第6話 濁流、金魚鉢

 次の日、目覚めの悪い朝を迎えた。頼雄と共にアルバイトのために三滝堂に向かう。夜に雨が降っていたようでアスファルトは湿っていて水溜りができていた。


 小川は増水して流れが急になっていて、川辺で大人達が集まって何か慌てているようだった。狩野さんが僕達に気付いて声を上げた。


「来たか君達! 大変なことになった。手伝ってくれ!」


 狩野さんは何があったのかろくに説明しないまま砂防ダムの方へ向かった。胸騒ぎがした。僕はおぞましい光景を見ることになる。


 砂防ダムから流れた川水は岩石の突出した地帯に流れていくが、岩石と川面の境が陽光が照らされて、キラキラと赤く輝いていた。無数の金魚の死骸が岩肌に張り付いていた。


「酷いな……」頼雄が口元を押さえた。


 警察に届け出をするために現場の状況を写真に収め、遊泳客が訪れる前にビニール袋を片手に死骸を回収した。狩野さんは金魚を育てきれなくなった業者が不法投棄したのではないかと推察した。


 正午になると雲行きが怪しくなってきて、ポツポツと雨が降り始めた。小川には遊泳客の姿はなく、瀬世良さんのいない東屋で雨宿りをしている最中、頼雄が呟いた。

「絶対、あいつがやったんだ……」



          ○



 日が暮れ、雨脚が次第に強くなっていく。先日の小屋に訪れたが莉亜の姿はなかった。


 扉は施錠されていて小屋の窓から中を覗くと蛍光灯の薄明かりの中、水槽には金魚が一匹もいなかった。金魚流しの犯人が莉亜であると確信した。


 集落を歩き回ったが莉亜を見つけることができず、為す術が無いまま僕達は祖父母の家に帰宅した。


 居心地の悪い夜だった。寝室で僕と頼雄は浮かない顔をしていた。ふと瀬世良さんのことが脳裏に過ぎった。


 何故、僕達に莉亜の存在を知らせたのか疑問に思った。かくれんぼをしているという言葉、瀬世良さんと瓜二つの人物の写真が掲載された交通安全ポスター、紅色の魚、鼓動が激しくなっていく。


「あのさ」僕は頼雄に問いただした。

「昨日、何で頼雄はあの小屋の中に入っていったんだ?」

「……」頼雄は俯いた。

「信じてくれないかもしれないけどさ、聞こえたんだ。あの小屋の中から瀬世良さんの助けを呼ぶ声がしたんだ」


 その言葉を聞き、唾を飲み込んだ。額から汗が流れて、頬を伝っていく。


「もしかして瀬世良さんって……」


 僕は口噤んだ。外から雨音に混じって水溜りを踏む音が聞こえる。誰かが近づいてくるようだ。硝子戸を打ち付ける音に僕達は驚いた。磨り硝子のため向こう側が見えなかったが、硝子に映るシルエットから瀬世良さんだとすぐに分かった。


「助けて! 見つかってしまった! 潤一くん! 頼雄くん! 助けて! 嫌っ!」


 瀬世良さんは硝子戸を何度も手のひらで打ち付け、何者かに引っ張られるように窓枠から姿を消した。僕は急いで硝子戸を開けたが瀬世良さんの姿はそこになかった。


「潤一、行くぞ!」

「ああ!」


 僕達は急いで玄関に向かった。茶の間にいた祖父が不審に思って声をかけてきた。


「この雨の中どこ行くんだ?」

「気にしないで。すぐ帰ってくるから!」


 雨の降りしきる集落の通りを駆けていく。向かう先は三滝堂だ。きっと莉亜もそこにいると思った。


 駐車場を通り抜け、木の段を降りていくと街路灯の薄明かりの中、川辺にたたずむ莉亜の姿があった。金魚鉢を腕に抱えているのが見えた。


「やめろ、莉亜!」


 莉亜はこちらに顔を向けた。ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべていたが僕達の存在に気付くと歯を食いしばってにらんできた。


「来るな、お前ら! 来るんじゃない!」


 莉亜は足元にある石を拾うと僕達に投げつけてきた。避けようとしたが僕の額に石が直撃して視界が歪んだ。歪んだ視界の中、頼雄が脇腹や肩に石が当たろうとも怯まず莉亜の元へ向かっていった。


「いい加減にしろ!」


 頼雄が莉亜の衣服に掴みかかり、金魚鉢の奪い合いになった。


「があ! クソが!」


 莉亜は頼雄の腹部を足蹴あしげにして引き離すと、金魚鉢を頭上高く上げ、濁流となった小川に向かって振り下ろした。飛沫を上げる川面かわもを見て、僕は肝を冷やし、慌てて濁流の中へ飛び込んだ。足の付け根まで深くなった濁流の中、流されて僕から遠ざかっていく紅色の魚目掛けて駆け出した。


「ああああ! 瀬世良さん……瀬世良さん!」


 川底の石につまづいて濁流に倒れ込んだ。指先の爪が割れようが、泥水が喉元を通ろうが、這ってでも瀬世良さんに追いつこうと必死になった。


 目を凝らすと瀬世良さんが僕に向けて手を伸ばしているのが見えた。


「潤一くん!」

「瀬世良さん!」


 僕も手を伸ばし、あと少しで瀬世良さんに届くと思った瞬間、上半身に奇妙な浮遊感を感じた。僕はいつの間にか砂防ダムに乗り上げ、頭から川底へ転落する寸前だった。


「あっ!」


 死という言葉が脳裏に過ぎったが、誰かに背後からシャツの裾を掴まれて、引っ張り上げられた。川辺まで引きずられると頬を平手打ちされた。頭が真っ白になったがこの痛みは知っている。目の前に祖父がいた。


「馬鹿が! 死ぬ気か!」


 祖父の怒号で我に返った。暗闇に染まる砂防ダムの先から金切声ともつかないような女性の叫び声が聞こえて背筋が凍った。


 頼雄に目を向けると莉亜の衣服を掴んだまま地に膝を突いて顔を蒼ざめていた。僕は静かに涙を流した。僕達は瀬世良さんを救うことが出来なかった。


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