古きもの

増田朋美

古きもの

古きもの

その日は、のんびりした晴れの日で、もう春が近づいているせいか、いろんなところで花が咲き始め、公園の花壇に植えられたチューリップの球根が、そろそろ芽が出てきたかなと言われる感じだった。もちろん晴れていても、寒い日々が続いて、春が訪れることはなかなか遠いようであるが、植物たちはうそをつかないで、ちゃんと花を咲かせて、しっかり芽を出している。

「ほら、今日はあったかくていいじゃないか。な、外へ出て良かったろ。頑張って、公園を歩いてみような。東屋で休憩はするが、もう春なんだし、運動しなきゃだめだぜ。」

杉ちゃんは、車いすを動かして、そういうことを言った。隣で、これまでよりさらにやつれた、痛々しい風情になってしまった水穂さんが、一生懸命歩いている。その前には、あの三本足のフェレットである正輔君が、まるで、マラソン選手を先導する白バイ隊員のようなつもりで、水穂さんを先導して歩いていた。杉ちゃんの膝の上では、まな板に乗った輝彦君が、選手に水をあげたり、応援したりする人みたいなそぶりで水穂さんをじっと見ている。

「ほら、フェレットちゃんたちも、お前さんの事応援してくれてらあ。ちゃんと、歩いて運動しような。」

と、杉ちゃんに言われながら、水穂さんは、疲れ切った表情で、一生懸命歩いていた。

「もうちょっとだからな。もうちょっと行けば東屋だからな。もうちょっと、頑張って歩こうな。」

確かに、東屋までは、100メートルもなかった。それは確かであるけれど、水穂さんには長距離走をしているようなものだ。

「もうちょっと、頑張れ。」

そういわれて、水穂さんは、東屋に歩いた。何とかたどり着くと、水穂さんは、東屋のベンチに倒れるように座り込んだ。まだこの時は、息が荒くなってしまった程度で、せき込むことはしなかった。杉ちゃんは、其れでよかったといった。二匹の小さなフェレットは、杉ちゃんに拾い上げられて、ベンチに座った。二匹とも、水穂さんの事を心配そうに見ている。

「あの、一寸すみませんが、教えていただきたいことが在るんですけど。」

杉ちゃんたちが、東屋で休憩していると、ひとりの女性が、杉ちゃんに尋ねた。年齢は、30歳程度の若い女性だった。いちおう、スーツを着ていたから、どこかで働いている女性だと思うけど、まだ、さほど年数がたっていないと思われる。

「はいはい、何でしょうか。」

「はい。あの、この公園の、東口というのはどこでしょうか?すみません、私、この公園が、こんなに広い公園だったということを知らなかったんです。其れで、東口って言われても、どこの事なのかわからなくてですね。」

杉ちゃんがそういうと、彼女は答えた。

「ああ、そうなのね。東口は、カフェのある所だよ。」

そう答えても、彼女はよくわからないようだ。

「じゃあ、ご案内しましょうか。多分きっとカフェがどこにあるか、わからないんだと思う。」

と、水穂さんが、杉ちゃんに言った。そして、まだ荒い息をしていたが、こちらですと言って、よろよろ立ち上がった。二匹のフェレットたちが、彼を心配そうに見ている。水穂さんは、右足を引きずりながら、元来た道を歩いて、東口へ向かった。杉ちゃんは、大丈夫だよと二匹のフェレットたちに言った。

「はい、東口は、こちらです。ちょうど、左手にカフェがありますから、ここでまたせてもらったら、いかがかと。」

水穂さんがそういうと、

「どうもありがとうございます。すみません、何でも富士に来たのは初めてで、バラ公園がこんなに広いとは思いませんでした。」

と、彼女は言った。

「何かここで、打ち合わせでもするつもりだったの?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、もうすぐ、こちらに来る、姉夫婦と待ち合わせをここでしているんです。姉たちに言われるがままにこの公園に来てみましたが、」

「はああ、まさか、こんなに広い公園があるとは思わなかったか。富士をバカにしちゃいけないよ。」

杉ちゃんは、彼女にカラカラと笑った。

「すみません。姉たちは、田舎町なのですぐわかると言ってたんですけどね。田舎町どころか、こんな大きな公園があって、びっくりしちゃいましたよ。」

彼女がそう答えると、バラ公園の東入り口に、一組の男女が歩いてきたのが見えた。

「ずいぶんお年が離れたお姉さんですね。」

杉ちゃんがそういうように、その夫婦は、兄弟にしては、年が離れすぎているような気がする。

「ええ、まあ一回り年が違うので、よく言われるんですよ。」

と、彼女が言った。

「年の差結婚で、おまけに呉服屋までしているものですから、姉はちょっと老けて見られます。其れは仕方ありません。お姉さん、こっちこっち!」

彼女が手を振ると、ご夫婦は、気が付いてくれたようで、彼女のいる所に駆け寄ってきた。

「どうもありがとうございました。おかげで、助かりました。」

と彼女がにこやかに笑って軽く頭を下げたのと同時に、水穂さんが一寸うめき声をあげて、激しくせき込んでしまった。同時に口元から赤い液体が漏れてきた。

「おい!バカ!人前でそんなことやって何をしているんだ!」

と、杉ちゃんが言っても、止まることはなかった。それを、一緒にやってきた三人も目撃した。

「この人、銘仙の着物で、、、。」

年の差結婚と言われた男性が、それをつぶやいた。

「それは言わないでやってくれ!」

杉ちゃんが一寸声を荒げて言うと、

「いいえ、あたしたちは、気にしませんよ。ただ、世間には、貧しい人が着る着物と言うお年よりはまだまだ多いから、趣味的に着ると言っても、気を付けてきて頂戴ね。」

とお姉さんという女性が、親切に水穂さんに言った。

「直ぐに、車をこっちへ持ってこさせますから、どこの病院に連れていけばいいか、教えてくれませんか?」

と、男性がそういうことを言った。

「いやあねえ、病院に行くと、たらいまわしにされちゃうことあるからね。其れは、まずいだろ、それは。だったら、こいつが住んでいるところへ送り届けてやってくれるか。」

杉ちゃんがそうごまかすと、三人の男女は、じゃあそうしようかと言ってくれた。本当に、銘仙が必要な身分だと分かったのかどうか不明だが、彼らは、其れのせいで態度を変えることはしなかった。「じゃあ、私、車を呼んできますから。」

お姉さんと言われた女性が急いでスマートフォンを出して、ワゴン車タクシーを一台お願いしますと丁寧に御願いしていた。できれば、病気の男性がいるので、その配慮もお願いしますという。座り込んでせき込んでいる水穂さんを、男性がよいしょと背負った。

「大丈夫ですよ。あたしたちは、何もしませんから。ただ、お宅まで送り届けるだけですから。」

と、妹の女性がそういうことを言った。

「あの、すみませんが、お前さんたちの名前を教えてもらえないもんだろうかな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ああ、宮川と申します。宮川剛ともうします。妻は宮川春代。そして妹の、」

「倉田夏江です。」

と妹の女性がにこやかに笑って言った。

「どうもありがとうございます。僕は影山杉三で、こっちは磯野水穂さん。よろしくお願いしますね。」

杉ちゃんがそういうと、

「どこかで見た顔だと思っていましたが、やっぱりそうだったんですね。旧姓、右城さんではありませんか?水穂さんという名前で思い出しましたよ。一度、演奏を聞かせてもらったことが在りますよ。確か、ゴドフスキーの曲やってらして。」

と、夏江さんがそういった。そうすると、水穂さんが、宮川さんの背中の上でさらにせき込んだので、宮川さんは、もう夏江さんに止めるように言った。同時に、立派な高級ワゴン車が、バラ公園の入り口にやってきた。春代さんに言われて、杉ちゃんと二匹のフェレットは、車の中に乗り込む。なぜか、春代さんの指示の通り、一台の寝台車、いわゆるストレッチャーが、後部座席から出てきたので、杉ちゃんもびっくりした。宮川さんが、水穂さんを其れの上に乗せた。

「じゃあ、ご自宅はどこにあるかいってくれませんか?」

と、宮川さんが言うと、

「ああ大渕だ。大渕の、大渕小学校の裏まで行ってくれ。」

と、杉ちゃんが言った。運転手はストレッチャーを車の中に入れると、全員車に乗り込み、大渕小学校の方向へ向かった。

幸い、歩いても行ける距離だから、五分くらいでたどり着くことができた。杉ちゃんが、大渕小学校から、製鉄所へ案内すると、宮川夫妻は、富士市で、こんな施設があったとは、驚きだったといった。

製鉄所の玄関前に到着すると、杉ちゃんは運転手におろしてもらって、宮川さんたちは、水穂さんを乗せたストレッチャーを外へ出した。宮川さんがまた水穂さんを背負った。そして、杉ちゃんの指示通り、急いで四畳半に連れて行って、布団に寝かせてやることに成功した。杉ちゃんが急いで薬を飲ませると、水穂さんはやっとせき込むのをやめてくれた。

「どうもすみませんでしたね。ここまで運んできてくださって。」

杉ちゃんが、申し訳なさそうに言うと、

「いいえ、大丈夫ですよ。其れよりも、人前で銘仙の着物を着ることは、あなたの良さまで誤解されますから、やめた方が良い。」

と、宮川さんがにこやかな顔をしていった。

「そうかもしれないけど、身分をごまかして極鮫とか着ると、ばれた時に怖いから、初めからこういうものを着ていた方が良いというものですから。」

と、杉ちゃんが言った。

「いや、あなたではありません。彼に言っているんです。」

宮川さんはなんでも答えてしまう杉ちゃんに、一寸いやそうな顔をしてそういうのであるが、

「だ、だけどねえ。ほら、何というのかな。特定の民族を示すために、黄色い印を付けたとか、そういう事あったじゃんねえ。其れと一緒だよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「いいえ、一緒ではありません。銘仙の本当に必要な人ばかりではなく、必要な身分じゃなくても、平気で着用している人は大勢いますからね。私たちも、販売するときは、注意をするようにしています。それは、やっぱり日本の歴史的な事情ですからね。どこの世界にも、そういう衣装はあると思いますので。」

「失礼だけど、夏江さんが、呉服屋をやっていると言ってましたが、」

と、杉ちゃんは言った。

「ああ、申し訳ありません。失礼いたしました。私たちは、静岡市で呉服店をやっておりましてね。それで、来月に、二号店を東部に開店させようと思いまして、今日はその現地調査に来たんですよ。」

そういって宮川さんは、にこやかに笑って、名刺をちらりと見せた。

「名刺なんか見せられてもしょうがない。僕は字が読めないんです。」

と杉ちゃんが言うと、

「ああ、そうですか。それは失礼いたしました。リユース着物の宮川と言えばわかるかな?」

宮川さんは、やっと店舗名を名乗った。

「そうなんだねえ。僕は全然聞いたことないけどさ、リサイクル着物をやっている店って結構あるのかな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「まあ、洋服の企業ではないですから、さほど有名な所ではありませんが、最近着物に興味を持ってくれる若い人が増えてくれてくれまして、売り上げは好調です。」

と、春代さんが答えた。

「そうなんだねえ。着物を着る側に回ると、一寸意外だが、着物というものは、そんなに、売れているもんかね。着る人が増えているとは思わないのだけど。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「それに、僕らは気にしないが、着物代官というやつらがいて、着物を着ているやつを注意する奴ばっかりで、着物を着る気なくすということもあるけどな。」

「ええ。私たちは、着物と洋服を、合体させた新しい着方を目指しているのです。着物が、本物通りに着るというのは、まず、そういうひともいますから、基本的に不可能であると考えているんですよ。どんなに着付けを工夫したって、きっちりと理想的に着ることはできませんよね。其れなら、着物を着る前に、洋服を着て、その上から着物を着るという新しい着方を提案するようにしています。其れであれば、小さすぎると着物代官たちが言うのも、回避できるのではないかと。」

と、春代さんがそういった。

「はあ、そうなのね。しっかし、よく思いついたもんだなあ。洋服と着物を着合わせるなんてさ。思いもつかなかったよ。」

「これが、そのサンプルなのよ。」

杉ちゃんがそういうと、春代さんは一枚の写真を見せた。確かに、レースのブラウスにフリルのスカートをはき、その上に、着物をおはしょりをつけて着用し、袋帯を締めている女性が写っている。

「はあ、それなら、おはしょりをつけないで着用してもいいのではないか?」

杉ちゃんがまた言うと、

「ええ、そうなんですけど、それのせいで、多くの女性たちが、被害にあっていることをご存じありませんか?おはしょりがない着方をすれば、おはしょりがないのはルール違反と言われ、裄が短い着物を着ていれば裄が、短くてだらしないと言われ。そんな風にないない尽くしをされるようでは、着物なんか着る気にならなくなりますよね。其れなら、洋服の上からでも、ちゃんと着用するようにしてもらった方がよろしいのではないかと思います。」

と、宮川さんは言った。

「そうよ。其れに黒留袖のようなものだって、黒いスカートやブラウスの上に着たりすれば、小さすぎても着られるわ。振袖も同じことよ。そういう風に、ちゃんと、今の時代に合うように着物も変えていく必要があると思うの。其れでいいのではないかと思うわ。礼装も、着物を必ず着なければいけないということはもうないと言って逃げることもできるわ。其れなら、着物と同時に洋服を着た方が、より合理的よ。」

という、春代さん。

「そうだねえ、確かに、それは言えるんだけどねえ。」

と、杉ちゃんはそういうのであるが、どうも納得できない様子だった。

「でも、着物はきもので、しっかりそのまま着用したいと思うんだけどさ、、、。」

「いいえ、そんなこと、もはやできやしませんよ。着物は確かに需要がないから、安い値段で入手できますけど、それは同時に今の時代では、着用できないのも示すんだと思うんですよ。其れをどうにかして、着用させるのか、しっかり考えなければならないのではないでしょうか。其れは、着物だって来てやった方が、喜ぶでしょう。」

宮川さんは得意絶頂に言った。

「いや、そうなるとねえ。そういう着方が普及してしまうと、僕たちの出番はなくなっちまうんだよね。僕たちは、寸法直しも商売として、やっておりますからね。」

杉ちゃんが頭をかじってそういうと、

「和裁なんて、もう現代には必要ないじゃありませんか。浴衣とか、着物だって、ミシンで仕立てられる時代なんですよ。」

と、春代さんがそういうのであった。

「まあ、そうなんだけどねえ。僕はミシンというものを使いこなせないのでねえ。」

杉ちゃんが、でかい声で言った。そのやり取りを、妹の夏江さんが、申し訳なさそうに聞いている。

「夏江さんはこのプロジェクトにあまり反応はないみたいだな。」

直ぐ、杉ちゃんはそれを読み取っていった。

「ごめんなさい。和裁の先生だったというのは、わからなかったものですから。いくら必要ないと言っても、和裁をやっている先生には、和裁だって大事な技術だろうなと思いまして。」

夏江さんはそういうのだった。

「大事な技術というか、和裁を習っていないと、自分の着物は作れないんでね。水穂さんの着物だって、作れないんですね。」

と、杉ちゃんは言った。

「どうもミシンで仕立てるというのは、難しいな。僕はそれができないんだな。其れよりも鼻歌うたって、手縫いで縫う方がずっと速いよ。剣先とか、おくみとか、ミシンで作るのは難しいもんでね。それは、やっぱり手縫いで縫った方が良いなあ。」

「そんなものやって、どうなります。着物なんて、どうせ必要なものじゃないんですから、洋服の上に、着るものにしかならなくなってしまいましたしね。其れなら、需要があるものに変えていかなきゃならない。それをするには、必要なものだってあるけど、不必要なものだって一つか二つは出てくるでしょう。和裁もそういうことなんじゃないいかな。たとえば、何か作文を書く時もそうでしょう。手書きで書く人だって、いないですよね?それと同じことなんじゃないでしょうか?」

という宮川さんに、杉ちゃんはでかい声で、

「でも、それに携わる人が一人いて、その一人のすることを、持って行ってしまうこともあるっていう事も、忘れないでくれよな。」

といった。

「そうね。なんか私もそういう気がします。お兄さんたちは、もう着物をちゃんとした着方で着る男性は、消滅してしまったと言っていたけど、今日二人お会いしたわけですから、私はやっぱり、いくら安くても、ちゃんとした着方で残しておくべきではないかと。」

小さな声で夏江さんが言った。

「そうそう。お前さんはいいことに気が付いたな。男も女も関係なく、着物というものはあるんだよ。るやつがどこにもいないなんて、そんなこと、勝手に決めつけてもらっては困るな。」

杉ちゃんは、夏江さんに言った。

「お兄さん、やっぱり、着物の着方は、それぞれ人により違っていいんじゃありませんか?」

夏江さんが、勇気を出してそういうと、杉ちゃんはいいこと言うなと言って、彼女の肩をたたいた。

「でもね。夏江さん、あなたのお父さん、つまり春代と夏江さんのお父さんと一緒に着物屋をやってきて、よくわかったんですけど、もう着物は現代の時代に合わせて着るようにしないと。着物をちゃんと着るというのは、古臭い時代には、身分を示す事でもあるわけだから、それは、解消するように呼びかける方が良いのでは?ほら、ここにいる方も、そうじゃないか。銘仙の着物が、昔は貧しい人が着るものだって言われていたのは、夏江さんも知っているよね?」

「そうよ。其れのせいで、可愛いのに売れないという現象があるんだわ。だったら、それを解消するような売り方をしていかないと。」

春代さんと、宮川さんはそんな発言をした。確かに二人のいうことも間違ってはいないのだが、其れをしてしまうと、何だか寂しいなと杉ちゃんも思ってしまうのであった。

その間に、水穂さんは薬が回ってしまっていて、すっかり眠り込んでしまった。まるで、次に活躍するのを待っている着物のようだった。二匹のフェレットは、水穂さんのそばについて、杉ちゃんたちの話を聞いていたようであるが、彼らも疲れてしまったのか、やはり重なり合って眠っていた。



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古きもの 増田朋美 @masubuchi4996

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