第10話 知らない感情
「ちなみに、陽葵は俺についてどんな話をしていたんですか?」
「そうですね……例えるなら、戦隊物のヒーローのような方、でしょうか。それとも、お姫様のピンチに颯爽と現れる王子様?」
「はぁああっ……もういいですわかりました。今度あいつの口を塞ぎます」
毎日接する身近な相手とはいえ、なんて話をしているんだ。次の見舞いの品はトマトと説教だな。
俺は心の説教リストに陽葵の名を書き連ねつつ、ベンチの隣をポンポンと叩く。
「まあ、そういうことであれば、少しお話するぐらいは構いませんよ」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
両手を合わせ嬉しそうなシャーロットさん。
俺と話すのがそんなに嬉しいものか。どうにも理解できないな。
シャーロットさんが隣に座る。身じろぎすれば触れてしまいそうな距離。
話をしたいと言ってきたのは向こうだ。待っていれば話かけてくるだろう。
そう思っていたのだが、一向に話しかけてこない。これだけ近ければ、見なくてもそわそわとしているのは肌で感じる。話かけたいが、なにを話せばいいのかわからないといったところか。
空を見上げると、太陽が傾き始めていた。まだ日は高いが、このままでは文字通り日が暮れてしまう。仕方ないので、こちらから話題を振ることにした。
「陽葵の容態はどうでしょうか? 安静にしていますか?」
「あ、はい。落ち着いていますよ。早く退院したいと仰っています。ご家族の方も含めて、担当の先生と相談してからとなりますが、退院も近いでかと」
「それはよかった」
心から安堵する。
陽葵の場合、退院したからといって全面的に安心するわけにはいかないが、やはり退院となると喜ばしいものだ。何度体験しても。
シャーロットさんに顔を向ければ、小さな口を開いては閉じ、なにかを聞きずらそうにしていた。少し待ってみると、耳をすませなければ聞き逃してしまいそうな声で訪ねてきた。
「失礼ですが、本当のご兄妹では……」
「ありませんね。同じ孤児院で育った子です」
俺はあっさりと答えた。
聞きずらそうにしていたが、俺からすれば何度も尋ねられ慣れた質問だ。別段、躊躇する内容でもない。
けれど、受け取る側のシャーロットさんは違ったようで、聞いてしまったことを後悔するように俯いてしまった。
「……申し訳ございませんでした」
よく謝る人だ。
それはきっと、彼女の美点であり、欠点。
「謝る必要はありませんよ。よくある話です……本当に」
事実、よくある話だ。
家族が事故で亡くなって、子供だけが残されて、孤児院に引き取られる。
どこにでもある、ありきたりで不幸なお話。
「血は繋がっていませんが、孤児院の子たちは俺にとって兄妹で家族ですから。気を遣われるようなことではないですよ」
「本当に、仲が宜しいのですね」
「兄妹ですから」
実際、下手な兄妹よりも仲が良いし、絆も深いという自信がある。
それほどまでに、俺は陽葵や孤児院の子たちを愛しているし、彼女たちも俺を慕ってくれている。
俺の気持ちが伝わったのか、シャーロットさんが穏やかに笑う。
「ふふ。仲睦まじそうでなによりです。とても、羨ましい」
「シャーロットさんにも兄妹が?」
「はい。下に一人、妹がおります」
つい興が乗って聞いてしまったが、羨ましいという言葉の意味を考えて『しまった』と内心舌打ちをする。
そんな言葉が出てくる以上、姉妹仲が悪い可能性が高い。
誤魔化そうにもなにを言えばいいのか。思考は止まり、気付いたら沈黙していた。これでは、シャーロッドさんのことを笑えはしない。
聞きあぐねている俺の露骨な態度で察してくれたようで、くすくすと笑うシャーロットさん。
「うふふ。お気遣いありがとうございます。けれど、仲は良好なんですよ?」
「それはよかった」
冷戦状態ですがなにか? とか言われようものなら、凍えた空気に耐えかねて地面に頭を付けて謝るところだった。
「幼い頃からこの病院に入院していまして、仕事の合間をぬっては顔を見せるぐらいに」
「……そう、ですか」
やはり必要なのか。土下座が。
飛び越えたハードルの先に氷の張った湖があったかのような心境だ。とても空気が重い。
寒さで凍えそうになりながらも、とある推測が頭をよぎり質問してしまう。
「もしかして、看護師になった理由は……」
「……はい。妹を、誰でもない、私の手で看たかったからです。多くの人を救うためではなく、ただ一人のために医療従事者を目指す……不純な動機ですよね?」
「まさか。そうは思いません」
強く否定する。むしろ、その動機は俺にとって、どんな理由よりも共感するものであった。
だからだろうか。俺の口は知らず、心の奥に仕舞い込んでいた
「家族は、大事です。もしかしたら、あなたと似た立場であれば俺も同じ道を歩んだかもしれません。ただ、失くしてからでは、救おうという道なんて選べない。だから、俺と同じ思いをする人がいないように警察に……いや、これは飾ったな、言葉を」
俺が警察官を目指した理由は、そんな大衆受けするような、耳障りのいいものではなかったはずだ。
根底にあるのは、子供の頃から抱いたまま捨てられずにいる怒り。
脳裏にちらつくのは、瓦礫と火の海。そして、大きな声を上げて笑う女。
「ただ、ペルデマキナを悪用する、俺の家族を殺した奴らを同じように殺してやりたい」
それが、ただの八つ当たり、幼心のまま成長できていない復讐心であることは理解している。理解してなお、歩みを止められず、こんなところにまで来てしまった。
吐き出すものを吐き出したからか、感情が冷めてくるとその勢いのまま血の気が引く。
やってしまった……。俺は初対面の人相手になにを言っているんだ……。
なんという羞恥。酒に酔ったわけでもないのに、自分語りとはとんだナルシストだ。顔を覆いたくなるほどの失態。掘った墓穴に入って埋まってしまいたい。
「すみません。余計なことをいいました。忘れてください。警察官が口にしていい言葉ではありませんでしたね」
「それが……」
「シャーロットさん?」
俯いたままなにかを口にしている。
俺はどうにか聞き取ろうと顔を近付けると、いきなり顔を上げられて驚いた。
鼻が触れてしまいそうな距離。視界に広がるのは、夜空に輝く月のように美しい瞳。
眼前に迫る闇夜の宝石に、知らず、息を飲む。と、シャーロットさんは真摯に、まるで命を賭すように問い掛けてくる。
「たとえそれが、大切な誰かを救うためであったとしてもでしょうか?」
この質問にどれだけの意味があるのか、俺にはわからない。なにかの比喩なのか、それとも、究極の選択のような心理テストなのか。
わからないが、シャーロットさんが本気なのだけは理解できた。
さっき口が滑ったのもだが、どうにも彼女にはあてられるな。
だからだろうか。今度は無意識ではなく、自分自身の手で仕舞い込んでいた気持ちを言葉にした。
「当然だ。見知らぬ誰かの大切な人たちを犠牲にしておきながら、自身の大切な人だけは救うなぞ許せるものかよ」
ついつい言葉が荒れる。だが、本音だ。
俺は引くことをせず、至近距離のまま彼女を見つめていると、ふと眩い月が弧を描く。
「そうですね、私もそう思います」
「――」
――心臓が跳ねた。
近すぎる距離がいけなかったのか、嬉しそうに笑む彼女の瞳に目を奪われた。夜空に浮かぶ月に吠える狼になったかのように、目が離せない。
通じ合ったかのような心地の良い共感と、美の女神が手ずから作り上げたかのような彼女の美しさに惹きつけられてしまう。
「……? いかがしましたか?」
「っ!? い、いやなんでもなーーりません。それでは、これから仕事がありますので、失礼いたします」
「あ、そうなのですね。長い時間、引き留めてしまい申し訳ありません。はい、またいずれ」
心ここにあらず。放心していた俺を呼び戻したのは、魂を抜き取ったシャーロットさんであった。
な……なんだ今のは!? 顔が熱い!! 鼓動が早い!! 心が落ち着かないっ……!
楚々と手を振るうシャーロットさんから逃げるように、足早で病院の外を目指す。ありもしない仕事を目指して。
……その後、落ち着いてから、なぜ、あのような気持ちになったのか一晩考えたが、いくら時間を使っても答えはでなかった。
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