第10話 調理実習で張り切りたい……

「はぁー」


 ぼくは手に持ったプリントを見て、大きなため息をついてしまった。そのまま腕を前に出して、伸びるようにテーブルの上に突っ伏す。息を吐いたせいか、身体が良く伸びる。体力テストの長座体前屈だと30センチも伸びないのに、意外だ。


「どうしたの汐崎しおざきくん、新手のストレッチにしては乗り気じゃないね」


 いつもの興味なさげな声が聞こえる。


「いや、ストレッチをしたわけでは無いんだけど」


「てことは、ため息の理由はこれかな」


 小宮山こみやまさんは、エイっとぼくのプリントを取り上げてしまった。


「大方、クラスの人か修学旅行の係か何かで無茶振りされたんでしょ」


「ううん、ハズレ」うつ伏せのまま応える。


「……本当だ。これはレシピだよね」


「まぁそうだね。来週の調理実習の献立だよ」


 ゆっくりと声の方に頭を傾けると、小宮山さんはぼくの方にプリントを向けていた。その顔はとても不思議そうで、なぜため息をついたのか見当もつかないわ、とでも言いたげだった。


「ハンバーグと付け合わせのサラダと卵スープ。わりかし簡単そうね、何か苦手なモノでもあるの?」


「別に苦手なものはないけれど。ハンバーグが簡単ですか……」


「家ではよく作っているからね、絶品だよ」


 そう得意げに胸を張る彼女を見て、ぼくは思い出した。

 小宮山さんは料理がとても上手らしいのだった。僕自身はインフルエンザのせいで『お料理研究部』の活動にはまともに参加できていなかったから、小宮山さんが料理をしている所を見たことが無い。もちろん食べたことも無い。


「……小宮山さんは『お料理研究部』の人達よりも料理がお上手なんでしたねぇ」


 ぼくは嫌味っぽく呟いた。正直ぼくは、まだ『お料理研究部』強制的に退部させられたことを根に持っているのだ。根と言ってももやしのひげ根程度のモノだけど。

 現状は現状で十二分に満足しているし、むしろ今の方が楽しい生活を送れているのだろうと思う。でも、ただ一つ、いい加減にぼくを引き抜いた理由を教えて欲しいのだ。


「そりゃもちろん、顧問の先生を卒倒させるレベルだもん」


 小宮山さんは飄々と冗談を言ってのけた。


「なんか武勇伝が誇張されてない?」


「じゃあ、その場の全員が私の料理に感動し過ぎしまって、ポトポトと落ちた頬っぺたを拾おうと、床を這いずり回っていた事にしようか」


「じゃあってなんだよ!」


「まぁまぁ、私の料理が上手だったおかげで汐崎くんはここに居るんだから、感謝しなさいな」


「いやまぁ、感謝してないって言ったら嘘になるけどさ、いい加減にぼくを引き入れた理由を教えてくれてもいいんじゃない?」


「そうだねぇ……」

 小宮山さんは口元に手を当てて考えるような仕草をした。

 そしていたって真面目腐った顔をして言った。


「あの日の私のラッキーアイテムが汐崎くんだったというのはどう?」


「……前は確か無作為で選出したって言ってなかった?」


「ああそうだったかも。好きな方でいいよ」


「いい加減だなぁ!」


 何だか煙に巻かれた気分だ。

 やっぱり詳しくは話してくれないか、ぼくをこの妙ちくりんな部活に引き込んだ理由は。まぁこんな行き当たりばったり的な話の振り方じゃあダメだよな、小宮山さんにもそれなりの理由があるのだろうし。


 でも唐突に『二人の力がこの学校を守るカギになる』とか『気まぐれで世界を破壊してしまう小宮山さんを封じ込めることが出来るのが、ぼくだけだった』とか『実は小宮山さんは大富豪の娘で、ぼくはそんな小宮山さんを守るボディーガード、もとい肉壁だった』とか言われでもしたら、今のぼくに受け止めるだけの余裕はない。

 もっとほのぼのとした理由であることを望むばかりである。


「で、話を戻すんだけど、なんであんなため息をついたの?」


 小宮山さんはレシピに目を走らせている。きっとレシピに穴が無いか隈なく探しているのだろう。


「何と言えば良いのかな……ああそうだ。ぼくらの部活の名前って言える?」


「『料簡と理の研究部』でしょ」


「いや、カルトチックな方じゃなくてさ、これまで呼ばれていた通称の方だよ」


「第二料理部でしょ?それがどうしたの」


「そう、ぼくは未だにクラスの皆にお料理研の部員だと考えられているんだ、ややこしい名前のせいでね」


「ほうほう、それで」


 小宮山さんは頬杖をして促してくる。ちょっと小ばかにしたような目つきに思いのほかドキッとしてしまい、すぐに目を逸らす。窓の外ではいつもと変わらない木々の小枝が、ゆらりゆらりとしている。


「ええと、だからね、つまり、ぼくがクラスの皆に料理が上手い人間だと思われていることが問題なんだ」


「それが問題なの?悪い事では無いと思うけど」


 こういう発言が出来る辺り、やっぱり小宮山さんは他人に頼りにされ慣れているんだと思う。それに料理に自信があるみたいだし。ぼくみたいな人間とは違うのだ。


「いいや、大問題だね。だって皆はぼくが料理上手な人間だと思って接してくるわけでしょ?調理実習で中途半端なものを作ってしまったら、冷めた目で見られてしまうかもしれない。まともなアドバイスだって出来ないしね。まして失敗なんてした日には、もう学校にいけないよ、楽園追放だね」


「流石に考えすぎじゃない?知恵の実を食べる訳じゃあるまいし。と言うか、前から思っていたけど汐崎くんは心配性なところがあるね」


 小宮山さんは微笑みながら言う。


「それに、汐崎くんって料理が下手なわけでは無いでしょ?大丈夫だよ」


「下手ではないけどさ、プレッシャーがあるじゃないか」


「だから心配し過ぎだって」小宮山さんはやや口角を上げる。そして疲れたように、上に伸びをした。「それこそ去年の調理実習はどうやって乗り切ったの?」


「今となっては黒歴史だけど……何だかそれっぽい言葉を並べて、アドバイスしている風を装っていたよ。自分では一切鍋を振らずにね」


 どうも、エプロンを着て変な言葉をまくし立てるぼくを想像したらしい。小宮山さんは堰を切ったように笑いだしてしまった。クスクスという笑い声が二人だけの教室に広がる。


「し、汐崎くんは変なところで器用なんだね」小宮山さんは笑いを必死に抑えたように言う。「その器用さがあれば大丈夫だよ、今年も乗り切れるよ」


「そうなのかな、はぁ」


 ぼくは再びため息を交じりにテーブルの上に伸びる。テーブルはさっきより心なしか温かい。

 すると小宮山さんはゴソゴソと筆箱を漁るような音を立て始めた。続けてシャープペンをノックしたようだ。


「仕方ないなぁ、一応ちょっとしたアドバイスを私が書いておいてあげるよ。どうせ家庭科の先生も同じようなことを言うだろうし、中学生の調理実習でアドバイスも何も無いと思うけどね。ありがたく受け取ってね」


「え、本当に?助かるよ!」


 ぐわっと上体を起こして、期待と感謝の入り混じった視線を斜向かいの女神に注ぐ。その姿は普段以上に輝いていて、心底素晴らしい人のように思えた。あわよくば一生ついて行ってその後光を浴び続けたいものだ。


 と、ぼくの急上昇したテンションに、氷水を浴びせかけるような冷たい声が返ってくる。


「ちょっと集中するから静かにしていて。私、どんな料理にも手を抜かないって決めているから」


「ああ、ごめん。よ、よろしく頼みます」


 ぴしゃりと言われてしまって、ぼくはテーブルの端っこに縮こまる。圧倒されてしまった。

 それにしても、ちょっとしたアドバイスと言っていた割には、物凄い文量を書いているように思う。筆が一向に止まらないのだ。小宮山さんの料理への本気さが伺えるけど、それと同時に、プロレベルのアドバイスを貰っても僕には実践も何も出来ないぞ、と言う気持ちが大きくなってくる。


 静かにしろと言われてしまったので、わけもなく耳を澄ました。

 小宮山さんがプリントにペンを走らせる乾いた音がする。野球部の打球音が遠くから響いてくる。合唱部員が音合わせをする愉快そうな声が校舎の間を反射する。何を言っているか分からない陸上部かサッカー部の顧問の怒号が、微かに鼓膜をひっかく。

 小宮山さんの綺麗で可愛らしい、そして真剣そうな横顔を見ながら、ぼくはふと思う。

 そういえば小宮山さんの手料理を食べたことってなかったな。あのお料理研究部に数回しか参加できなかったし。小宮山さんって本当に料理が上手なのだろうか。百聞は一見にしかずと言うけれど、いつかは小宮山さんの料理をいただくことが出来るのだろうか。

 ああ、食べてみたいな。


 時計の針が垂直に並びそうで、でも並んでほしくない。18時のチャイムが鳴ってしまうのは、どうしようなく惜しい。そんな気がする。

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