第18話 校長先生の話は大体長い、そのくせ夏休みは短い
学校に蔓延る悪しき文化は沢山あると思う。数え始めればいくらでも出てくる。
一つは宿題。これは言うまでも無い。漢字やら英文をノートの隅から隅まで書かせることに何の意味があるのだろうか。非効率すぎるとは思わないだろうか。実力をつけたいのならば小テストでも何でもやって、いやでも覚えるようにすればいいのだ……と思ったけれどそれはそれで面倒臭そうだ。そもそも家に帰って勉強がしたく無いのである。ぼくは家だと気が散って勉強出来ないのだ。勉強机は山積みになった文庫本に占領されてしまっているし、床には足の踏み場が無い程に洋服やら漫画やらが散らばっている。
その点で言えば、まぁなんともこじつけている感じにはなるけれど、部活の時間はかなり役に立っていると言えるだろうな、と思う。
さて、次の一つは奉仕活動。学校というモノは何かにつけてアルミ缶やらペットボトルの蓋を集めようとするではないか。特筆して面倒くさいのは、缶やら蓋を持っていくことだけなので、大した不満ではないけれど。ただ、河川清掃や町のごみ拾いをやるとなったら話は別だ。無償の肉体労働、それをさも社会勉強かのように押し付けてくる。ボランティアが大切なのは皆理解しているので口に出して不満は言わないけれど、流石に夏の長時間に及ぶごみ拾いは勘弁してほしい。達成感や使命感を覚える前に、何者かへの怒りが沸き上がって来る。どうせ高校生や大学生になったら自分からやりたくなるのだ、なぜだかは知らないけれど。
そして、もう一つ。
ことあるごとに開かれる集会での校長先生の話が長いことだ。
「――はぁ、今日の終業式は本当に危なかったなぁ。一歩間違えれば貧血で倒れるところだったよ」
「何とかは風邪をひかないと言うくらいだから、身体も相応に丈夫なのかと思っていたけれど、そうでもないんだね」
「……誰が馬鹿だって?」
「汐崎くんが馬鹿だなんて一言も言っていないけれど?」
まーた挑戦的な目つきだ。いつになっても言い合いで勝てる気がしない。
「ぼくがどうのこうのってことはさておいても、やっぱり校長の話は長いよ。」
「まぁ……時計見ると十分は優に過ぎていることなんてざらにあるからね」
「ためになることや大切なことを言っているのは理解できるけど、起立姿勢を保ち続けるのはいかんせん骨が折れるなぁ」
ぼくらは顔を見合わせてため息をつく。
一学期の最終日、つまりは終業式の日。ぼくらはいつものように第二家庭科室にいた。
「これは噂なんだけど、校長先生の話ってテンプレートがあるらしくて、何年ごとに似た内容を使いまわしているらしいよ」
「うわぁ普通にありそうな噂。確かに私の小学校の校長先生は、とくに変えることもなく毎年同じ話を繰り返していたもの、事実かもね」
「それはもうテンプレート云々ではなくて、職務怠慢なんじゃないかな……」
「案外適当なのかもね」と小宮山さんは伸びをする。「三つ話します、とか前置きする癖に二つしか話さないこともあるし」
「学校の長らしい威厳のある話し方を目指して頑張っているんだよ、きっと」
「でも、もう少し話が面白かったら良いと思わない?」
ぼくは、確かに、と頷いた。
小宮山さんは真面目な顔をして語り始めた。
「教頭先生を呼び出して漫才風に会話するとかさ」
「ぼくらの学校には教頭が2人いるから、トリオ漫才になってしまうね」
「前置きに校長先生の身の回りで実際にあった怖い話をして、惹きこむとかね」
「『最近、妻や娘からの風当たりが強くて、帰宅しても先生の夕ご飯だけ用意されていないんですよ……』みたいな家庭事情の怖い話をされたら、ぼくら生徒はどう反応すれば良いか分からないよ!」
「『実は先生、手品が出来るようになったんですよ』って言って、テレポートの実演するとか?」
「それはもうお話どころじゃあないし、手品じゃなくて超能力だね」
「『今日は君たちに、殺し合いをしてもらいます』って不敵な笑みで言うとかさ」
「うんうん。そういう妄想をしてみたくなる気持ちは十二分にわかる。ぼくとヒロインだけが生き残って終劇みたいな展開を希望するね」
すると、小宮山さんはまるで前々から決めていたように
「うわぁ……失望だわー」
と、じとーっとした目をして半身を引いた。
「いや!話を合わせただけなんだけど!」
「まぁまぁ、いつもの冗談だから」
「な、なんだよ……」
ぼくはムスッとした顔をして反抗の意を示した。けれど、小宮山さんは微笑むだけで、ぼくのささやかなる抵抗は、いともたやすくあしらわれてしまった。
特に言い返す言葉が浮かんでこなかったので、ぼくは頬杖を突いて窓の外を眺めることにした。
青い空、白い雲、風に揺れる桜の木の葉。目に入って来るのはそのくらいだ。最近はそんな光景ばかりを見ている気がする。聞こえて来るのは蝉の声とか運動部の掛け声。
……何だかため息が出てしまう。
決して夏に飽きたわけじゃない。もちろん夏が嫌いでも。
ただ、あまりにも夏らしくって、夏過ぎて……。
夏って何なのだろう、そう思うのだ。
――もう夏休みなんだね。
唐突に小宮山さんが言った。何かがぼくの胸の中でザワリと揺れる。
普段と変わらない声色。なのに色々な意味が隠されていそうで、だけど素直に訊くことは、なんだか憚られて……。
チラリと彼女の方に目をやる。
小宮山さんはぼくの方を見ていた。きりっとして透き通るような眼が、ぼくの瞳を覗いている。
「ぼくの顔に何かついている?」ぼくは尋ねた。
「目と口がついてる」
「鼻も付けてくれないと福笑いになっちゃうよ。あとできれば眉毛も」
「今なら目をもう一つほどお付けしますが?」
「いらないよ!ぼくはインドの神様でも緑のエイリアンでも無いんだから!」
小宮山さんはいつものようにフフフと笑い、すぐに普段の顔に戻った。
そしてもう一度言う。
「もう夏休みなんだね」
「……何か思い残したことでもあるの?」
「別に」
「じゃあなんでそんなことを言うの?」
小宮山さんは少し照れたように言った。その予想外の言葉にぼくは少々驚いてしまった。
「ええと、夏休みって短いと思わない?」
「うん、もちろん。あの膨大な量の宿題を終わらせるには、あの休暇の日数は少なすぎるね」
「そうじゃなくて!」
「じゃあ……つまり?」
軽い気持ちで尋ねた。そして、その返事はぼくの浅はかさ上から塗りつぶした。
小宮山さんは人差し指でテーブルの上をいじらしく撫でながら言った。
「夏休みが訪れることを切望して切望して、首を長くして待っていたのは確かなの。でもいざ、その望んでいたモノが目の前にあることを理解すると、どうしていいか分かんないって言うか。そうやって、持て余したり、色んな事に手を出したりしているうちに、本当に成し遂げたかった何かを見失ったまま、夏休みが過ぎて行ってしまいそうな気がするの。多分私がしたい何かにとっては、この夏休みは短い。そう思うの」
ちょっと大げさな表現だったね、と笑ってごまかす彼女の雰囲気はどこか儚さのようなモノを感じさせた。
「でも分かるよ、その感覚」
ぼくは頷いて見せる。
「毎年、夏なんだから何かしなきゃいけないなって漠然と思うんだけど、結局は大したことも出来ずに毎日をダラダラと過ごしちゃうんだよね。で、結局最後の一週間に宿題をまとめてやるはめになると」
「後半には一切共感できないけれど、前半は分かるよ。夏には、夏休みには、何かしなきゃって私達を駆り立てる何かがある気がする」
ぼくらは夏に駆り立てられているのか。夏、ひいては季節というものは随分と横暴な存在らしい。単にぼくらの生物的な何かが、気温の上昇と湿度の増加に反応しているだけかもしれないけれど。
「何をしようかなー」
ぼくは大きく伸びをした。
「そうねー」
小宮山さんも続く。
「そもそも私って、夏休みに何がしたいんだろう」
「ぼくに訊かれてもなぁ……ああ、今しかできない事をやってみたら?」
「今しかできないこと……?」
「例えば、うーん……」
良いたとえが浮かばない。きっと小宮山さんの事だから、ぼくなんかより色々な事を知っているし経験しているだろう。おそらく価値観だって違う。ぱっと思いつく限りで近いのは年くらいか。ならば。
「中学生の今しかできないことだよ。高校生や大人になったら出来ないこと。もっと言えば去年でも来年でも出来ないことをやってみるんだ」
「全然たとえになっていないと思うのは私だけでしょうか」
「あいや、ごめんごめん。改めて……そうだ!夏祭りで思いっきりはしゃいでみるとか、炎天下で川遊びをしてみるとか、日が沈むくらいまで外で駆けまわってみるとか」
「どれも小学生目線じゃない?」
「確かに……」
「でもいいかもね」
「え?いいって何が?」
不思議に思って訊き返す。
「肩肘張らずにお祭りとかを楽しむのもいいのかなって」
「もちろんだよ。ぼくら子供が楽しまなくてどうするのさ」
「それはそうだけど、中学生にもなって大はしゃぎするのって恥ずかしくない?周りからの見られ方だって、結構気にする方だし私」
「小宮山さんの『はしゃぐ』の基準が分からないけれど、普通に楽しめばいいんだよ」
「い、言われなくたってわかってるわよ!」
「どうだか」
妙にムキになる小宮山さんに、ぼくは肩をすくめてみせた。
「とはいえ、小宮山さんがお祭りとかではしゃいでいる様子は想像できないなぁ」
小宮山さんは「そう?」とでも言いたげに首を傾げた。
ぼくは軽く頷きながら若干前のめりになった。
「第一、縁日とかの割高ジャンクフードを買うなんてもってのほか、射的とか金魚すくいをやっている様子なんて完全に未知数だね」
と、ここまで言って一応付け加える。
「も、もちろん誇張した表現だよ?」
「……何だか、汐崎くんの想像する私ってつまらなそうな人じゃない?」
「い、否めない」
「別にいいよ。お祭りとかの行事ごとの楽しみ方が皆とは少し違うのは、自分でもわかっているから。お祭りって言う非日常な空間を眺めるのは好きだけど、その空気感にいまいち馴染めないの」
なんとも覇気のない返しである。いつもならば、ぼくのこれくらいのジャブに全力のストレートをお見舞いしてくるのだけど。
ならば、とぼくはも一つ仕掛けてみることにした。
ただし、それはハイリスクハイリターンな代物であり、ギャンブルと称しても差し支えなかった。さながら、大穴狙いの一点がけと言ったところだろうか。急に湧いた衝動に賭けてみることにしたのだ。
ぼくは緊張で震える喉を気合と勇気で押し沈めて口を開いた。
……話し方が定まっていないのはこの際、不問としよう。ぼくはこういうことに慣れていない。
「ま、まぁぼくくらいになれば、お祭りで全力で楽しむことなんて造作もないのだよ。したがっては、ぼくが小宮山さんに連れ立ってお祭りの楽しみ方を伝授して差し上げても構わないのですよ?いかがですかい?」
「……へ?」
ぼくの言葉を聞いた小宮山さんは目を見開いて、明らかに驚いたような顔をした。
でもそれは一瞬のこと。
すぐに普段の、いいや普段より冷ややかな表情になって言った。
「いやだ」
一文字一文字しっかりと発音を区切った聞き取りやすい日本語だった。
ええぇ、とぼくが複雑な落胆の吐息を漏らしたのも束の間、小宮山さんは目を細めたまま続けた。
「校長先生はさっきの集会の時に言っていたよ『お祭りだからと言ってはしゃいで、中学生らしくない行動をしたり、知らない人について行ったり、遅くまで遊んでいたりしてはいけませんよ』って」
「ぼくがどんな遊びをする奴だと思っているんだ!第一、小宮山さんにとってのぼくは良く知っている人物じゃないの?ショックだよ!結構ショックだよ!」
「それに、男子と女子が二人でお祭りを回っているのを、他の人が見たらどう思うでしょうね。男女数人の団体ならともかくね」
「いや、まぁ、何といいますか……えっと」
返事に困って口を噤んだぼくに対して、
「うそうそ。冗談だよ」
と小宮山さんはニヤリと笑う。
そして矢継ぎ早に、じゃあ今日は早めに帰らせてもらうから窓閉めはよろしくね、と言い残して、彼女は鞄を掴んで第二家庭科室を出て行ってしまった。風のような勢いだった。
引き留める言葉も浮かんでこなかった。ぼくが放出した一世一代の勇気は行き場を失ってしまった。
残されたのはなんとも惨めなぼくと、さらに惨めな勇気と、けたたましい蝉の声だけだった。
――結局、何が冗談だったんだ?
ぼくは答えのでなさそうな問いについて、下校の間中ずっと考えることになった。
暑さのせいもあり、帰宅時にはまさに加湿器のような、と言うよりサウナストーンに水を掛けた時くらいの水蒸気がぼくの頭から立ち上っていたのはここだけの話だ。
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