Bルート

 紅葉は小さく深呼吸して決断した。

 黒獣と対峙している少女と、隣にいる天境橋を両方助ける。そのためには。


「天境橋‥‥‥お前は先に逃げてくれ。俺が囮になる」

 

 恐怖に囚われ硬直していた天境橋は声をかけられて我に帰った。


「な、なんで!?囮なら私がなるよ!」


「大丈夫。俺なら天境橋よりは長くあいつの相手ができる」


「そんなの‥‥‥理由になってないよ」


「それに目の前で女の子が襲われてんのに黙って逃げられるわけないだろ。ほら、男が女を助けるなんて物語でよくあることじゃないか」


 黒獣がこちらに気付くと同時に咆哮した。耳を引きちぎるような音圧が二人を襲う。

 もう戦いは始まっているのだ。


「行け!」


 天境橋を後ろに突き飛ばし、紅葉は黒獣と少女に向かって全力で走った。

 黒獣と少女は不意を突かれたのか少し体が固まる。

 だが硬直はすぐに解け、黒獣は鋭い爪や突起が付いた腕を紅葉に向かって振り下ろした。

 それをおもいっきり体をねじ曲げて腕を避ける。つもりだった。

 爪を避けることはできたが、腕から無数に伸びる突起が紅葉の体を抉る。

 かすり傷と言えど、平和の中生きてきた紅葉にとっては致命傷に近い。

 だが足を止めれば助からない。歯を食いしばって足を動かす。


「うおおおおっ!」


 悲鳴を上げる体の感覚全てを無視し、勢いに任せて少女を抱き上げた。


(よし!)


 作戦の第一段階はクリア。心の中でガッツポーズをしつつ、咆哮する黒獣を背にして空き地の裏の出口から脱出した。

 黒獣とすれ違う際、後ろから何度か体を貫かれた気がしたがいちいちリアクションしてはいられない。無視して路地裏に入った。

 狭い路地裏ならば小回りが利くこちらに分があるだろう。


『グオオオオオオオオ!!』


 黒獣は狭い隙間をものともせず突進してくる。その歪に尖った巨体が通るだけで家の壁が削れる。

 奴にとって隙間などと言う概念は存在しない。突進すればそこに道が開けるのだ。


「くそ‥‥‥!」


 宛もなくめちゃくちゃに曲がり角を曲がっていくが、なおも黒獣は獲物を見失うことなく追い続ける。

 少女一人を抱き抱えての逃走は、紅葉の体力をじわじわと奪っていく。

 加えて沢山の廃棄物が散らかっている路地裏だ。足を取られては何度も転びそうになった。


「ハァ‥‥‥ハァ‥‥‥っ!大丈夫だ。お前は俺が守ってやるからな」

 

 尋常でない状況下、少しの気休めにでもなればと少女の背をポンポンと叩く。しかし逃げ足は限界を迎えていた。

 このままでは捕まる。その時だった。


「紅葉!こっち!」


 曲がり角に天境橋の姿が見えた。


(バカ‥‥‥なんで逃げなかった!)


 天境橋を黒獣から遠ざけたかったが、路地裏の一本道で後ろに黒獣。

 仕方なく手招きする天境橋のほうへ走る。その時近くにあったドラム缶をやけくそに押し倒した。

 すると黒獣によって削られた建物の中から火花が飛び、それがドラム缶の油に引火した。


『グオオオオオオオオ!』


 炎の中で黒獣が叫ぶ。


「今だ!」


 まるでギャング映画の主人公のようだ。この隙に一気に距離を稼ぐ。姿が見えなくなるまで、ずっと遠くへ。



~~



「ここなら大丈夫かな」


 路地裏に少し広くなっている場所があったので、紅葉と天境橋は座り込んだ。同時に抱き抱えていた少女を降ろす。 

 少女はふたりの間に座った。そして無表情に紅葉の顔をじ~っと見つめる。

 今になってよく見てみると、少女は奇妙な身なりをしている。

 真っ黒に染まったワンピース。服と同じ色の長い髪。

 光のうっすら灯った瞳が、見たものを全て吸い込んでしまいそうな魅力があった。

 そして気になるのが髪飾り。二つの真珠のような翡翠の玉がどういった原理なのか、その髪をひとつに纏めている。

 何処かのファンタジーの世界から現れたかのような、不思議な風貌の少女だった。


「ふぅ。何はともあれ君が助かってよかったよ」


 安堵から溢れる笑みを少女に向ける。

 少女は変わらず無表情だが、どことなく嬉しそうだった。


「あはは、なんか紅葉お兄さんみたいだよ」


「そ、そうか?」


 今までの生死を賭けた急展開から和やかな会話、完全なリラックスモードだ。

 しかしその瞬間、紅葉の体に鋭利な痛みが各所から襲ってきた。


「ぐっ、あああああああああっ!」


 思い出したように黒獣に体を貫かれた所が痛み始めたのだ。無数の槍でリンチされているかのような感覚、ここまで逃げてこれたのが不思議なくらいの痛みだ。

 火事場の馬鹿力、アドレナリンと言うのが切れたか。

 少女は痛みに悶絶する紅葉の叫び声に驚き、後退りしていた。

 驚かせてしまった、と気を使うことにまで頭が回らず、とりあえず壁にもたれる。


「紅葉!大丈夫!?」


「ぜ、全然大丈夫じゃねえ‥‥‥」


「今から大人の人呼ぶから待ってて!」


「あ、ああ。頼むぞ」


 疲労、負傷、貧血によって上手く発声できない。かすれた声で返事をする。

 天境橋はケータイを取り出した。掛ける先は警察か、病院か、はたまた学校か?

 そもそも、周りの住民は何をしているのか。結界内に黒獣が現れたのなら、もっと早くから悲鳴や警報が鳴っていてもおかしくないハズだが。

 

『ドシュッ』


 不意に飛沫と散る鮮血。何が起きた?

 地面に落ちた視線には血の池が広がる。誰の‥‥‥!?

 

「‥‥‥‥‥‥は?」


 体の中が焼けるような感覚を覚える。さっきとは比べものにならない痛みが身体を縛りつける。

 –––––––天境橋の悲鳴が聞こえる。少女は絶望にまみれた顔をしている。

 己の視界が瞬く間に暗くなる。


「ゲホッ‥‥‥」


 ‥‥‥後ろの壁から突き出た破壊兵器たる太腕が、紅葉の胸に大きく風穴を空けていた。

 一発、吐血したのを最後に紅葉の意識は途絶えた。

 この腕の持ち主など、奴しかいないだろう。獲物を確実に仕留めるため、黒獣は気配を消していたのだった。


「いやぁぁぁぁぁっ!」


 黒獣の腕に刺さった紅葉の体はゴミのように振り払われる。

 そして次なるターゲットは天境橋と少女に代わる。


『逃げられない』


 そう悟った天境橋は少女の前に立った。


「ごめんね。おねえちゃんとおにいちゃんは逃げられないみたい」


 少女の目の前で天境橋は半身を抉り取られ、力なく倒れる。


 –––––––二人が倒れ、状況は振り出しに戻った。黒獣と少女は再び向かい合った。

 少女は化け物を目の前にしても、悲鳴ひとつ上げない。それどころか逃げようともしない。

 再来せし危機を目の前に、少女は視界を閉じた。


(お前は‥‥‥‥‥‥消えて!)


 カッ、と少女は目を見開いた。その動作に呼応するかのように輝くのは、翡翠玉の髪留め。


 ‥‥‥‥‥‥何が起きたのか、そこに残ったのは見るも無残な二人の高校生と小さく幼い少女だけだった。

 少女は紅葉の遺体に駆け寄った。そして、紅葉の頭を小さな手で優しく撫でたのだった。



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月の少女と月ノ華 @18d007

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