第14話 兄弟Ⅱ

 管理局から支給された端末機の電源を入れ、レネは放送局にアクセスする。

 ユニフス・メトロの人身事故が大々的に放送されていた。線路に飛び込んだのは十代の寄星病の患者で、すでに発病していたという。

 淡々と続報を読みあげるアナウンサーの声を聞きながら、レネは南の塔へ続く坂道を上っていた。

 青年も事故に巻き込まれた一人である。自動人形を管理局へ納品した帰り足だった。

 空は夜の帳に包まれ、満月が孤独に輝いている。

(そろそろか……)

 寄星病患者の発病は、ある一定の時期から増え始めている。今朝も、広場でオブジェと化した少年が回収されていく様を見た。

 管理塔に着いてからも、無残な姿となった寄星病の子ども達がひっきりなしにラボへ運ばれていた。

 寄星病の進行が、管理局の薬でコントロールできなくなっているのは目に見えて明らかだ。

 それでも、彼らは子ども達への投薬を止めようとはしない。レネも、見て見ぬふりをしていた。

 彼は医師ではない。ただの人形師だ。

 塔の扉を開け、レネはエントランスホールの明かりをつけた。

 一つのスイッチで塔の全ての電源を管理できる。

 あえてシグルドに連絡をしていないが、今夜ものこのことやってくるのだろう。

 効かない薬を、弟に与えるために。

「っ……」

 頭の奥が疼く。レネは額の古傷に指を添え、目蓋を閉じて呼吸を整えた。

 徹夜が多かった所為か、体調不良が続いている。

 寄生星を摘出した時の生々しい傷が熱をもち、レネの動きを鈍らせていた。

 青年の足は、自然と作業場へ向かう。作りかけの人形達が沈黙とともに主を迎えた。

 レネはコートと管理局の制服を脱ぎ、私服に着替えると、古い革張りのソファに身体を横たえた。体力の消耗が激しい。

 右手の中の端末機が、ぼんやりと光る。刹那、メールの着信を知らせるアラームが鳴った。気だるげにボタンを押し、中身を確認する。

 管理局の臨床管理部からの定期報告だ。本文には複雑な数式が並び、最後にグラフが表示される。

(寄星病の進行が早すぎる、か……)

 通知の内容に興味を失ったレネは、すぐさま端末機の電源を落とした。ライカに関する情報は、いつまでたっても変わり映えしない。

(わかりきっているくせに)

 レネは端末機をテーブルに放り投げ、片手で目蓋を覆った。もはや明かりを消しに立ちあがるのも億劫だ。全身が睡魔に支配されるのも、時間の問題だろう。

 レネは眠りと現の狭間をうつらうつら彷徨いながら、いつしか静かに寝息を立てていた。




「……兄さん」

 暗闇の中で声がする。まだ幼い少年の声だ。

「兄さん」

 その声はだんだんとレネの方へ近づいてくる。レネは煩わしくなり、少年の声を無視しようとしたが、果たせなかった。

 氷のように冷たい感触が、レネの頬に伝う。驚いて目蓋を開けた。

「……起きた?」

「ライカ……」

 何時の間に部屋に入り込んだのか、弟が兄の顔を覗き込んでいる。紫水晶のような菫色の瞳が不安げに揺れていた。

 レネは頬に触れてくる弟の手を、振り払わなかった。

 額の傷から生まれる熱が、青年の判断力を奪っていく。

 ソファに横たわったまま、レネはライカの白髪を梳いた。毛先に行くにつれ、白と水色のグラデーションが生まれる。

 久方ぶりに見る弟の線は細く、力を込めれば壊れてしまいそうだった。

「お前、いくつになったんだ」

「十三だよ」

「……そうか」

 ライカが生を受けて十三年。すぐに実感はわかなかった。

 ライカの病を治すために人形を作り始めた気もするが、遠い昔のようではっきりとは思い出せない。何時からライカは傍にいたのだろう。

 レネの記憶の中では、ライカの左手首に埋まったアクアオーラは、まだ小さな塊にすぎなかった。今ではリング状の鉱石が細い手首を覆っている。

「ねえ、兄さん」

 ライカがソファの前に膝をつき、レネと視線を合わせる。

「僕は、だれなの……」

「何を言っているんだ。お前、頭まで星に寄生されたのか」

 レネの問いに、ライカは答えない。ただじっと兄の睛を見つめ、何かを待っている。レネはライカの頬に手を添え、言の葉を紡いだ。

「お前は……、私の弟だよ」

「……うん。ありがとう」

 ライカの手が、レネのそれに重なる。弟の手はこんなに冷たかっただろうか。

「兄さん、大好き」

 屈託のない笑みを浮かべ、ライカはハニーブロンドの前髪をそっとかきわけた。

 じくじくと疼く額の傷を、弟の指先がなぞる。

 レネの身体は、とうに自由がきかなくなっていた。発熱が酷い。

 今はただ、ライカの与える心地よさに身を委ねていたかった。

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