第3話 瀬世良

 祖父母の家を出て、頼雄と共に散歩する事にした。この集落を案内するためだ。


「自然がいっぱいだ」


 頼雄は気持ちの良い背伸びをしたかと思うと、突如駆け出した。


「ハッハッハー、俺先に行ってるからな!」

「待てよ! 迷子になっても知らねーぞ!」


 僕が通う専門学校の同級生の頼雄は、夏休み期間中に予定が無いと言っていた。僕が祖父母の家の近所にある小川「三滝堂みたきどう」で短期アルバイトをするという話を聞くと一緒にやりたいと言い出した。電話で祖母に友人が一人泊まりに来ると伝えると了承してくれた。僕の祖父は癖が強くて怖いぞと言ったが、頼雄は「大丈夫だ」としか言わず、へらへらと笑っていた。


 原付で仙台市のアパートから登米市の祖父母の家に向かっている間、不安な気持ちが心の中に渦巻いていたが杞憂きゆうだったらしい。なんと頼雄は祖父と出会ってすぐに打ち解けてしまい、楽しげに会話をしていた。初めて会った日からお調子者だと思っていたが、ぶっきらぼうな祖父の心をいとも容易たやすく受け入れさせる姿に脱帽せざるを得なかった。


「あれが三滝堂だ」


 僕が指差す先に川のせせらぎが聞こえてくる。三滝堂はアスレチックのある公園とキャンプ場が併設されている。木の段を降りると川辺で大人達が数人集まっていた。


 砂利が辺り一帯に散らばっていて、転ばないように慎重に歩いていると三滝堂公園管理人の狩野さんがこちらに気付いて手を振った。


「おっ、来たな。佐々木さんとこの」

「はい、潤一です。こっちは友人の頼雄です」

「短期アルバイト頑張ります!」


「威勢が良いねえ、君!」と狩野さんは豪快に笑ってみせた。


 今日は業務内容の説明会が行われた。小中学校が夏休み期間に入ると家族連れが三滝堂に訪れるようになる。狩野さんを含めた地元民は屋台や交通整理、キャンプ場関連の事務仕事をする。そしてアルバイト組の僕と頼雄と他方から来た大人達は川や公園で遊ぶ子供達が危険行為を行わないように監視する。市民プールの監視員のようなもので、祖父の家にずっと滞在しているだけでは勿体無いと思った僕は去年からこの短期アルバイトに参加している。ここでも頼雄は皆とすぐに打ち解けた。


 相変わらず頼雄は凄いなと思っていると、背後から視線を感じた。振り向くと僕達から離れた所に小川をまたぐように掛けられた木造橋があって、その橋のたもとで一人の女性がジッとこちらを見つめていることに気付く。その姿と口元の真紅のルージュに見覚えがある。正午に道の駅で出会った瀬世良せせらと名乗った女性だった。頼雄も視線に気付いたらしく、僕と同じ方向を見ていた。瀬世良さんは寂しげな瞳を見せるとうつむいて橋のたもとから去っていった。



          〇



 次の日、朝七時半からアルバイトが始まる。早朝にも関わらず三滝堂に訪れる人達がいるからだ。時間が経つごとに駐車場が大小異なる車で埋まっていく。今回、頼雄はアスレチックのある公園、僕は小川のエリアで監視員を務めることになった。


 三滝堂は成人男性の膝まで浸かる浅い小川であるが、奥に行くほど深さが増していく。屋台やキャンプ地から少しばかり離れた所にコンクリートの砂防ダムがあって、僕はその場所を重点的に監視するようにしていた。子供達が飛び込みをして遊ぶからだ。砂防ダムから流れる川水が小さな滝を形成し、飛沫を上げる。その滝の先は僕でも全身浸かるほど川底が深くなるため、飛び込みをした子供が溺れないように注視しなければならない。


 正午になると休憩時間に入り、他の監視員と交代した。東屋の椅子に座り、小川で遊ぶ子供達をぼんやりと眺めていると浮かない顔をした頼雄が僕の元にやってきた。


「なあ、ここって同い年くらいの女の子って来ないんだな……」

「うーん、そうかも」


 頼雄は肩を落とした。僕とアルバイトをする中で女性との出会いを期待していたらしい。しかし川辺を見回しても家族連れの姿ばかりだった。頼雄は僕の隣に座り込むとテーブルに顔を伏せたまま動かなくなってしまった。


「こんにちは」


 湿った夏の匂いがした。声のする方へ顔を向けるとテーブルの向かい側に瀬世良さんがいた。


「こんにちは。瀬世良さん……でしたっけ?」

「瀬世良さん⁉︎」


 僕の発言に頼雄は顔を上げ、瀬世良さんはクスクスと笑った。


「先日はごめんなさい。喉が渇いて、意識が朦朧もうろうとしてつい」

「いえいえ、気にしないでください」


 隣に座っていた頼雄が立ち上がった。


「そうだ、俺達まだ昼飯食べてないんだった。ちょっと屋台に行ってくるので、瀬世良さんここで待っててください」


 そう言って、嬉々として屋台へ駆け出していった。東屋は僕と瀬世良さんだけが残った。瀬世良さんは不思議な人だった。僕と歳が近いようであるが落ち着きがあって、草木の生い茂る閑静な山林の中にひっそりと咲くヤマユリを連想させる。まるで風景の一部、その場にいないように感じられた。


 僕は何を話せば良いのか分からなくなって黙り込んでいるとテーブルの向かい側の瀬世良さんと目が合って、思わず視線を逸らした。


「おーい」


 頼雄はすぐに戻ってきた。手にはビニール袋を携えていて、焼きそばとたこ焼きが詰まったプラ容器が袋から透けて見えた。


「はい、瀬世良さんこれあげます」


 頼雄は水滴が滴るキンキンに冷えたラムネ瓶を瀬世良さんに手渡した。


「ありがとうね。ラムネ大好き。ちょうど喉が渇いていたの」


 あらかじめ屋台で栓が開けられたラムネ瓶を瀬世良さんは口元に当てた。気泡の弾けるラムネをスッと冷水のように一息で飲み干し、僕と頼雄は「おお」と声を上げた。


「凄いですね。僕は一息で飲めないですよ」

「ふふっ」


 瀬世良さんは再びクスクスと笑った。昼食を三人で一緒に食べながら他愛もない話をした。


「私はね、かくれんぼしているの」

「かくれんぼ?」


 僕は首を傾げた。話を聞く限り、瀬世良さんはこの集落に最近住み始めた人らしかった。かくれんぼという言葉を聞き、近所の子と一緒に遊んでいる最中なのだと想像した。


「じゃあ、今も瀬世良さんを探している子がいるんですよね?」

「今なら大丈夫みたい。私達と同じように昼ご飯食べているみたいだから」


 色々と話し込んでいるうちに休憩時間が終わり、僕と頼雄は持ち場に戻ることになった。


「また会いに来ても良いかしら?」

「もちろんですよ!」


 頼雄はピースサインした。先程まで浮かない顔をしていたが瀬世良さんのおかげで活力が湧いてきたらしい。僕達は互いに手を振り合ってその場から別れた。


 砂防ダムの側まで歩いていると川辺に打ち上げられている小さな赤い物体を発見した。陽光に照らされてキラキラと輝いていて、僕は誰かが川に捨てたゴミだと思い、拾おうとして手を伸ばした。それが何なのか理解した瞬間、ゾッとして後退あとずさりした。全身の産毛が逆立つ。それは金魚の死骸だった。瞳が白んでいて、死んでいるのだとすぐに分かった。


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