第15話 Happy Birthday
レネが、いつも通り管理局の鐘の音で目覚めた時には、作業室に弟の姿はなかった。熱はひいていた。
寝不足と仕事の疲れが溜まっていたのだろう。
レネは簡易キッチンで湯を沸かし、紅茶を淹れる準備を始める。
自動人形を納品したとはいえ、まだ次の作業が残っている。管理局が指定した鉱玉に紋様を刻むのも人形師の仕事だ。
湯が沸くまで、作業台のカレンダーでスケジュールを確認する。明日の日付に赤い丸印がついていた。
明日は、歳の離れた弟の十四回目の誕生日だ。兄弟は一日違いで誕生日を迎える。
レネは作業台の引き出しを開け、銀灰色の包装紙と白いリボンで包まれた小箱を手に取った。
ヴェロアの赤いリボンタイは、弟の白い首元に映えるだろう。
(らしくない……)
キッチンから水の沸騰を知らせる音がする。レネが火を止めていると、作業室の扉が勢いよく開いた。
「レネ!」
息を切らして入ってきたのは、管理局の制服に身を包んだシグルドだった。朝から騒々しい男だ。
レネは不機嫌そうに眉を寄せると、何食わぬ顔で紅茶を淹れ始める。
「レネ、今すぐ外に来てくれ!」
「煩い。私は……」
「いいから、来い!ライカが……!」
シグルドが無理矢理レネの腕を掴む。青年の手から紅茶缶が落ち、床に茶葉の渦を描いた。
レネは友に導かれるまま、晴れた空の下へ出た。
嫌な予感はしていた。
シグルドが取乱す原因など知れている。
手入れの行き届いた庭で、氷河草が揺れている。
綿毛はほとんど残っていなかった。子孫を残す旅に出たのだろう。
シグルドが沈痛な面持ちで、地面を指差す。革靴の裏に、硬い感触が走った。
「発病したのか」
喉から出た声は、自分でも驚くくらいに冷静だった。身体が慣れ始めている。レネは自らの左腕をきつく掴み、唇をかみしめた。
砕け散ったアクアオーラの破片に太陽の光が反射する。蒼の結晶と化した少年は、頭から落ちたらしい。
頭部の損傷が激しく、ライカの面影はほとんど残っていない。
黒いケープと水色のリボンが鉱石の塊に潰されていた。
「シグルド、回収を手伝ってくれ。
「……ああ」
シグルドの声が震えている。
レネは地面に散らばるアクアオーラの破片をひとつひとつ手に取った。温もりも何もない。ただの鉱石だ。
あらかた破片を拾い終わったところで、少年の残骸を二人で抱えて運んだ。
ライカの左手首にはまっていたアクアオーラが、静かに波紋をたてていた。
何度繰り返しても、最期の立ち会いには慣れない。シグルドはライカの身体を地下へ運びながら、過去を思う。
これからも慣れることはないし、鉱石化していく少年を見るたび、何もできない自分の無力さに潰されていくのだろう。
「丁度、一年か」
レネがぽつりとつぶやく。地下のラボに繋がる扉を開けると、淡い水色の壁が視界に飛び込んできた。
壁一面を覆いつくすのは、巨大な水槽だ。透明な仕切りがあり、底から伸びたチューブが、それぞれの仕切りで眠る生命体を生かし続けている。
ライトブルーの液体の中で、ふわふわと少年の白髪が漂う。毛先に行くにつれ、白と水色の絶妙なグラデーションを作っていた。
実験段階から、髪の色だけは、何故かうまく再現できなかった。
レネはシグルドから弟の遺体を引き取ると、アクアオーラのリングを壊し、少年の残骸を水槽の中へ放り投げた。
蒼い破片が自らの重みで沈んでいく。
「また、色が濃くなるな」
シグルドの言葉に、レネは沈黙を返す。
レネは端末機を起動させ、人形師のみが使う特殊な文字で記録をつけていく。キーボードを打つ機械的な音がラボに響いた。
シグルドはラボの中央に安置されている棺に近づく。青薔薇と白薔薇に囲まれて眠るのは、淡いハニーブロンドの髪の青年だった。
安らかな寝顔は、ライカにとてもよく似ている。
「何だ、これ」
棺の中に、シグルドは白い小箱を見つける。
箱の蓋に書かれた金文字は、人形師が使う文字で、意味はわからなかった。
箱を開けると、ハトロン紙に包まれた水晶と、小さなメッセージカードが顔を出す。
「おい、レネ。……これ」
レネは黙々と死んだライカの記録を打ち続けている。
シグルドは棺の中で眠る青年とレネの背中を交互に見ながら、口を開いた。
「お前の、誕生日プレゼントだよ。レネ・スプートニカ」
「っ……!」
キーボードを打つ手が止まる。弾みで落とした端末機の光が、レネの足元を照らしていた。
「誕生日なんて……」
レネがゆっくりとシグルドの方を向く。
革靴の先は、ぴたりと棺の前で止まった。シグルドは白い小箱とメッセージカードを差し出す。
レネの視線は、しかし、棺の中から離れない。
「兄は、誕生日なんて、祝ってくれなかった……」
震えが止まらなかった。
がくりと膝を落とし、レネは棺の中の青年に縋りつく。機関構成員の制服に、ぽつ、ぽつと丸い染みが出来る。
「私の誕生日なんて、一度も……!」
レネの指先が、青年のハニーブロンドをかき分け、額に触れる。
掌程の大きさの寄生星が埋まっていた。薔薇の花を模した水晶だった。指先は額、鼻梁、目蓋となぞり、最後に青年の喉笛に触れる。
力を込めて押しても、レネの指は皮膚に食い込むことはなかった。鉱石のようなごつごつした硬い感触が、指の腹に残るだけだ。
「管理局上層部からの通達だ。ライカ・C・スプートニカの覚醒を急げと」
レネは下唇を噛み、呻き声を押し殺した。
管理局が必要としているのは、レネではない。兄のライカの方だ。
ライカはレネの寄生病を治した後、昏睡状態に陥った。その身にレネの寄生星を宿したまま、目覚めない。
寄生病の治療法も全て彼の中にある。
兄の発症後、管理局はレネに告げた。
ライカであるならば、なんでもいい、と。兄が人形師以外の目的で、管理局に飼われていたことをレネは知っている。
これ以上、ライカを管理局の好きにはさせない。
その一心で、レネは禁忌の道に手を染めた。
「……シグルド、教えてくれ」
何度、兄の死に顔を見てきたことだろう。一人目は一時間もしないうちに冷たくなった。二人目は三時間。三人目は半日もった。
そうして長い時を繰り返して、ようやく一年生きたのが、アクアオーラに寄生されたライカだった。
彼らは何も知らずに死んでいく。レネに残酷なまでの純粋な愛情を注ぎながら。
「私は、私は……!何回兄を殺せばいいんだ……」
震えるレネの背を、シグルドが優しく撫でる。
ライトブルーに輝く水槽の中で、新たなクローンが目蓋を開けた。
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