第11話 せんぱいのいないエミリエの日常


 一人、オルケストラ支部の廊下を歩くエミリエ。

 デスクへと戻る道すがら、身体が栄養を求めてくぅ~と小さく鳴く。

 お腹をそっと撫でる。丁度、時刻はお昼時だった。


「とはいえ、今日はせんぱいがいないんですよ~」


 湊斗がいれば、エミリエは彼と一緒にどこかへ食べに行った。洒落っ気一つない食堂でも、カロリーに物をいわせたファーストフード店であろうとも、湊斗と一緒であればどこでも楽しかった。……どれだけ、湊斗が嫌な顔をしていても。

 けれども、湊斗は訓練で不在。昼食とはいえ戻ってこない。

 そうなってくると、気分は曇り模様。一人で食堂へ行ったり、外へ食べに行くという気分ではなくなってしまう。


「栄養食品でいいですかね~」


 ブロックに、サプリ、ゼリー。

 味はともかく、栄養補給にはことかかない。エミリエにとっては、普通の料理よりも慣れ親しんだ食事であり、栄養補給だ。

 確かバックの中に入っていたはずと考えていると、


「あ、あの!」


 そんな勢いだけはある声を上げて、前方からエミリエのもとへ向かってくる若い男性。

 エミリエは後ろの誰かに声をかけたのではと振り返るが、後方には誰もいない。つまり、声をかけた相手はエミリエで間違いないようだ。

 エミリエの目がすっと細まる。先程までと違い、その瞳には氷のような冷たさが宿る。

 その変化に気が付かないのか、緊張した様子の若い職員は、トゲトゲの短い髪を撫でながらエミリエへ話しかける。


「え、エミリエさん!」

「えっと、あなたは……」


 …………………………………………………………………………名前が、でてこない。

 同僚であり、勤めているフロアも同じ。エミリエの視界の中心は常に湊斗であるが、映像の端っこにちらちらと映り込んでいた……はずだ。

 オルケストラ支部に配属されて一か月を超えた。名前を覚えていないというのは、言い出しにくい。


『名前、なんでしたっけ?』


 などと、能天気なバカを装って聞く勇気は、エミリエにはなかった。

 必死に思い出そう脳細胞を活性化させるが、栄養が行き渡っておらず脳は停止気味。

 眉間にしわが寄り始める中、エミリエが名前すら覚えていない存在を認識していないことに気がついていない男性局員は、緊張した面持ちで上ずった声をあげた。


「よ、よければお昼、ご一緒にいかがでしょうか!? もちろん、俺の奢りです!」


 名前を追及されずほっと一安心のエミリエと違い、余裕のない男性局員。誰が見ても緊張しているのが手に取るようにわかる。


「私とですか?」

「はい! 近くに雰囲気のいいお店を見つけたのですが、男一人では入りづらくて。その、せっかくならエミリエさんと……い、いかがでしょうか?」


 言葉を重ねるごとに自信を失くすかのように声が小さくなっていく。

 不安に揺れる目がエミリエに向けられるが、困惑しているのはエミリエのほうだ。


 いかがでしょうと言われても。


 とてもではないが、考えられなかった。

 エミリエは冷気を感じさせる声で、彼の誘いを袖にする。


「まだ仕事が残っておりますので、ご遠慮させていただきます。申し訳ございません」

「そ、そうですか。それなら仕方ないですよね……」


 がっくりと肩を落とす男性職員。

 エミリエの態度から、希望はないと察したのだろう。男性職員は重たい淀んだ空気を背負いながら去っていく。

 近くで見ていたのか、先程の若い男性職員と同年代ぐらいの男性が、沈む彼の肩を励ますように叩いていた。


「なんなんですかねぇ」


 離れていく二人の背を、見送るように眺めていると、


「――ふふ。随分とモテるじゃないか」

「っ!?」


 あまりの驚きに、心臓が大きく跳ねる。身体中の汗腺から冷や汗が噴き出す、ぞっとする感覚。

 振り返ると、目の前には童話から抜け出したきたかのような少女。

 室内だというのに白と水色の可愛らしい日傘を差したセリアであった。

 彼女は含みのある笑いを零すと、エミリエの反応を伺うように前屈みになって覗き込んでくる。立ち聞きしていたらしい。


「男性一人では入りづらいお店に付き合っていただけないか、というお誘いだったはずですが?」

「あんなもの詭弁さ。素直に女性を誘えない情けない男の精一杯の勇気なのだから、そう辛辣に返すものではないよ?」

「辛辣なのはどちらですか」


 嘆息する。

 エミリエとて、その程度のことは理解している。とはいえ、断った手前、そういうことだったとするべきであろう。同じ職場なのだ。どういう気持ちで誘ったかは知らないが、そのほうがお互いのためだ。


 この人は、そういった人の気持ちを慮ろうとしないですよねぇ。


 相手の気持ちを察していないわけではない。察した上で面白そうだからと相手の心を土足で暴く。幼女のような見た目に反して、その性格は容姿とは似ても似つかない悪魔だ。

 ……子供らしい残酷さというのであれば、これほど相応しい姿もないが。


「そもそも、更生雇用処分の私を、好き好んで誘う方はいないでしょう」


 自分に好意を抱く理由がないと、エミリエは言う。

 更生雇用処分。

 犯罪を犯した者を更生するために、警察組織内に雇用する制度のことだ。

 警察組織で雇用することにより、日々の生活を監視し、社会貢献を促し、更生させるという主旨の制度である。表向きは。


 更生というのは建前で、優秀な人材が欲しいだけだと思いますけど。


 実際、この更生雇用処分制度は、能力の高い人材にしか適用されない。制度内に、そうした条件が書かれていないにも関わらず、だ。

 エミリエがこの制度を利用して働いてみて分かったのは、警察組織は慢性的な人手不足だということ。新人がいないわけではない。むしろ、求職者は年々増えている。けれど、同時に退職率も多い職場なのだ。


 仕事の忙しさもさることながら、現場に配属されれば命を落とす危険性すらありますからねぇ。抱いていた憧れも、数が月も経たずになくなって消えてしまいますよね。


 夢描いた正義理想は日々の激務で露と消え、残るのは立ち向かうには厳しい現実と、こんなはずじゃなかったという理想と現実のギャップ。

 そうしていなくなってしまった人材の穴を埋めるために、犯罪者であれ優秀ならば雇用しようという制度が設けられたのだ。

 実利だけ見れば即戦力である優秀な人材だ。新人を育て上げるよりも低コストで、能力は一級品。どこの部署であれ重宝する存在なのは間違いない。使いやすいかは別として。

 エミリエ・ファーサーもその一人。

 エミリエ自身は、今でもそこまでだいそれたことはしていないと思っている。……思っているが、世間的には大きな問題であったらしく、気が付いた時には捕まっていた。十五歳の時だ。

 向かい合った警察官に『さて、どうする?』と迫られた選択肢。その中でまだマシと思えるのが更生雇用処分制度であった。

 当時のエミリエは、さほど熱意もなくなあなあで勤めていて、刑期が終わるまでの仕事だと考えていたが、長く勤めるならと(無理矢理)通わされた警察学校で運命の出会いを果たすことになったわけだが――閑話休題。

 現在は刑期も終わり、元犯罪者というのが正しくはあろうが、それでも犯罪を犯したという過去は消えはしない。

 そんなエミリエに好意を抱く理由を、彼女自身には理解ができなかった。

 だというのに、セリアの瞳から好奇心が消えない。むしろ、もっと暴いてやりたいというように、輝きが増していく。


「そんなあざとい恰好をしておいてなにを言っているんだい?」

「これは、」


 セリアに指摘され、押し黙ってしまう。

 黒、という部分しか原型の残っていない制服。

 まず目につくのは、胸元の、赤い大きなリボン。

 制服のいたる箇所にフリルが装飾され、袖は手にまでかかった、いわゆる萌え袖だ。

 全体的に可愛らしさを強調していながら、ミニスカートは膝上までしかなくとても短い。スカートから伸びるのは黒いソックスにガーターベルト。そして、ミニスカートとソックスの間、唯一白さを強調する絶対領域が、女の子らしい可愛らしさの中に女性としての色気を放っていた。

 目の前の支部長が制服の改造以前に、全く異なる服装であるから目立ちにくいが、立派な規則違反である。

 明らかに男性の視線を意識したファッションをしておきながら、モテるはずないというのは矛盾であろう。セリアの指摘は的を得ている。けれど、エミリエにつもりはない。


「その……せんぱい用ですから」

「君は本当に湊斗君が好きなんだね」


 一層セリアの笑顔が邪悪になる。子供が浮かべていい表情ではない。

 湊斗のためという言葉を口にしたエミリエの反応を楽しみたかったのだろう。その表情には満足感さえ見て取れる。けれど、本来そうした感情を悟らせるほど、セリアは甘くない。

 セリアの表情を読み取ったエミリエの反応すら楽しんでいるに違いなかった。

 このままでは糸の付いたマリオネット。いいように操られて玩具にされるだけと判断したエミリエは、早々にこの場を去ることを決めた。


「用件がそれだけであれば、私は失礼いたします」

「やれやれ。湊斗君のいない時のエミリエ君は、なかなかにつれないね」


 十分楽しんだであろうに、その顔には寂しげな影が差す。

 容姿だけは子供なのだ。庇護欲を誘う姿に足を止めそうになるがエミリエだが、それすらも策略であるとどうにか振り切って足早に逃げていく。


 ■■


 どうにか、人を弄ぶことに長けた魔女から逃げ果せた私は、トイレの個室の中で長く、大きな安堵の息を吐き出します。


「~~っ!? き、緊張したんですけど~~~~っ!」


 なんなんですか!? ほんとなんなんですかあの人たち!?

 人をからかってなにが楽しいんですか!?

 こっちは人と対面して話すのが苦手で緊張しっぱなしで、まともな返答なんてできないって言うんですよ! なに喋ってたかほとんど覚えてないんですけど!

 と、いうか! あの……えっと、名前もわかんないやたらきょどってた男性局員! 急に話しかけないでくださいよ! 話しかけるならまずメッセージで『これから話しかけますね?』って、送ってからにしてください! そしたら、話しかける前に逃げられたのに! ID知りませんし教えませんけども!


「もうほんとやだ~。コミュニケーションとかほんと無理ぃ。あ~、もう早く帰りたい」


 用を足すつもりはないので、ショーツを下ろさずそのまま便座に座りました。

 私は、オルケストラ支部で唯一のオアシスであるせんぱいを思い描いて、心の中で叫びます。


 せんぱ~い! 早く帰ってきて下さいよぉ~~!


 うがーっ!! とストレス発散と手足をバタバタさせたのが悪かったのです。

 空中ディスプレイに浮かび上がった『ビデ』に触れてしまい――



「――ひゃぁああああああっ!?」



 この後、ショーツがぐっしょり濡れてしまい動けなかった私は、赤くなった顔でせんぱいに下着を買って持ってきてくださいと通信をしました。

 間違えて映像通信にしてしまい、その時に映ったせんぱいの表情たるや、せんぱい大好きと公言してはばからない私ですら慄くほどの言葉にしつくせないものでした。は、恥ずかしいぃ……。

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