第9話 妹のお見舞い
「お見舞いにきたぞ。ケーキ持ってきた」
「もう、来てくれるのは嬉しいけど、お見舞いの品はいらないって言ってるのに」
「俺も働くようになったからな。このぐらいは社会人として常識だろう」
「それ、警察学校の時からだったけど?」
「……やはり警察官を目指す者として、気遣いは必要だろう」
「手の平くるっくるじゃん。湊斗兄さん、私に買ってくるぐらいなら、他の子たちに買ってあげてよ」
「買ってるよ。とはいえ、あいつらよく食うからな。ホールで買ったところで戦争だ」
「あれは大変だけど、さ。それでも私は、フォークをぶつけ合って食べたいよ」
「…………なんだったら、ここで俺とつつき合うか?」
「やだよ。絶対、湊斗兄さんは私に譲るもん。それじゃあ意味ないじゃん」
「俺が本気になったら誰も敵わんからな。しょーがない」
「湊斗兄さんは最強だもんね」
「当然だ。……この前、惨敗したがなっ」
「? なにか言った?」
「いや、なにも。花と水換えてくる。大人しくしてろよ?」
「子供じゃないんだから大丈夫」
「あほ。十分子供だ」
■■
平日の昼間。
春のそよ風が頬を撫でる穏やかな気候の中、俺はオルケストラ総合病院敷地内にある庭園のベンチに座っていた。
オルケストラ総合病院は、島都市であるオルケストラにおいてもっとも大きな病院だ。オルケストラ内ではもとより、世界にまで範囲を広げてみても有数の病院の一つ。世界屈指と言っても過言ではないほどの医療技術を誇る。
実験的な技術も多く、世界的に未発表の薬品や医療器具すら取り扱っている。国内でも唯一、実験都市であるオルケストラだからこそ許された特権であり、義務だ。
そのため、オルケストラ総合病院の医術を求めて、世界各国から医療従事者や、他の医療機関では治療不可能とされた難病を抱えた者たちが集まっている。ベンチから見渡すだけでも、老若男女人種問わず、多くの人たちが見受けられた。
病院、というよりも洋館の庭園を思わせる華やかで、洒脱な庭園のベンチで待つことしばらく。真白い看護服を着こなした女性が近付いてきた。
足早に、けれどどこか気品を感じさせる所作で俺の前に立つ。
「申し訳ございません。こちらから声をお掛けしたというのにお待たせしてしまいました。深く謝罪いたします、湊斗様」
「そんなに待っていませんよ。……っと」
ちらりと、視線を女性らしい曲線を描く彼女の胸元へ向ける。
下心があるわけではない。俺の目的は彼女の胸ポケットに止められた名札である。
俺の目線で気が付いたのか、またも申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「再三に渡り申し訳ございません。ご挨拶もまだでしたね。私はシャーロット・グリフィンと申します。
お腹の辺りで手を合わせ、折り目正しく深々とシャーロットさんは頭を下げた。
■■
『もしかして、陽葵さんのお兄様、でしょうか?』
花瓶の水と花を替えに病室から出た俺に、恐る恐る話しかけてきた長い銀髪の看護師。
俺が見舞いにきた陽葵の面倒を見てくれている看護師であるらしい。陽葵が入院してからそこそこ経つが、彼女を見た覚えはなかった。
『最近、こちらの病棟に配属されたばかりでして、陽葵さんとお話するようになったのもここ最近のことなんです』
そんな彼女から、陽葵のお見舞いが終わったら時間を取れないかと聞かれ、約束したベンチで待っていたのがつい先程までの話だ。
正直、待っている間気が気でなかった。不安は今なお続いており、膝の上で握る拳に力が入ってしまう。
看護師から入院患者の家族に話となれば、な。
力のこもった拳を開いたり、閉じたり。落ち着かないままに、俺は看護師さんに話を振る。
「それで、陽葵になにかありましたか? もしかして、病状が悪化したとか、ですか?」
陽葵の病気は精神的なものだ。病状が悪化したからといって、すぐ死に至る病ではない。だからといって、兄妹のように思っている陽葵になにかあったのかと考えるだけで、身体が震えそうになる。
ただ、その不安は幸いにも勘違いであったらしい。
「失礼いたしました。陽葵さんのお話ではありません。先に用件をお話しておくべきでしたね。不安にさせてしまい、謝罪の言葉もございません」
「そう……ですか。いえ、こちらこそ勘繰ってしまい申し訳ない」
院内ではなく、外での、それも人目もあるベンチで待ち合わせという時点で察するべきだった。どうにも、この手の話しには敏感になってしまう。
一先ず安堵の息を吐き出す。強張っていた身体から力が抜けていく。
傍目に見ても安心したのがわかりやすかったのか、シャーロットさんは身体を小さくするばかり。
「本当に、申し訳ありません……。配慮が足りませんでした」
「ほんと、気にしないでください」
シャーロットさんの頭上に暗雲が浮かぶ。今にも降ってきそうな気配に、逆に俺が慌ててしまう。
このままではダメだ。話題を変えよう。
そう思い、口早に用件を尋ねる。
「そ、それで、俺にどういった用件ですか? 陽葵の件でないとすると、理由が思い付かないのですが……」
まさか、ナンパではあるまい。
とはいえ、可能性がないわけではない。というか、普通にそんな看護師も居た。特に病院に配属されたばかりの若い看護師に多く、食事に誘われたことが何度かある。その後、決まって看護師長にバレて雷を落とされるところまでセットなわけだが。
それでもめげずに誘ってくるのは、出会いがないからか、それとも知人と呼べるほどに何度も顔を合わせているからか。
目の前の看護師はそういったタイプには見えないのだが、はたしてどうなのか。
「少し、お話してみたかったからでは、いけませんか?」
「そういったタイプですかクソったれ」
そろそろ看護師という職業に不信感を覚えそうだ。そのうち、病院内で合コンとか企画しないだろうな?
俺は嫌そうに顔を歪める。そこまで拒絶されるとは思っていなかったのか、整った顔立ちが悲しげに歪む。
「そ、そこまでお嫌でしたか……」
「嫌……というか。そういうタイプだと思っていなかったので、余計にショックというか、看護師たちの男日照りを心配するていどには関わりたくない」
「男……日照り…………? あの、どういう意味でしょうか?」
意外な反応。きょとんと首を傾げる仕草は、本当になにも理解していなさそうだ。これが演技であれば女性不審に陥りかねないが。
「ナンパ……つまり、デートに誘ったのではないですか?」
「なん……ぱ? ……? ――~~っ!?」
知らない言語でも耳にしたかのようにハテナマークを頭上に浮かべていると、脳内で翻訳が完了したのか頭のてっぺんからボンッと音を立てて煙が立ち昇った。
耳まで赤くした顔を必死に横に振って否定する。
年上に見えるが、そういった浮いた話に慣れていないようだ。その反応は可愛らしいほどに初々しい。
「ち、ちちち、違います! そ、そんなナンパ、しかもデートだなんて……! そのようなつもりはありません!」
「そうですか。変な勘違いをして申し訳ない」
いつの間にか肉食ナースに毒されていたようだ。偏見の目で見ていたのは俺のほうであった。
じゅ~と焼ける音のしそうなぐらいに赤いシャーロットさん。
「あの……そういったことが、よくあるのでしょうか?」
「たまに」
「お、おモテになるのですね?」
「出会いの少ない職場で働いていると、若い男が珍しいだけでは?」
「そ、そういうものでしょうか?」
俺は思わず思い浮かんでしまった『せんぱいはモテますよ~。主に私に!』とかのたまう自称後輩を頭の中から追い払う。いなくてもうっとうしい奴である。
ただ、そうなってくるとシャーロットさんのいう話の内容がわからない。
陽葵のことでなければ、ナンパでもない。
では一体なんなんだという話だ。
「その……この流れでいうのはとても恥ずかしいのですが、陽葵さんとお話していると、話の半分以上が『湊斗』様というお兄様のことばかりでしたので。あまりにも楽しげに語られるものでしたので、どのような方なのか気になってしまった、のですけど……これも、な、ナンパに入るのでしょうか?」
自分がとんでもなく恥知らずなことを口にしているのではないか。
言葉にしなくても、朱に染まった頬を手で隠そうする仕草から、そう思っているのが如実に伝わってくる。
この人を他の若い看護師たちと同列に語ったのは失礼だったな。にしても、照れすぎな気もするが……所作も綺麗だし、箱入りお嬢様なのか?
「人によるでしょうが、下心なく、ただ話をしたいというのであれば、俺は違うと思いますよ」
「そ、そうですか!」
うっ。
パァアと輝く邪気のない笑顔。綺麗な顔立ちをしているのもあり、こちらが照れてしまいそうだ。
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