事中、危ない橋を叩いて渡るタイクーンキョウスケここにあり」
明らかに用意してきたlyricで巨体を揺すりながら自己紹介。眼鏡っ子パオちゃん茫然。やっぱラッパー痛いかな?
「ミラちゃんのお父さんですね?」
ジャージ姿の巨漢は居住まいを正し僕に向かって深々とお辞儀。
「きらめき金融CEOの手鏡キョウスケと申します。初めまして。うちの娘に彼氏が出来たと聞き、ツラを拝みに参った次第」
「こちらこそ初めまして。今勤務中なので」
「そこで一つだけ質問。好きなお菓子は?」
高利貸しにバトルを挑まれた。切り返してやる。
「食べていいのか氷菓子、紅茶の妖精尻むき出し、デルタ地帯に目がくらみ、桃がチラ見えなんか萌えだし」
ミラちゃんのお父さんはニヤリと笑い「なかなか出来たお方だ」と言い残して踵を返し出口に向かい、派手なアメ車のオープンカーで去っていった。
「今なんて言ったの?意味教えて下さい」
パオちゃんに訊かれたが勤務中。「意味は無い」とだけしか言えなかった。ああ恥ずかしいよう。
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