第216話 G、逃げ出した後

 俺の名前はアンドリュー、帝国第三騎士団の下っ端だ。


 数ヶ月前に突如発生した黒い柱の調査の為に派遣された。

 俺みたいな下っ端がお上に呼び出されたので何事かと思ったが、他の国の兵士や冒険者達と合同で黒い柱の謎や発生源、問題の山の調査を行う部隊に参加しろと命令された。そんな命令なんて拒否したかったが、悲しいかなここは縦社会......首を横に振る選択肢は与えられなかった。


 俺がこの作戦に参加させられる事になったのは、【虫の知らせ】【悪運】の二つのスキルが影響していると思われる。


 人生の分岐点と思われる場所でザワザワするだけのクソスキル【虫の知らせ】。これがザワついたら直ぐに報告しろということだろう。今、これまでにない程ザワザワしているんだけど、下っ端には発言権などなく一方的に話を聞かされて解散となった。


【悪運】は致命傷確実な攻撃を受けてもギリギリ死なない程度に収まる......それだけのスキル。中級以上のポーションを持っていないとただの生き地獄生産機。

 十歳の頃盗賊に襲われ、体はボロボロだけどすぐには死ねない状況になり、後は味方の全滅を待つだけ......となった時に帝国の騎士団に助けられ、上級ポーションを使われて生き残るという悪運に見舞われ今に至る。

 十歳のクソガキに使われた上級ポーションの代金返済の為に安い賃金で扱き使われ、ようやくその返済を終える頃には俺は十五歳になっており、正式に兵士として採用されていた。


 今思えばあの時も【虫の知らせ】がずっと発動していたなぁ......この頃はこれがなんなのかわかっていなかったので風邪かな......と呑気に考えていた自分を助走をつけて殴りたい思いでいっぱいだ。

 清廉で誇り高い騎士なんて何も知らない一般人の幻想。何も知らないクソガキに一方的に恩を売って逃げられない状況を作り、戦闘奴隷を量産する組織だったのだ。奴隷商人に捕まった方が他に選択肢があるだけまだマシかもしれない。



 ......そんな感じで強制参加させられた四ヶ国合同調査だったが、これがまた酷い。

 参加した帝国の兵士共は、上官は箔を付けたいだけの無能、下っ端共は俺とあまり変わらぬ経緯で兵士となった哀れな生け贄達。

 帝国の冒険者共は、コイツらが死んでも痛くも痒くもない力だけがある問題児ばかり。騎士団のお世話になった事が無いようなヤツを探すのが難しいくらいだ。



 こんなメンツなので環境の酷さによるストレスで小競り合いが多発する日々が続き、今や大きな問題が発生していないのが奇跡とも思えていた。




 ――そんなある日の晩、【虫の知らせ】が今までに無い強さで発動した。


 体中、細かな虫が這いずり回るような不快な感覚に襲われ、そのあまりの気持ち悪さに耐えきれずに嘔吐してしまった。

 その不快な感覚は時間が経つ毎に強くなっていく。


 肌を這いずり回るだけだったその小虫は、皮膚を食い破って侵入、皮膚の下を駆け回り、肉を食らう。

 体の中のありとあらゆる箇所を食った小虫達は、スカスカになった体内に卵を産み付け、産卵が終わると口、腸、尿道......体外へ繋がる穴から這い出ていく。



 そして......有り得ないスピードで孵化した卵から産まれた幼虫は、母体となった俺の体を食い尽くし、巣立っていった......




「......うっ......おえっ......」


 なんだ今のは......


 黒い虫の群れに集られ、食われ、体に卵を産み付けられる......そんな幻を何故見てしまったのか。

【虫の知らせ】が見せたこの後起こる惨劇を知らせたのだろうか......これまでにない危機が俺に迫っているのだとすれば、こんな所で嘔吐いている場合じゃないよな......


「正直、動くのも辛いけどこのままだとアレが現実で起こるんだろうから早く逃げないと......アイツらには悪いが、アレを二度も味わいたくないから非難させてもらうぞ。逃亡しても死、立ち向かっても死......それならば一思いに首を落としてもらえる処刑を俺は選ばせてもらう」


 幸い嘔吐の為に離れた場所にいるし、同僚達は飲みすぎとしか思っていないだろう。


 ......すまない。あんな死に方は嫌なんだ。許せとは言わない。これまでありがとう。


 この場に居たら確実に訪れるであろう非業の死から逃れるべく、形振り構わずに駆け出した。少しでも距離を稼げ、一ミリでも遠くへ......それだけを考えながら真っ暗な山中を走った。




 ◆◇◆




 走り続けて三十分くらいだろうか、アイツらが居る場所からかなり離れたと思うが、それでも悲鳴や戦闘音が聞こえてくる。


 疲労と石や枝で傷付けられた足がピクリとも動かなくなったので、走る事を諦め、近場にあった木の上に最後の力を振り絞って腕だけで上って避難。

 体力を少しでも回復させようと荒い息を吐きながら呼吸を整え、震える体で剣を抱きながら惨劇が終わるのを待つ......




 ......どれくらいの時間が経ったのかわからない。ただ、自分が生き残る事だけ必死だったから。


 やがて空が白み始めた頃にはもう悲鳴は一切聞こえなくなっており、【虫の知らせ】による不快感も感じなくなっていた。


「は、はははっ......生き残った......生き残ったぞ......あはははは......」



 応急処置程度にしか使えない下級ポーションを傷付いた足に振り掛けると、疲れきった体が電池が切れるように意識を飛ばした。


 それは逃げだしてしまった事への後悔、置いてきた同僚達への罪悪感、溜まりに溜まった疲労とストレスから己の精神を守る為の強制シャットダウン。


 後悔や罪悪感は生き残った者だけの特権。

 これからはそれと向き合いながら生きていかなくてはいけないが、死んでしまった者はそんな事を感じられないのだ。


 これを地獄と感じるか、はたまた贖罪の機会と考えるか、アイツらの分も生きようと考えるか......それはこれからの生の中で考えて行けばいい......思考できるという事は生者だけに許された特権なのだから。




 ◆◇◆




 泥のように眠り、目覚めた。


「ここ、どこだ......? うわっ!?」


 働かない思考、曖昧なこれまでの記憶、自分が寝てしまっていたという事だけはわかったので体を起こそうと動かす。


 だが、ここは木の上......泥のように眠っていたおかげで微動だにせず落ちずに済んでいたが、当然無理に体を動かせば......


「ぐほっ......な、なにが起きた!?」


 落ちる。

 重力に従って落下し、体が地面に打ち付けられた。


 だがこれまでの訓練のおかげで無意識下でも使えるくらいに体に覚え込まされた受け身を取り、それに加えて訓練によって体の強度が上がっていたのでそれなりの高さの木から落下しても痛い程度で済んだ。


「あははは......思い出した......そっか、あのまま寝てしまったんだな。どれくらい寝ていたかわからないけど、その間に襲われず無事でよかった......」


 生きていた事に安堵し、これからどうしよう......そう考えていた所に【虫の知らせ】が発動した。


 直後、左半身全てにゾワゾワとした感覚が広がり、左後方からカサリと音が鳴りそちらへと目を向ける......そこに居たのは......


「あっ......ははは、コイツが俺の同僚を殺した元凶か。ここまで逃げてきても無理なのか......このまま左半身を食われて死ぬのか......本当、俺の人生ってクソだわ」


 自身の体の半分程の大きさのコックローチを目にして自嘲気味に笑う。


「逃げたまま死ぬのは嫌だな......とりあえず初撃が左半身に来るのはわかるから、それを避けて一撃叩き込もう。一匹でも殺せれば御の字だ」


 目の前に広がる絶望と対峙し、【虫の知らせ】によるゾワゾワが最高潮に達する寸前――右に向かって飛び退いた。





 そこから起こった事は、誰に話しても信じないだろう。だが、俺は生き残った。それだけだ。



 黒光りするコックローチの後ろから、超高速で飛び込んできた黒い円形の物体。


 黒い円形がコックローチ共を瞬く間に消し去り、少し前まで自分の体があった場所を抉りながら瞬く間に飛び去っていったのだ。


「はは......ははは......俺は助かった......のか。なんだアレは......コックローチなんかよりも恐ろしい......俺はもう戦うのは無理だ。この山、人間なんかが安易に踏み込んではいけない場所だったんだな......」


 これまで役に立たないと思っていた【虫の知らせ】は、過酷な環境と自身に訪れる絶対的な死を前にし、未来予知にも似た何かに能力が強化された。



 彼はこの後、【虫の知らせ】を最大限に活用しながら何とか山を下り、生き残っていた者達と合流し国へと帰還した。


 他の生き残った者も全て、生き残る為に個別に行動を起こした者だけだった事。

 それと彼らによって齎された情報、特にアンドリューの報告にあった黒い円形の物体の情報が高く評価。これにより逃亡した事の罪は赦され、報酬も与えられる。


 軍に残れと言われるも、圧倒的すぎる力を目にして心が折れた彼はそれを拒否し、自分の生まれ故郷へと帰り、そこで教官をしながら生涯を終える事となった。


「自分の直感を信じ、敵わないと思ったら即逃げ出せ」


 彼の口癖だったその言葉を、彼の教え子は実践し何度も命を救われた。そしてその教えは次の教え子へと受け継がれていく事となる。




 ◇◇◇




 side~???~


「あー......この闇ル〇バ、全然小回り利かないやんけ......本物の印象が強すぎたのか......次はもっと滑らかに動くようにしないとダメだな。それと敵対者の心をへし折れるようなギミックも欲しい所だな......」

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