第323話 酒とおっさんのマリアージュ

「温泉気持ちよすぎてダメになるところでしたぁ」

「ウイ様の尾びれを甘噛みして温泉の中を引っ張られるしるこ様の姿がやばかったです」

「脳内に永久保存しました」

「見てくださいッ! お肌がッ! ツルツルになりましたわ!!」


 ホカホカになったウイとしるこに先導されて温泉女子が次々と準備途中の会場に戻ってくる。一同は見た目ただの地獄の池だが、そんな事は些細な事と割り切り虜になっている様子だ。


「入っていない方は是非とも入って行かれた方がいいですよ......肌荒れしていたお肌がこんなにもツルツルプルプルになるなんて......夢のようですわ!!」


 まだ入っていない面子に熱弁を振るう入浴済の面子。その凄まじいまでの熱量に普段の彼女を知っている面子は若干気圧されている。


「男性方も説得を......て、あら? あの方たちは......まだ上がってきていませんの?」

「私共も大概長風呂した気がしていましたが......まさか殿方が女子よりも長風呂をするなんて......」


 あまりの熱量にヒキ気味になっているのを入浴を渋っていると勘違いした入浴済面子は、男性面子にも説得させようと思い周囲を見渡し異変に気付く。野郎共がまだ出てきていない、と。


「あぁ、アイツらは多分まだ浸かってるんじゃないでしょうか。ヘカトンさんとワラビさんが男湯に向かっていってたんで、何かしてるのでしょう」


「なんかとても羨ましい事が起きているような気もしますが......まぁ、彼等にも息抜きは必要でしょうから黙っておきます。......今は」


 ボソッと言ったその呟きが聞こえていた人たちは、出てきたら問い詰められるんだろうなぁ、可哀想に......頑張れ......と、心の中で手を合わせた。


「ふふふ、では私たちも入ってきますね」


 熱量に押されていただけで、内心美容に良いと解ってウズウズしていた残りの女性陣は足早に温泉へと向かっていった。


『ワタシが教えてあげるー』


 ウイとしるこが入浴に満足していたのを見て、ツキミが第二陣の案内を買って出ると、その事にキュンキュンしてしまった第二陣は嬉しそうに「ではお願いしますね」とツキミに伝えていく。


『ふふん♪ 任せてー』


 上機嫌にクルクル鳴きながら女湯の暖簾っぽい布を潜るツキミを見て全員がほっこりし、女湯からは上機嫌である事が丸わかりな声が絶え間なく聞こえてきたそうだ。




 ◆◇◆




 カポーン――


 鹿威しモドキの鳴らす音が、静かなとチャプチャプという湯の揺れる音のみが男湯に響き渡る。


 野郎共は何故ここまで静かになっているのかと言うと......


 全員が、ジャパニーズスタイルの入浴を全力で謳歌しているからである。

 何故そうなったかと言うと――



『差し入れ、持ってきた』

『ご主人様がよくやってるからきっと皆さん喜ぶかなと思って』


 野郎共が日頃の疲れが吹っ飛ぶ感覚を味わっていると、ワラビとヘカトンくんが浴場に入ってくる。

 持っていた白い板を床に降ろし、何やら収納袋から見慣れない木の桶を取り出した。出した桶を手にたくさん持ったヘカトンくんは、自身に掛け湯をした後湯に入り、手に持っていた桶を徐に湯に浮かべていき、湯を楽しむ野郎共の前に持っていく。


「何してるのですか?」


『それは、後のお楽しみ』


 ボードが無く意思疎通の図れないヘカトンくんに代わり、従魔専用の汚れ落とし湯から出てきたワラビが答える。

 よくわかっていない野郎共を放置し、阿吽の呼吸でセッティングしていくワラビとヘカトンくん。


「......なるほど。楽しみです」


 勘付く者とそうでない者に分かれたが、皆の心は一つになっていた。「この後が楽しみだ」と。


『用意できた。我らでは、この後は難しい。この筒の中の酒を、小さいのに注ぐ。たまにその小さいのを、食べる』


 湯に浮かぶ木桶に載せられたのは、徳利とお猪口、きゅうりとナスと白菜の漬物三点盛りとイカの塩辛の小鉢二皿。

 これはシアンの温泉飲み至福セットである。毎日ではないが、結構頻繁にシアンがやっているので覚えたワラビとヘカトンくんはそれを野郎共に提供した。


『酒が、足りなくなったら、言って』


 目をギラギラさせる野郎共にそう言い残し、ワラビとヘカトンくんは野郎共から少し離れた位置で温泉を味わいだした。


「......」(チラッ)

「......」(コクリ)


 最早野郎共に言葉は要らなかった。

 初めて見る徳利とお猪口だったが、一目見ればそれが何か即理解できるのは世界共通なのだろう。ただ一つ心配だったのは、徳利とお猪口の造りが嫌に上等なのでもし壊してしまったらどうしようという思いだった。


 慣れない手付きで恐る恐る徳利を持ち上げ、お猪口にソーッと注いでいく。少しだけ黄色味のある水のように澄みきった液体がお猪口を満たすと同時に、鼻を襲う暴力的なまでの甘く芳醇な香り。


 ヘカトンくんが選んだ酒は大吟醸。日本酒の種類や味などはわからないので、シアンが大のお気に入りと豪語していた物を拝借してきたのだ。

 獺の名を冠する日本酒で~その先へ~なんて付けられている見るからにアレな逸品。ちなみに四合瓶のクセに諭吉さんが三人いても足りない。


「頂戴致します」


 さすがは高級ホテルのスタッフを束ねる支配人か。

 これはやんごとなき酒だと瞬時に見抜き、恭しくお猪口を手にし、恐る恐る口を付ける。


「......ッッッ!!?」


 米の酒なんて物は飲む機会など皆無と言っていい異世界で、米の酒が跋扈する日本でもそうそうお目にかかれない超高級日本酒を口にすればどうなるか......


 そうだね、どハマりするね。


 大吟醸特有のフルーツを思わせる香りに、ジュースを思わせる口当たりと甘さ、その中でもしっかり感じられるアルコールの力強さ。それなのに飲んだあとはスッキリという。日本人でも困惑するのに、それが外国人や異世界人なら......何だこの酒は!? 本当にこれは酒なのか!? となるのは必然だろう。

 それに加えて日々積み重ねていったストレスが音を立てて崩壊するような心地良さの温泉、気兼ねすることのない開放的な空間と仲間たち、そういった雰囲気バフが大いに加わっている。


 至福。


 最早その二文字しか考えられなくなるのは、ある意味仕方ない事だろう。


 フリーズしたと周囲に思わせるくらい静かに余韻に浸る支配人を見た野郎共は、次々に支配人に倣った動きで日本酒を注ぎ口へ運んでいき似たようなリアクションをとり静まる。


 人は不味い物を食べれば顔を顰め、可もなく不可もなくな物を食べれば会話メインになる。美味い物を食べればはしゃぎ明るくなる。


 では、それ以外なら?


 死ぬ程不味い物を食べれば吐く。そして、本当に美味い物を食べれば、人は無言になる。

 口を開いて閉じこもった香りが逃げる事すら惜しく感じ、只管一つの食べ物に夢中になり、飲み込んだ後でも確かに残る余韻に浸るのだ。


 野郎共は今、未知の美味さの前で棒立ちになりデンプシーロールを無抵抗で受け続けるリング禍寸前のボクサーなのだ。


「......」(スッ)


 一足早く口にした分だけ他の者よりも早く余韻から醒めた支配人は無言でもう一献を......と、徳利に手を伸ばし、そこで気付く。


 見た事も無い食べ物と、カットされた野菜と思しき物が添えてある事に。塩辛やぬか漬けなどは類似した物こそ存在すれど、本物は存在しないだろう。

 国で一番栄える王都に鎮座する高級ホテル。その支配人や料理人でさえ初見な食べ物がある。


 普段なら絶対に躊躇するビジュアルをしているが、『これを用意したのはあのシアンなのだから、絶対この酒の邪魔になるような物など勧めるするはずがない......』などと、シアンに妙な信頼感が出来ている支配人は、躊躇うこと無く未知の食に手を伸ばし口に入れた。


 日本人でさえ好みの別れる塩辛だが、大吟醸に魅了された者には無用な心配となった。


 皮を丁寧に処理されたイカは生臭さが抑えられ、細切りながらも歯応えのあるねっとりしたイカの食感、クセはあるが濃厚なワタの旨味とコク、アクセントの柚子皮が味をより一層引き締めている。シアン珠玉の一品なのだが、初見の、それも未知の品をそこまで理解できるはずが無い。


 だが、酒呑みには酒呑みにだけある一つのポイントだけ抑えてあればいい。


 酒に、合う。


 支配人は思う。

 単体で食べるのであれば、これ以上は無理。好んで口にしたいとは思わない......と。だが、日本酒を先に飲んでいた事で本能が理解したのだ。


 ゆっくりと噛みしめ、塩辛の味が口一杯に広がった所で飲み込む。そして塩辛の風味がまだ口を支配している内にすかさず酒を一口。


 自分の好みとしては、コレに合わせるならばもう少し辛口の酒の方が良いと思った。だが、そんな物は個人の嗜好であって問題視するレベルではない。


 ――嗚呼、堪らない。


 ただただ、初めて味わうこの感動に浸る事に集中しよう。


 斯くして日本人であるシアンが一切布教していないのにも関わらず、異世界に日本酒ラバーが大量に生まれていった。


 言葉は不要。


 火照ってきた体を冷ます為に浴槽縁に腰掛け、心地良い風に当たりながら美味い酒とツマミに舌鼓を打つ。


 水音、鹿威しの音、咀嚼音、嚥下音、静かな呼吸音と感嘆の溜め息のみが支配する幸せな空間で飲み続けて酔っ払ったおっさん共はその後当然の如く逆上せ、ヘカトンくんとワラビに救助されましたとさ。




 ──────────────────────────────


 甘口の酒に塩辛は......、そんなもんに馴染みのない異世界人が初っ端から塩辛やポン酒を受け付けるのか? 等と思う方がいらっしゃると思いますが、ファンタジーなので細かい所はすいません。

 前者は従魔がシアンの真似をしたおもてなし故、後者は外国人の知り合いのはじめての日本酒とおつまみをリアクションを元にしています。

 飲みやすいちょっとお高めなポン酒、日本酒に合うポピュラーなおつまみを並べて好きに飲み食いさせた結果、どハマり。先入観さえ無くせば後はどうにでもなるようです。


 ちなみにその外国人さんは、今ではなんちゃって日本酒ラバーの日本人よりも詳しくなってたり、珍味の類を躊躇いもせずにバカスカ食ったりと......まぁ、凄いなぁとしか。


 それと、言い訳ですが過去一筆が進み、気付いたら一話まるまるおっさんが飲むだけの話が完成していました。誠に申し訳ありません。日本酒とウイスキーが大好きなので暴走しました様ですごめんなさい!(逆ギレ)

 塩辛! 刺身! 珍味! プラス日本酒さいきょー!

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