第11話 授業中に見る映画はワクワクするよねって言う話

「ねぇ小宮山こみやまさん」


「……ん?」


「小宮山さんは映画を結構見るほう?」


「ええと……それは映画館に行って見るという事?」


「いや、家でいいよ」


 いつもの斜向かいの位置に腰を据えていた小宮山さんは、鳩が豆鉄砲をくらったように眼をぱちくりさせている。どうやら、ぼくの突拍子の無い質問に驚いているらしい。

 まぁ無理はない。小宮山さんはいつも以上に集中して手元の文庫本に向かっていた。つまり自分の世界に没頭している所に、ぼくが不親切にも横槍を入れた形になる。

 ただ、ぼくだっていつも小宮山さんの脈絡ない疑問にさらされているのだ。そのことを考えれば、ぼくが一度くらい仕掛けたって誰にも文句は言われないし、山のようなお釣りが返ってきてもいい筈なのだ。いや、やっぱり目の前の少女には、ボコボコに言い負かされてしまうかもしれない……。


「うーん、見るけど、頻繁ではないかな」小宮山さんは頬杖をつきながら言った「週末に一本見るかどうかって感じかも」


「それは比較的見る方じゃない?」


「いいや、きっと汐崎しおざきくんが見なさ過ぎるんだよ」


「確かに月に二本見れば多い方だなぁ。」


「好きな人は週に何本も見るらしいからね。私の友達なんか毎晩最低でも一本は見るって言っていたよ」


「すごい人も居るんだね」


「ちなみに、洋画を字幕で見るのが乙なんだって」


「……そんなレベルの違う人の話をされてしまうと、ぼくの話題に展望が無いなぁ」


 意気揚々と話を振ったのに、思い切り鼻づらを叩かれた気分だ。ただでさえ映画に明るくないぼくがこの類の話をするのはやや気が引ける。救いがあるとすれば、小宮山さんが映画マニアでは無かったことと、小宮山さんの友人がこの部屋に居ないということだろう。


「で、映画がどうしたの?汐崎くんに映画のイメージは無いんだけど」


 そう言った小宮山さんの目の奥に、明るい火が灯った気がした。ぼくとミスマッチな話題が逆に彼女の好奇心を刺激してしまったのだろうか。申し訳ないけれど、小宮山さんの全身をたぎる無尽蔵の興味を満たせるほどの話題は提供できそうもない。ぼくが面白い話の出来る人間になる日はまだ遠いのだ。地球よ太陽よ、廻れ廻れ。歴史を刻み込め。


 ぼくは自分が思っているよりも幾分かおずおずと言った


「その、なんて言うか、たいしたことじゃないんだけどさ、学校の授業で映画を見ることが割とあるなぁと思って」


「ああ、そういう話の運びだったのね」小宮山さんは腑に落ちたように、うんうんと首を振った。「授業中に見る映画ほどワクワクするものは無いよね」


「そうなんだよ。普段は勉強しているはずの時間と場所で、映画を見るというちょっぴり背徳的なイベント。非日常感と映画への期待で胸が躍るね」


「……背徳的かどうかは知らないけれど、言いたいことはわかるよ。それで、最近何か見たの?」


 小宮山さんが若干引き気味なことは置いておいて、話題には興味を持ってくれたみたいだ。


「最近も最近、言ってしまえば5時限目の音楽の授業で見て来たところだよ」


「おお、タイムリーだね。そして音楽の授業か……もしかして『サウンド・オブ・ミュージック』?」


「え……正解だよ。よくわかったね」


「フフフ、私の推理能力を舐めて貰っちゃあ困るよ、ワトソン君」


「世界一の探偵の助手になった覚えは無いよ!」


 小宮山さんは得意そうに笑った。口元に白い歯がきらりと光る。


「まぁ推理も何も、先週に私も見たからなんだけどね」


 ――なんと、ぼくは地域に三人くらいは居そうな探偵の助手だったか。


 気を取り直してぼくは続けることにした。


「当たり前だけどさ、音楽の授業で見るくらいだから結構音楽が良いんだよね、あの映画」


「そうそう。中々響くモノがあるよね。古い映画だから時代背景とかを知らないとちょっと難しいけど」


「小宮山さんはどこか好きなシーンはある?」


「いや、特には思い浮かばないけど……しいて言えば、雷雨の日に主人公と子供たちがベッドに集まって歌うシーンかな」


「My favorite thingsのシーン?」


「多分ね」


「ぼくもあのシーンは結構好きかな。ただ、My favorite thingsは歌無しでコルトレーンが演奏しているジャズの方が好みだな」


「……なんかマニアック」


 おっと、冷ややかな視線が向けられている。そして、この厳しめなジト目で見つめられることに、若干の喜びを感じ始めているぼくがいる。もしかしたら踏み入れてはいけない領域に差し掛かっているのかもしれない。引き返す気はさらさら無いのだけど。


「えっと、音楽の授業繋がりだと、『天使にラブ・ソングを…』とかも見なかった?」


「見た見た。確か去年だったかな?私はこっちの方が好きかも」


「うんうん。まずストーリーが面白いんだよね。ぼくは教会だったり海外だったりに詳しくないからだけど、クラブの歌手を教会が匿うっていう構図が、不思議とリアルに感じるんだよなぁ。純粋に俳優さんたちの歌もすごいし」


「リアル……なのかな?私はかなりコメディ感が強いと思ったな。でもいい意味で讃美歌のイメージが変わったし、ちょっと悪い感じのアメリカを知ることが出来るから、私のお気に入りの映画の一つだよ」


「うん、お気に入りの映画であることには違いないね」


 ぼくはそう言いながらも、脳内に記録された数少ない映画の記憶の中から、ぼくの最もお気に入りであろう作品を引きずり出していた。その作品も授業中に見た作品であった。そしてその作品こそ、今日のこの話題を振るきっかけになったモノと言っても、過言では無かった。


「そう言えばさ、何の授業で見たかは確かじゃないんだけど、『スタンドバイミー』も良いよね」


「それって『the body』?」


「ざ、ぼでぃ?なにそれ」


「死体を探しに行く話でしょ?スティーブン・キングの」


「そう、それだよ」


「『the body』は原作の原題だよ」


 と、小宮山さんは再び冷え切った視線を使って、ぼくを貫いてくる。まるで『汐崎くんはそんなことも知らないんだね。ふーん、失望した』とでも言いたげな表情だった。ちょっと眉を上げて悪戯に言う小宮山さんの姿を容易に想像することが出来た。


「そんな、全人類が皆知っている前提みたいに言われても……」


「じゃあ汐崎くんは人間じゃなかったんだね。そんな汐崎くんには大きなヒルがお似合いかもね」


 瞬間、脳裏におぞましい想像が貼りつく。沼から上がった白肌の少年の身体にへばり付いた、30センチはあろう巨大ヒル。血が滴る。


「ううう……やめてくれぇ。あのシーンはわりとトラウマだよ」


「うん……私も言っていて思い出しちゃった」


 ぼくと小宮山さんは顔を見合わせて、互いにはっきりとわかるような身震いをした。


「スティーブン・キングってホラー作家として知られているじゃない?だから初めて映画を見るって聞いた時は、学校でホラー映画なんか流して大丈夫なのかなって思ったよ」


「で、蓋を開けてみればノスタルジックな青春映画だったと」


「結局、死体は出てくるけどね」


「ぼくはその最後のシーンが良いと思う。主人公が拳銃を打って、震える手で構える所とか。緊張感が伝わってくるね」


「確かにそのシーンも好きだけど、私はやっぱり鉄橋の上で汽車から逃げるシーンが一番記憶に残っているよ。あんな状況には間違っても出くわしたくないね」


 小宮山さんは肩をすくめて軽く微笑んだ。ぼくは口角を少し上げて応じる。


「小宮山さんは何の授業の時に見た?ぼくは多分英語の授業だったはず。まぁ、翻訳版だったけど」


「え?私は数学の授業だったよ。授業が予定の進度より早く進んじゃったらしくて、日程調整として先生が見せてくれたよ」


「え、数学?」


 疑問符がぼくらの頭上を飛び交った。

 ややあって、小宮山さんはこの食い違いに結論を出したらしい。


「『スタンドバイミー』は教育機関で学生に見せる映画として、鉄板なのかもしれないね」


「そういう事になるね。名言が多い映画だし、少年の友情を描いた作品では多分トップクラスのモノだろうから」


「なんだか、もう一回見たくなっちゃった」


 そう言うと小宮山さんは髪の毛を指先で巻くようにして弄んだ。

 ぼくはそんな小宮山さんを臨みながら頬杖をついた。小さく息を吐く。


「いや、当分の間は遠慮しておこうかな」


「なんで?いい映画じゃない」眼前の乙女は不思議そうな顔をする。


「あの映画って、大人になった主人公が幼なじみの死をきっかけに回想するっていう導入だよね。その時にさ、あんなに仲良かった友人たちとは疎遠になってしまっていた、みたいなことを言っていた気がするんだ。それって何だか切ないな、と思って。あんなに劇的な冒険をした仲間でも、大人になったら関わりが薄れちゃうんだなって」


 ぼくは始めから用意していた、話の終着点をゆっくりと述べた。


「だから、今こうして学校生活を共に送っている友人たちとも、10年後は離れ離れで全く違う人生を歩むのだろうと考えたら、物悲しい気分になるんだ。いくら考えたところでどうしようもない事なんだけどね」


 ぼくが言い終わると小宮山さんはフフフと笑った。


「汐崎くんのいう事はもっともだね。私だって同じようなことを考える時はあるから。でも、逆に考えれば、人生の短くて濃い期間を一緒に過ごしただけでも十分なんじゃない?ずっと一緒に居られる間柄なんて一握りなんだから」


「そうなのかなぁ」


「うん、きっとそうだよ。だから今だけしか出来ない何かをするべきだと私は思うね」


 そう言った小宮山さんの表情には清々しさを感じさせる強さがあった。割り切っているのか、それともぼくが考えすぎなのか。きっと後者だろうな。


「じゃあブルーベリーパイを食べる大会にでも出る?」


 冗談交じりに発した言葉は、ぴしゃりと叩き落された。


「それだけは遠慮します。私、食べ物を粗末にするような人間だけにはなりたくないから」


「……大変失礼致しました」


「分かればよろしい」


 そう言い切った小宮山さんは、時計をちらりと見ると、手に持っていた文庫本を開いた。つられるようにぼくも時計に目をやるともう5時半だった。

 あと半時で部活は終わるのか、なんて思っていると、小宮山さんがボソリと何かを言うのが聞こえた。 丁度時計を見ていたせいで表情を追うことは出来なかった。


「なんか言った?」

「し、汐崎くんのせいで読書が進まないなぁ、ああ失望した失望したって言ったの」


 ちょっぴり棒読み気味に言われてしまった。

 ぼくは反射的に謝ってから、小宮山さんを邪魔しないように静かに宿題に手を付けることにした。正直なところ、彼女が言った事の検討はついていた。ただ、意味が良く分からなかったのだ。


『まぁ多分、私と汐崎くんはそんな短い関係じゃないと思うな』


 きっとこんな感じだった。

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