第6話 テンペスト海域

「いや……確かに島外とは聞いていた。この場所も島外であることに変わりわない。それは認めよう。だが、‼」


 オルケストラのある島から東にあるテンペスト海域。

 暴風、暴雨、雷雨に大波。時にはひょうすら降り注ぐ、あらゆる悪天候を煮詰めたような魔の海域だ。

 なぜ天候が嵐のまま保たれているのか。その理由は解明されていない。過去、誤って海域に踏み入れてしまった船や飛行機が行方不明になっており、現代において、人類が禁域とする一つ。

 テンペスト海域の上空。絶賛地獄のような様相となっている海上を他所に、俺は白い雲海の上を飛行していた。

 どういった理由であれ、天候が荒れているのは雲の下だ。雲上を飛べばその影響は受け付けない。ただし、気圧の変化や風など上空故の環境変化は受けるため、なんの備えもなく飛んでいたら文字通り天上から地獄に落ちるだろう。

 飛行用の黒い軍用マントをなびかせながら、不満たらたらで目標に向かっていると、空中に小さなウインドウが開き、眠そうに欠伸をして涙目のオペレーター、エミリエの顔が映し出された。


『……せんぱ~い。静かにして下さい。エミリエちゃんは思わぬ休日出勤で眠いんですよぉ。ベッドは温めておくので、先に寝ていていいですかぁ?』

「いいわけないだろう寝坊助が。明日と明後日代休貰ってるんだから、今日ぐらいは気合を入れろ。というか、俺をこんな身を切り裂くような風が吹き荒れる劣悪な環境に送り込んでおきながら、一人ベッドでぬくぬくとか絶対許さん。仕事しろ」

『そういう自分が嫌な思いしているから、お前も同じ思いをしろっていうのは、相手の退路を塞ぐブラック企業特有の連帯意識だから直したほうがいいですよ~。まあ? せんぱいからの連帯意識ならいつでもウェルカムですけどね~。それともぉ? 心だけじゃなく、身体も連結しちゃいますぅ? ……ぐぅ』

「眠気を言い訳にド下ネタを朝っぱら通信越しに聞かせるんじゃない、淫魔かお前は」

『せんぱい専用の淫魔ですゆえ~。じゃーあー、通信越しではなく、帰ってきたら直接耳元で聞いていただけますか? 私の淫猥な、し・も・ね・た』

「唇縫いつけろ」


 ASMRよろしく、鼓膜をくすぐるささやき声にいらだち、通信を切る。

 人がペルデマキナの回収をしようとしているのに、呑気な奴め。

 休日を返上し、なぜ俺が禁域とまで呼ばれているテンペスト海域を訪れているのかといえば、ペルデマキナの反応がこの海域から観測されたからだ。

 本来、ペルデマキナの補足は不可能。機械とはいえ、内部に位置情報を特定するための部品でも組み込んでいない限り、目視以外での発見は無謀だ。

 そのため、本来なら観測はできないのだが、例外がある。


 目標地点に向かって飛行していた俺は、視線の先に異常な光景を認めてその場に留める。


「……雲が、消えた」


 まるで台風の目とでもいうかのように、巨大な円形状の穴が空いていた。

 陽光は太陽柱となり、海上に降り注ぐ。世界から切り取られた、神聖な領域かのように光輝く空間。そこは、暴風雨吹き荒れる雲下うんげとは違い、風一つ、波一つない穏やかな海であった。

 ここがオルケストラ近海であったならば、違和感などなに一つなく受け止められた平穏なる海。けれど、ここは嵐が日常であるテンペスト海域。

 俺は太陽柱の中央に、光を反射する物体を見つけ、目を細める。


「分かっていたが、起動してるな」


 通常なら観測できないペルデマキナを、観測できる例外。そのひとつが、大きなエネルギーを伴う規格外のペルデマキナが既に起動している時だ。

 もとより、現代では計り知れない技術によって古代文明が生み出した機械だ。それが、大きなエネルギーを持っているとなれば、その危険度は計り知れない。それが、街一つ容易に焼き尽くすことすらあることを、俺はよく知っている。


「……っ。観測したペルデマキナを発見した。今から回収に入る」

『了解です。気を付けて下さいね、せんぱい』


 眠気の消えたエミリエの通信が聞こえる。さすがに、能力不明のペルデマキナを前にすれば、仕事に不真面目な自称後輩とて意識が切り替わるらしい。

 なにがスイッチとなって正体不明のペルデマキナが新たな動きを見せるかわからない。俺は慎重に下降していく。

 そして、中央の物体が視線の高さになるまで下降を終える。直線距離はまだあるが、それがなんであるかは目視で確認できた。

 俺は視覚情報をエミリエに送りながら、ペルデマキナであろう物体を観察する。


「……小瓶だな。中でなにかが淡く光っている。周囲には幾何学模様が描かれた帯状の光が渦巻いていて、小瓶の下には……魔法陣? のようなものが光っているな」

『随分とまぁファンタジックですねぇ。古代の開発者は夢見がちな乙女だったんでしょうか?』

「ペルデマキナにはいまだにブラックボックスな部分が多い。もしかすると、本当に魔法という線もあるかもしれないぞ?」


 機械的な、冷たさを伴うエミリエの断言に驚く。

 普段、媚びるような甘さのある声は鳴りを潜め、そこには研究者としての断固としての固さがあった。


『いくら見た目が魔法のようであったとしても、ペルデマキナはあくまで古代文明が残した機械であり技術です。そこには明確な理論があり、物語にでてくるような根拠もなにもない魔法なんて存在はこの世にはありません』


 珍しく固くなだな。技術者として譲れない点があるというわけか。

 現状、湊斗のオペレーターとして働いているエミリエだが、もともとはレナトスマキナの技術者だ。

 古代文明の機械であるペルデマキナを研究し、解明。そこから得た知識をもとに現代の人間が開発した機械がレナトスマキナだ。

 その技術者であるエミリエとしては、たとえ未知な部分はあれ、魔法と同一視されるのは納得できないのだろう。


「すまない。安易な考えだった。忘れてくれ」

『あ~、いやですね~せんぱい。こっちこそごめんなさい。ついつい口が過ぎてしまいました』


 俺が謝ると、これまた珍しく殊勝に謝る。

 とはいえ、今の発言は俺が不用意だったんだ。エミリエに謝られては立つ瀬がない。


「謝るな。今のは俺が悪い。今度なにか奢る」

『え? え!? 私がどれだけ誘っても“うるさい。黙れ。殺すぞ”の三拍子でお断りするせんぱいからデートのお誘い!? どどどどうすれば!? と、とりあえずベッドが回るホテルの予約をしておきますね!?』

「調子に乗るな」


 興奮気味なエミリエの通信がうっとうしくなって切る。

 こちらが下手に出ればこれだ。やはり調子に乗らせないのがエミリエの正しい扱い方らしい。ペットの躾と同じだ。飴と鞭は使い分けなくてはならない。ただ、あいつの場合鞭でも喜ぶんだよなぁ……。そもそも関わらないのがベストな気がする。


『今! 不穏な空気を感じました!』

「うるさい」


 勘のいい奴である。


「それで、おそらくあの小瓶がペルデマキナだと思うんだが、データベースには登録されているのか?」

『確認を取りましたけど、未登録ですねぇ』

「当然か。やはり、未確認のペルデマキナか」


 緩んだ気を改めて引き締める。

 正体不明のペルデマキナが、天候を変えるほどの力を顕現させている。これがこのペルデマキナの機能なのか、それともまだ発現途中なのかはわからないが、回収は早いに越したことはない。


「これから未確認のペルデマキナの回収に移行する」


 それだけ宣言すると、俺はゆっくりとペルデマキナへと近付いていく。

 徐々にペルデマキナとの距離は縮まり、もう少しで手が届く。指先を伸ばし、小瓶に触れようとした時であった。


『――ッ!! せんぱい!』

「わかってる。


 いつ現れたのか、全くわからなかった。背筋に冷たい汗が伝う。

 小瓶を掴もうとしていた手の腕をなにかが掴み、阻んでいる。そこから視線を伝っていけば、仮面舞踏会で使うような、涙模様が描かれた白い仮面が浮いていた。

 いや、違うな。誰かがいる? けど、なんだ、これは。認識できない……?

 警戒心を高め、睨み付けていると仮面の奥にある瞳と目が合った気がする。

 俺が身を強張らせると、俺の手首を掴むなにかが声を発した。


「『大変申し訳ありませんが、お帰りいただけませんでしょうか?』」

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