第9話 鉛筆とシャープペンと忘れモノ

「そういえばさ、小学校の時ってシャープペンを使うことが禁止されていたよね」


 その日の話題も小宮山こみやまさんの何気ない一言から始まった。

 ぼくが、友人から貸してもらったライトノベルから目を上げると、小宮山さんはいつもの席にちょこんと収まっていた。彼女は不思議そうな顔をして、右手にシャープペン、左手に鉛筆を持っている。今にも指先で二本の筆記具をもてあそんで、ペン回しでも始めそうな雰囲気だったけれど、ぼくの予想は当たらなかった。そういえば小宮山さんがペン回しなどしている所なんて見たことが無い。ぼくは競馬とかボートレースをやらない方がいいタイプの人間なのかもしれない。今日も一つ、ぼくは自分の事を知ることが出来たのだ。うむ成長成長。


 みたいなことを考えつつ、ぼくは大して盛り上がりの無い文章に栞を挟むと、なるべく丁寧に返事をした。


「確かにそうだね。ってそれウチの小学校だけじゃなかったんだ」


「うん、少なくとも市内の小学校はどこも禁止されていたみたいだよ」


「へぇ、よくそんなことを知っているね」


「だって今日の休み時間にクラス中の人に訊いたんだもん、間違いないよ」


「それまた骨の折れることをしたんだね」


「ちなみに昨日と一昨日は別のクラスに訊いて回ったよ。二年生の大体8割からデータを取れたかな」


「さらっとすごいことを……ぼくだったら全身が複雑骨折だよ」


「ん、ちなみに複雑骨折は折れた骨が肌を突き破っていることを言うから、汐崎しおざきくんの言ったニュアンスとして多分正確なのは、粉砕骨折だと思うよ」


「ああ、なるほど、タメニナリマス」


 ――何とも複雑な気分だ。


「で、鉛筆とシャープペンがどうしたの?」僕は脱線した話を本線に戻した。「そこまでしてデータを取るなんて余程気になることがあるんだろうけど」


 小宮山さんはぼくの問いに少し戸惑いの色を浮かべると、はっきりしない口調で言った。どうも珍しい様子だった。


「いや、私もなんで気になったかが分からないんだよね。何かに疑問を持ったのは確かなことなんだけど」


「理由の分からない疑問か、でもそういうことってよくある気がするな。大抵はふとした拍子に思い出したりするよね」


「うーん……私の予想だけど、この問題はそんなに簡単に解決しなさそうな気がする」


 今日の小宮山さんはいつになく難しい顔をしている。

 もう少しで思い出しそうなのに、なぜか出てこない。喉元までは出かかっているのに、声にならない。概念は確実に理解しているのに、それを表する言葉をド忘れしてしまう。

 今の小宮山さんの状況は、ぼくにも痛いほどに理解できる。一夜漬けでテストに臨んだ日なんて、しょっちゅうこんな状況に陥る。単純な物忘れと違って、思い出せないこと自体が不快だし悔しいのだ。だからぼくは、小宮山さんの疑問の種を探し当てる手伝いをすることにした。まぁ読んでいたライトノベルがどうにも僕には合わなくて、ちょっと休憩したかったという事の方が大きいのだけど。


「何か関係する事を話していれば、いつかは思い出すんじゃない?」


「……まぁ確かに」


 小宮山さんは腑に落ちないような口調で言った。ただ、幾分か和らいだように見える。


「そもそもなんで小学校ではシャープペンを使うことが禁止されているんだろうね?」


「私が思うに……あの六角形の鉛筆で正しい筆記具の持ち方を学ぶためじゃないかな?シャープペンって丸いものが多いし」


「なるほど、一理あるなぁ。正しい持ち方が出来ないと上手く文字を書けないからね」


「あとは、筆圧の調整が難しい鉛筆をあえて先に扱う事で、様々な筆記具に対応できる器用さを養っているのかもしれないね」


「おお、いかにもって感じの説だね」


「鉛筆ってちょっと力むとすぐに先が折れちゃうよね」


 小宮山さんは左手に持った鉛筆をぼくらの目線の高さまで持ち上げた。


「ちなみにさっき、先っぽを折ってしまいました」


 今の小宮山さんの雰囲気と折れた鉛筆がちょっとアンバランスに思えて、ぼくはクスリと笑ってしまった。


「小宮山さんって案外不器用?」


 案の定、小宮山さんは少し目を細めてムッとする。髪の間から見える耳がほんのり赤い。


「汐崎くんほどでは無いけどね」


「ぼくが不器用なのは前提条件なんだ……」


「器用さが欠片でもあれば、私も失望しないんだけどねぇ」


 小宮山さんは間髪入れずに二の矢を放ってきた。これには言い返さざるを得ない!


「そ、その言い分じゃあ、まるでぼくが不器用の権化みたいじゃないか!流石にそれはスルー出来ないよ!」


「フフフ、権化と言う表現ですら生温い。君は器用の対極、繊細さの天敵、丁寧に最も嫌われた少年。おそらくこの世のすべてに見放されたのだろう。あのお釈迦様ですらクモに糸を出すのを止めさせたのだ。諦めるのだぁ!」


 演劇部顔負けの低い作り声で、理解しがたいことを言われてしまった。ぼくは語彙力の無い馬鹿だけど、それらがどうしようもない罵倒だということは分かった。


「ごめん、ごめんて!そこまで言われると流石にショックだよ」


「ウソウソ」小宮山さんはニヤニヤしながら言った。「からかっただけだよ」


「ぼくはかったよ……」


「それでさぁ」


 ――またスルーですか。


 不意に小宮山さんは折れた鉛筆の先をぼくの方に向けて来た。なぜか右手の手のひらもこちらに開いている。


「折れた芯が手のひらに刺さったまま取れないことってあるよね」


 目を凝らすと小宮山さんの左の手のひらの真ん中辺りには黒い粒が見えた。


「あるあるなのかな?ぼくの手のひらにも刺さってはいるけど」そう言ってぼくは左の手のひらをかざす。


「あ、本当だ。結構大きい破片に見えるけど痛くないの?」


「いや、何にも感じないなぁ。それより何で小宮山さんは右手に刺さっているの?小宮山さんは右利きだよね?」


「うーん、覚えてない。誰かに刺されたのかな」


「急に治安が怪しくなってまいりました」


「いやいや、汐崎くんの世紀末小学校ほどでは」


 ――いつの間にかぼくの小学校が世紀末になっている。


 小宮山さんは右の手のひらをさすりながら、ややぶっきらぼうに言った。


「この刺さった芯を早く取らないと、血管を通って心臓まで行って死んでしまうっていう噂もあったよね」


「あったあった。ぼくなんか本気にしちゃって、寝られなかった時だってあったよ」


「まぁ恥ずかしながら、私も同じくかな」


 ほうほう。今考えると如何にも嘘っぽい話だ。でもそんな話に踊らされて、夜な夜な枕を濡らす小宮山さんか。中々可愛らしいかもしれない。ちなみにぼくは、そば殻の枕が水枕になるくらいには心配していた。念のために言っておくけれど、僕は決して臆病じゃあない。学校の怪談とかは信じていたタイプだけど。


「汐崎くん、何か変な事考えてる?」


「い、いいえ」


「嘘だ。目が泳いでる」


「泳ぐのはたいやきくんだけだよ」


「じゃあたいやきくん、何か変な事を考えているね」


「ああ、もうわけが分からないよ!」


 今日はやけに脱線が多いな。飲酒運転でもこんなに蛇行運転はしないはずだ、多分。

 それに小宮山さんから話をずらしているような。話が紙一重で噛み合っていないような……何か思惑があるのかな。別に意図を訊きたいわけじゃないから良いんだけど。くだらない話をするのは楽しいし。


「で、本題に戻るんだけど、多分小学校でシャープペンが禁止されている一番の理由は、シャープペンが尖っていて危ないからだと思うのよね」


「おお、急に本題……。まぁぼくもそうじゃないかなとは思っていたよ。シャープペンは金属性とかプラスチック製のモノが多いからね。危険性を理解できていない小学生が振り回したりしたら、実質凶器かも。ただ……鉛筆の芯が刺さる云々の話の後だと、少し説得力に欠けるね」


「世紀末を生きる不器用の権化のたいやきくんがシャープペンを持ったら、間違いなく大量破壊兵器になりかねないね」


「コミヤマサン、アナタハイツマデ、ソノハナシヲヒキズルンデスカ」


「シオザキクンガフンサイサレルマデデス」


 まるで抑揚のない宇宙人のような返事が飛んできた。もう限界です……。


「ああ!本当に訳が分からないよ!ぼくが何をしたって言うんだ!」


「オモイダセマセンカ?」


 ――オモイダセマセンカ、思い出せませんか、どういう事だ?


 唐突に吹っ掛けられた言葉の意味が分からなかった。ぼくも何かを忘れているというのだろうか。もしそうなら、なんとも釈然としない、モヤモヤだ。それに小宮山さんは何かを知っているのだろうか。あの口ぶりからすると、多分そうなのだろうけど。

 すぐには答えが出そうも無い問題は横に置いておいて、間に合わせのように話を振った。


「まだ続けるの?そのしゃべり方。喉辛くない?」


「若干ね。いつ止めてくれるかと思って」


「ぼくはすぐに止めたはずなんだけど」


「そう?ごめんね」


 コミヤマサン、もとい小宮山さんがそう言って意地悪く微笑むのと同時に、音割れしたスピーカーからチャイムが響いてきた。どうやら部活の終わりの時間らしい。日が長くなってきて、窓の外の景色にあまり変化が無かったから気が付かなかった。時が経つのは早いな。


「で、小宮山さん、何か思い出せた?」


「ううん、全く」


「明日になればきっと思い出せるよ」


「かもね、それにさっきほどむず痒い感じはなくなったからもう大丈夫」


「そう?ならよかった」


「うん、たいやきくんのおかげだよ」

「ああもう!今日の小宮山さんはちょっと変だよ!失望したぁ!」


 まだ暮れ始めてもいない第二家庭科室に、ぼくの叫び声と小宮山さんの笑い声がこだましたのだった。夏に向けて足踏みをしているような鮮やかな日、ぼくらには忘れモノが多いみたいだ。

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