第4話 道明寺or長命寺

 ぼくは悩んでいた。知恵熱が出て、おでこで茶を沸かせる程度には悩んだ。


『桜もちは、長命寺ちょうめいじ道明寺どうみょうじか。』


 これはぼく達にとって非常に重大な命題の一つだと思う。人類の課された最大の難題のうちの一つと言っても過言ではない。

 しっとりした薄皮であんこをくるんだ長命寺桜もち、もち米の食感を残した道明寺粉であんこを包んだ道明寺桜もち、どちらの方が美味しいのか。あの塩漬けの桜の葉っぱは本当に必要なのか。


 しっかりと決着をつけなくはならない。

 いつか小宮山さんと一緒に桜もちを食べる機会があるかもしれないから。

 もし、好みでない方を提供してしまったら、僕はすべからく失望されてしまうのだ。そんな未来は見たくない。


 そして今だけは、その機会をどのように作り出すかということについては目を瞑ることにした。ぼくはヘタレなのだ。そのことを自覚しているだけマシというモノだろう。

 ちなみに、ぼくはもちろん道明寺桜もち派である。これだけは譲ることの出来ない信念だ。たとえ太陽が西から登っても、水が低い所から高い所に流れたとしても、桜の花が一年中咲いていたとしても、ぼくの好みは変わらないのだ。


「というわけで」


「どういうわけなの、汐崎しおざきくん」


 小宮山こみやまさんは、読んでいた英単語帳を開いたまま机の上に伏せて言った。僕の方に向けられている横目が心なしか冷たい。


「私の勉強時間をさえぎるなんて良い度胸してるじゃん」


「いや、今は一応部活中なんだけど」


 ああそっか、みたいな顔をして、小宮山さんは単語帳に栞を挟んで閉じた。改めて表紙を見ると、高校生が使うような厚くて難しそうな物だった。中学二年生になったばかりだというのに、もう大学受験を見すえた勉強をしているのだろうか。ぼくには到底知り得ない世界だなぁと思う。


「で、どういうわけなの?」小宮山さんは澄ました顔で言った。


「えっと、小宮山さん、今の季節は何でしょう?」


「え……春だと思うけれど」


 小宮山さんは怪訝けげんそうな顔をする。


「そう!今は春。ならば何が食べたくなる?」


 いささか唐突な質問に、小宮山さんは口元に手を当てて考えるような素振りを見せる。なんとも知的な仕草である。実際に彼女は知的なので死角はないのだけど。


「タケノコとかカツオとかビワとか?フキノトウやハマグリもいいよね」


「い、意外と大人な舌をで……」


「もちろん、イチゴも好きだよ」


「も、ろん……」


「あと桜?」


「それこそだ!」


 ――何とか話が軌道に乗って来たぞ!


 ぼくはコホンと咳払いをして本題に入ることにした。


「そうだよ、今日の話題は桜餅なんだ」ぼくは机に身を乗り出して訊いた。「ねぇ、小宮山さんは長命寺桜もち派?それとも道明寺桜もち派?どっちの方がす……」


「道明寺」


「そ、即答……」


 ぼくが質問を終える前に答えられてしまった。それも、ひどく興味なさげに。

 艶やかな毛先をいじりながら、小宮山さんは続けた。


「だって長命寺はお餅には見えないじゃない。見方を変えれば和風クレープよ」


 ――な、なんと!なんとなんと!驚くべきことである。


 どうやら小宮山さんは、ぼくと同じ価値観を持っているらしい。


「そうだよ!ぼくはずっとそのことを疑問に思っていたんだ。なんで小麦粉の生地とあんこで出来たモノが餅を名乗っているのか、あの物体のどこに餅要素があるのか、餅ならば米の要素が必要なのではないか。いや本当に不思議で仕方ないね」


「別にそこまで不思議には思わないけど……」


「いいや、不思議だね。色と匂いだけで様々な味を主張するかき氷のシロップくらい不思議なモノなんだ。あるいはお湯の量でラーメンにもペペロンチーノにもなる駄菓子の麺くらいね。ともかく、あれを桜餅として売り出した人の気が知れないよ!」


 と、ここまで勢いに任せて言い切って、ぼくは気付く。

 小宮山さんが完全に引いていたのだ。それはもう、接頭辞としてのドンをつけても差し支えが無いほどに。

 眉をひそめた彼女は低いトーンで言った。


「汐崎くん、君はそこまで桜餅に情熱を持っているの?それとも長命寺桜もちにご両親をいたぶられでもした?長命寺桜もちは私たちの星を侵略したりはしないんだよ」


「い、いやそんなつもりじゃ」


「あと言い忘れていたけど、餅に見えないと言っただけで、長命寺の生地にも一応、白玉粉とかが入っているから、お餅の要素が無いわけではないよ」


 ――おう、衝撃の事実。


 ぼくが反応に困っているのを見て面白がったのだろう。

 小宮山さんはニヤリとした。


「まぁまぁ、汐崎くんが桜もちに対して、並々ならぬ思い入れがあるのは分かったからさ。その口ぶりからすると汐崎くんも道明寺の方が好きなんだよね?どこが良いの?」


「どこが良いって……そりゃ一目見て餅だってわかる見た目が良いと思うんだ。桜もちを知らない人が道明寺を見て『これが桜もちです』って言われたら納得してしまうと思うんだ」


「桜もちを知らない人に「これが桜もちです」って言って見せたら、それが何であっても桜もちであると認識すると思うんだけど……」


「い、否めない」


 ――なぜか言い負かされたぞ。こんなはずでは無かったのに


「あ、あとはあのつぶつぶ感が好きだな。米粒が残った食感が良いよね」


「そうね。私もあの食感が好きかも。お餅とお米の中間みたいなね」


 最初は乗り気でなかった小宮山さんも、話題に興味を持ってくれたみたいだ。ただ、ぼくが道明寺桜もち狂信者みたく思われてしまっているのは腑に落ちない。

 ぼくは単に道明寺が好きで好きでたまらないだけなのに。


「あっそうだ、小宮山さんはあの桜の葉っぱをどう思う?と言うか剥がして食べるタイプの人だったりする?」


 椅子に腰を落ち着けて訊くと、小宮山さんは目を細めた。


「私がそんな無作法な人間だと思っているの?あれはしょっぱい桜の葉っぱと甘いお餅を一緒に食べるから良いのであって、分離させてしまったら桜もちではないよ。食感とか味にいちゃもんをつけて葉っぱを食べない人とは、わたし口も利かないと思う」


 ――小宮山さんも中々の桜もち狂信者のようだ。いっそ桜もち同好会にしてしまおうか。


「ぼくも一緒に食べるかな。あの葉っぱから漂う桜の香りを楽しむのも良いしね」


 ぼくがそう言うと「だよねー」とこぼして、小宮山さんは窓の外の桜の木に目を向けてしまった。

 話は急に終わりを迎えたみたいだ。

 ぼくもつられて窓の外を見る。

 桜色としか形容できない小さな花が沢山ついた木が、そよ風でわずかに揺れている。窓を開ければ、今にも胸いっぱいに桜の香りを取り込めると思えるほど、等身大で魅力的な桜だ。

 別に桜を見ても、はしゃいだりはしない。むしろ静かに眺める方がぼくらの性に合っている。


「ねぇ」


 唐突に小宮山さんが呟いた。


「何で桜もちの話なんてしたの?」


 外を見たまま応える。


「なんとなくだよ。今は春だからね」


「ふーん」


「小宮山さんは今年になって、もう桜もちは食べた?」


「まだ」


「ぼくもだ」


 校庭の方から運動部の掛け声が聞こえてくる。


 ややあって。


「じゃあ近いうちに買いに行こうよ。私の家の近くに和菓子屋あるし」


「……え?」


 小宮山さんの方を振り向くと、彼女はまだ窓の外を眺めたままだった。

 いつもの三日月みたいな横顔が映える。


「嫌なら私一人で行くけど」


「いや……行きます、行きますってば」


「そもそも汐崎くんを連れていく必要なんてないじゃない。食べたら感想だけ教えてあげるよ。楽しみにしてて」


「だから僕も行くって!そこを何とか!ぼくも桜もちが食べたいんだよ!」


 拝むように言うと、小宮山さんはぼくの方に視線をチラッと流した。

 その目は笑っているようにもからかっているようにも見えた。


「じゃあ、食べ比べもしようか。長命寺と道明寺」


「う、うん」


「来週辺り予定空けといてよね」


「も、もちのろんだよ!」


 棚からぼた餅と言うべきか、一緒に桜もちを食べる約束までしてしまったではないか。もしかしたら神様は本当にいるのかもしれない。いずれ神様の有無についても語り合う必要がある。


 そして、その後のぼくが「小宮山さんと二人で和菓子屋に行くという状況を、学校の誰かに見られでもしたらどうしようか」という重大な問題に頭を抱えたのは言うまでもない。

 悩みの種が尽きないお年頃なのだ。

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