第277話 シアンカート
黒と白が入り混じる旗を持ち、その旗を振り上げた状態の男が緊張した面持ちで白線の横に立っている。
その男の周囲には異世界には不釣り合いな八つのマシーン。その全てが唸りを上げながら始まりの時を今か今かと待ちわびている。
そのマシーンに乗り込んだドライバーたちは、真剣な眼差しで白と黒の旗の動向を見詰める。
フォンッ!!
一際高く唸り声を上げるマシーン。待ちきれない......早くスタートの合図を!! その音はまるで、そうスタートラインに立つ男に強請っているかの如く......
そして......遂にその時が来る......
男の声と共に旗が振り下ろされると、八つのマシーンは一斉に唸りを上げて走り出した。
スタートが上手くいって喜ぶ者、緊張しすぎて出遅れてしまった者、普通のスタートを決めた者......
大役を終えた男は走り出していった八つのマシーンを見ながら満足そうに呟く。
「まだ、レースは始まったばかりだからスタート時の失敗なんて気にしなくていいんだよー。卍解のチャンスならまだまだたくさんあるから、ゴールするまでは気を抜かずにがんばえー」
ドライバーの真剣さとは正反対の緩い声。
普通はたかがお遊びのレース程度の事でそこまでガチになる事はないだろう......
しかし、ドライバーにはそれぞれ絶対に負けたくない思いがある。
絶対に負けられない戦いが、そこにはあった。
◇◇◇
コース作りをした次の日のお昼ご飯を作ろうと動き出そうとした時、珍しく早起きをして朝食後すぐ......俺の側から颯爽と居なくなってしまっていた皆から呼び出しを受けた。
「おっとぉ......全員集合してるけどどうしたのかな? そろそろ皆のお昼ご飯を作ろうとしてたんだけど、何かあった?
............まさか、家出したいとか反抗期が来ちゃったとか言わないよね? ね? ねぇ、なんでずっと真顔なのさ?」
そして、盛大に取り乱した。だって仕方ないじゃないかぁ!!!
凛々しくて愛らしいマイエンジェルたちが真顔で整列してるんだよ? なにかを決意したような雰囲気がビンビンでギンギンだったんです......最悪を想像してしまうのは不可抗力というもんですよ。
「......いつそんな時が来ても取り乱したりしないようにしたいと思っていたけど、まだ俺は子離れできないみたいです。だから、もう何年かは俺と一緒にいて貰えませんか?」
真顔のエンジェルVS俺さん
こんな空気に耐えきれるはずもなく、呆気なく敗北して号泣。情けない? しゃーない。誰しもが通る道だ。娘の嫁入り、息子の独り立ち、反抗期......この三つは世のパパさんならいつか来ると覚悟しておかなければいけない事だろう。
だが、だが、まだこの子たちと一緒に居るようになって二年経ってないんだぜ? 末っ子姉妹に至ってはまだ一年未満だ。
魔力量で体組織が変化して寿命が変わる世界なんだ......せめて、せめて後何年かは一緒に居て欲しいんだよぉ......贅沢を言えばずっと一緒に居て欲しいんだよぉ......
リアルわんこみたいに十年を過ぎたらお別れを覚悟して付き合わなきゃいけない世界じゃないんだから後数年でいいから俺に君たちの時間をください......
動物に限らず人を含めた生き物全般。その一生を背負うのはとても責任と覚悟がいる事なんだ。
特にわんこは生活にとても食い込んでくる。大体決まった時間にご飯をねだり、散歩をねだり、行ってらっしゃいとおかえりをしてくれて、落ち込んでいると体を預けてきたりしてくれる。
時にはそのルーティンが面倒に思えたり、そんな気が起きない時でもいつでもラブ全開でこちらに甘えてくるのを鬱陶しく思ったりもあるだろう。だが、それは人相手でも何も変わらない感情であり、最初はペットが飼いたいな程度にしか思っていなくても、いつの間にか家族に、恋人や家族、子どもと一緒でなくてはならない大切な存在になっている。
人からすればたった十年と数年。それでもわんこにとっては人と変わらずに大事な一生。
虐待したり、飼えなくなったからと捨てたりなんて以ての外だ......同族であり、自らの遺伝子が繋がった存在でも容易に捨てたりしてしまう人間からすれば、途中で飽きたり、要らないと思えるかもしれない。
安易な考えで自分以外の存在の一生に食い込むな!!
失礼、取り乱した。いや、現在進行形で取り乱してる真っ最中なんだけどね......
愛情をたっぷり注げば注いだだけ自分に返してくれる儚い存在。ならばこそ失ってしまった時の喪失感は想像を絶するものになる。
彼らやりも先に逝く事はほぼ確実無い。絶対に看取るなければいけない。
それをわかっていても求めてしまう。もう二度と飼わない......家族に迎えない......そう思っても再び手を伸ばしてしまう存在。
むしろ人よりも一緒に居たいと思わせられてしまう。愛してる。死ぬ時は一緒だからね......
「......うぅぅぅぅ......まだ、まだまだ俺は皆と一緒に居たいよぉ......グスッ......」
「「「「............」」」」
この時、俺は錯乱状態であった事と溢れる涙で何も見えなくなっており、天使たちの行動を見逃していた。
ドン引きしたお顔、白い目でこちらを見ていた事、そしてアイコンタクトで何かを伝えあっていた事を......
それに気付かなかった俺は、愚かにも探知頼りで天使たちに抱きつこうと走り出した。もし、俺を見限ったとしても最後に温もりをくれという感情のままに。
あと二メートル、一メートル、五十センチ、二十五センチ......もうすぐだ。もうすぐあの子たちを抱きしめられる......
――そこで俺の意識は飛んだ
今際の際で俺が感じたモノは、顔面を削る畳の感触とキューという可愛い鳴き声だった。
◇◆◇
『ねぇ、ご主人がなんか物凄く変な勘違いしてるんだけど......はぁ......ウイありがとうね』
「キュッ!!」
シアンの意識を奪ったウイのエンジェルデスボイス......可愛い鳴き声でメロメロにさせ、その隙に体内を破壊する天使のような死神の声。
今ではかなり自由に扱えるまでに成長しており、
大好きなお姉ちゃんに褒められて嬉しそうな末っ子アザラシ、呆れた表情を見せつつも末っ子の頑張りを褒める長女、気を失ったヤベーヤツ、呆れて何も言えない天使たちという闇鍋を煮詰めに煮詰めたようなカオスすぎる現場になっていた。
『何をどうしたらあんな勘違いすんの? 頭おかしいよ......』
『今に始まった事じゃないんだけど、ね。ちょっと頭痛くなってきた......』
『『はぁ......』』
『溜め息吐かないで......』
比較的常識人枠の白いのが呆れ返り、一番の常識人である百碗巨人が慰めている。
『これーどうするのー?』
『みちゃだめ、ほっときなさい』
黒羊が角で変態の処遇を訊ねつつツンツクしていると、冷静な合成獣が見ちゃいけませんをした。
我が子とも言える従魔からの扱いが残念な飼い主。だが、そのザマを見ればそうなるのも仕方ない。
『ソレは放っておいて、どうする? ソレが目を覚ましたらやろうとしてた事をそのまま伝える?』
『そうだね......変に勘違いされても困るからそのまま伝えようか......』
『おこすのー?』
『おこしちゃうー?』
面倒臭そうに今後について話す白いコンビと自分たちでアレを起こしたくてソワソワしている末っ子姉妹。
『はぁ......やりすぎないでね、なるべく優しくするんだよ』
『やりすぎるとさすがにご主人でも危ないから気をつけてね』
「キュッ!」
「メェッ!」
承りました! といった様子で甘えんぼお姉様たちに敬礼する末っ子。この様子を見れなかったと知ったら、畳とキスしながら寝ているアホはきっと血涙を流す勢いで悔しがるだろう。
『しるこはかおにのってねー』
『りょーかーい』
ここで、末っ子姉妹のタッグ技初お披露目となる。おい、お前が初めての相手だぞ、寝てないでもっと喜べ。
「メェェェッ!」
顔に乗って一鳴きすると、ふわもこな体毛がサラサラに変化。
「キュゥゥゥ!」
追撃とばかりに鳴き声が追加されると、顔面を包み込んだサラサラヘアーが小刻みに震え始める。
「メ゛ェ゛ェ゛ェ゛ッ」
しるこバイブレーションとでも名付けるのが良いのだろうか......用途は寝ている飼い主を起こす為に覚えた技です。それ以外の使用予定はございません。きっと。
羊ちゃんが震えているせいで鳴き声が震えていて可愛いですね。
「......オブァッ......オフッ......ワプッ」
顔面の至る所に震えるサラサラヘアーが襲いかかる。擽ったさと震えと息苦しさ+アルファで無事に目覚めたようだ。
だが、興が乗ったのか止まる気配を見せない。観客も止めようとしない。
「ワプァッ......止めっ、止めてっ」
◇◇◇
「......あっはい、ごめんなさい。すみませんでした」
起きた俺は呆れる皆から説明を受けた。
全てが勘違い&早とちり。でもさ、だってさ、あんな思い詰めたような顔して整列してたらそうなっても仕方ないと思うの。
「......はい。反省してます」
ㅤ二度と早とちりすんなと怒られた。
とまぁ、このようなやり取りの後、レースがしたかったと言われて冒頭のアレになりました。
このレースの優勝賞品は、皆の意見を聞き『シアンを丸々三日独占できるチケット』に決まった。
そんな事しなくてもいくらでも願い事は叶えてあげるのに。でも、俺が頑張って作ったコースを全力で楽しもうとしてくれたのは素直に嬉しい。
さぁ、天使たちのお願い事を賭けたガチレースは始まったばかりだ。
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