第11話 最果ての庭
少年が玄関のスイッチを押すと、天井から吊り下げられたボトルランプが一斉に点灯を始めた。カネット壜の中でフィラメントが生み出す光が炸裂する。
ライカは小さな歓声をあげ、色とりどりに輝く頭上から目が離せなかった。
冬の聖誕際に飾るツリーの電飾にも似ている。小壜達が生み出す灯りの中で、少年が呟いた。
「さっきは……ごめん。君が、あまりにも兄に似ていたから」
ライカの手は自然と己の頬に触れている。少年の指先の感触が生々しく残っていた。ざらついた指の腹が水滴とともに頬を滑り落ちる。
「僕の名はルネ。此処は人形師専門の店だよ」
ほら、とルネと名乗る少年は、ライカの後ろの看板を指差した。雨に濡れないよう店内へ避難させられた看板には、《人形師専門店・最果ての庭》と書かれている。
天井から視線をうつしてみれば、少年の傍には小さいながらもカウンタがあり、壁一面に古い戸棚が並んでいた。
戸棚には、数々の職人道具が陳列している。衣服をつくるための糸やミシン、布まで揃っていた。
自動人形の心臓部となる鉱玉の原石は、仕切りのついた鉱石箱に収められている。箱の中に寄生星に似たアクアオーラを見つけ、ライカは慌てて伸ばしかけた手をひっこめた。
「僕は、ライカ。……兄さんを、追ってきたんだ。……その、君に、とてもよく似ている」
ライカの言葉に、ルネはくすりと笑みを浮かべた。糊の利いたシャツの胸元で赤いリボンタイが揺れる。
第一釦までしっかりと留めている様は、ますますレネを彷彿とさせる。几帳面な性格なのかもしれない。
「此処は冷える。居間に行こう。雨がやむまで、ゆっくりしていきなよ」
「……ありがとう」
窓を打ちつける雨音は激しく、当分止みそうにない。
(兄さんは何処に行ってしまったんだろう……。濡れていないといいけど……)
淡い水色の毛先からぽたりと水滴が落ち、木製の床にじわりと染みを作り出した。
ライカが通された居間はがらんとしていた。必要最低限の家具と、大きな暖炉が目につく他は、生活感を感じさせない空間だった。
ルネは暖炉の傍の長椅子を片付け、新たにカウチチェアとテーブルを用意している。
「此処に座って」
「うん」
少年が指し示した椅子に臙脂色のクッションが並んでいる。持ち主の身体を長い間受け止め続けたクッションは、真ん中がへこんで戻らない。
ライカはカウチチェアに腰かけると、水色のリボンを解こうと指先を動かす。
かじかんだ指先は、しかし、ちっとも思い通りに動かない。苦戦するライカの前に落ちた影が、するりとリボンを解いた。
ルネはそのままライカのケープを脱がせると、壁際に吊るされたハンガーにそれをかけた。
ルネの動きは、まるで給仕のようだ。ライカがきょろきょろと辺りを見回している間に、クリーム地の毛布を運んでくる。晴れた日に干したのだろう。微かに太陽のにおいがする。
「ディアボロ・カシスは好きかい」
レモネードの壜とグラスをテーブルに並べながら、ルネが問うた。透明なグラスの中にカシスシロップが注がれている。ルネが炭酸入りのレモネードを注ぐと、カーマインレッドの泡が浮かんだ。
ライカはグラスを受け取り、そっと中を覗き込んだ。淡いカーマインの海を自在に泳ぐ泡が、パチ、パチ、と音をたてて弾ける。ディアボロ・カシスを一口口に含む。
レモネードの爽やかな酸味とカシスシロップの甘さが絶妙に溶けあい、ライカの舌の上で踊った。
「君は飲まないの?」
テーブルの上には一人分のレモネード壜が置かれている。グラスもライカが持っている一つだけだ。
ルネは隣のカウチチェアにもたれかかると、ハニーブロンドの前髪をあげて見せた。
「知っているだろう?」
「……鉱玉」
ライカはテーブルにグラスを戻し、ルネの額に左手をかざす。少年の生白い額に、自動人形の核となる水晶が埋まっていた。
テトラクラインで見たジェムとは違い、薔薇の形を模している。薔薇水晶に刻まれた紋様は複雑に絡み合い、一枚の花弁を成す。
「僕らは
「……人間だと、思っていた」
「人間も自動人形も変わらないよ。……どちらでもいいじゃないか」
ルネは空のグラスにレモネードを注ぎ、一気に中身を飲み干した。
「人間の真似事くらいは出来る」
「おいしい?」
「さあ、よくわからない」
自動人形が首を傾げて恍けてみせる。ライカは笑いがこみあげるのを抑えきれなかった。ルネの言うとおり、彼はヒトでも自動人形でもないのかもしれない。不思議な存在だ。
「ねえ、ルネはひとりで暮らしているの?」
一人で過ごすには広すぎる部屋を見渡しながら、ライカは問うた。純粋な疑問は、自動人形の表情を曇らせる。
「いいや。兄さんと二人で住んでいる。……僕の兄は人形師なんだ。もう、何年になるのかな。家を出たきり、帰ってこない」
暖炉の薪が、かたんと音を立てて半分に折れる。
ルネの告白に、ライカは言葉を失う。自動人形にも家族がいるとは知らなかった。鉱玉に刻まれた紋様だけが、彼らを動かす全てではないのかもしれない。
ルネは澄んだ菫色の瞳をライカに向け、微笑んだ。
一人の夜がどれほど不安なものか、ライカも理解しているつもりだ。レネは何の前触れもなしに家をあけることが多かった。
一人の夜は、塔の屋上から管理塔を眺めて過ごした。時折、ライカを心配してシグルドが塔を訪れる。彼の支えがなければ、今頃ライカの心は寂しさで潰れていたに違いない。
「僕の兄さんも、人形師なんだ。忙しいみたいで、家を空けることが多いけれど。ルネは、ひとりで寂しくないの?」
「もう、慣れてしまったよ。でも、僕は兄さんを信じている。……兄さんはね、僕の病を治すために家を出たんだ」
「病……」
少年の表情は凪いだ海のように穏やかで、ライカは感情を読み取ることが出来ない。言葉を返せず、表情を窺っていると、ルネの方から切り出した。
「自動人形が病気に罹るなんて、おかしいと思っているんだろう」
「いや、その……」
「ふふ、気にしなくていい。ヒトからみれば、そう、欠陥みたいなものさ。僕は不完全な自動人形なんだ。
ルネは、慣れた手つきで自身の鉱玉に触れる。柔らかな一輪の薔薇に見えても、原材料は硬い鉱石だ。簡単に薔薇の花弁がとれるわけではない。
「兄さんは、僕を作った人形師を探しているんだよ。どういうわけか、僕の星には人形師の情報が刻まれていないんだ」
人形の街の自動人形は、人形師もしくは管理局の管理下に置かれる。ライカは、兄の言葉を思い出す。管理局の規定で、紋様に人形師の情報を刻むのが常だと言っていた。
「僕らは自力で人形師を探すしかなかった。兄さんから最後に手紙が届いたのはいつだったかな。管理局の機関構成員になったという知らせだった。それきり、連絡は途絶えたままさ」
ルネは自身の膝に視線を落とし、目蓋を伏せた。白磁と撥条と螺子が詰め込まれた作り物の身体は、昔ほど機敏には動かない。
「何度も会いに行こうとしたんだ。でも、この森から管理塔は見えない。僕には、あの場所は遠すぎるんだ……」
ルネの寂しげな表情が、兄のそれと重なる。雨の日に、傘もささずに屋上に佇んでいたレネの横顔を思い出す。
兄は管理塔を眺めていた。やがて濃霧が街の象徴を隠してしまっても、レネは屋上から一歩も動こうとはしなかった。
ライカは胸が締め付けられるような思いで、言葉を絞り出す。
「君の兄さんは、どういうひとなの。僕の兄さんも、兄さんの友達も、機関構成員なんだ。もしかしたら、何か知っているかもしれない」
「本当かい」
ライカは、まっすぐルネの瞳を見つめ、頷いた。ルネが安堵したように口の端をあげる。
「僕の兄は、ライカに、よく似ている。本当は、君よりももう少し年上なんだけれど、自動人形は身体のパーツを取りかえることができるから。
……君を見た時は、本当に、兄が帰ってきたと……思ったんだ」
ルネはライカの左手首のアクアオーラを見やる。少年の細い手首を囲むリングは、己の意志を持つかのように淡く輝いていた。
自動人形は星に侵蝕されない。彼らの皮膚の下を流れるのは、寄生星が好む人間の血液ではなく、ただの潤滑油だ。
「兄の名前は……、スプートニカ。L・C・スプートニカだ」
どくん、と心臓が跳ねる。テトラクラインで出会った自動人形が脳裏を過る。ライカは震える声で、その名を復唱した。
「……スプートニカ」
レネが愛したスプートニカ。管理局の機関構成員の制服に身を包み、テトラクラインで眠っている。
ルネの兄が、テトラクラインの自動人形を指すのならば、彼はもう弟のもとへは戻れない。スプートニカの心臓は、レネが壊してしまった。
ライカには、その事実を伝える勇気も覚悟もなかった。
ルネはたった一人で兄を待ち続けている。スプートニカが目覚めない限り、彼はずっとひとりぼっちのままだ。
「もしかしたら、兄さ……、いや、レネなら、何か知っているかもしれない」
カウチチェアから立ち上がり、ライカはルネの手を握る。ひやりと冷たい手だった。暖炉の火が、彼の両手を温めることはないだろう。
血の通わぬ自動人形はライカを見上げ、首を傾げる。
「レネ?」
「腕の良い人形師なんだ。……スプートニカさんのことも、知っているかもしれない。……奇麗な鉱玉を作るんだよ。僕の、大好きな、兄さん……」
頬を伝う涙が止まらない。レネはどうしてスプートニカを破壊したのだろう。ルネとスプートニカの絆を断ち切った事実が、どうしようもなく悲しかった。
兄の背中は遠く、ライカはいつまでたっても追いつくことが出来ない。影は遠のくばかりだ。
「ライカ」
生温かい水滴がルネの手の甲に落ちる。熱を持たないはずの左手に、じんわりと生命の灯がともる。
「泣かないで、ライカ」
ルネは、そっとライカの頬に右手を添えた。薔薇水晶に刻まれた紋様とは関係なしに、勝手に身体が動いていた。
ハニーブロンドの柔らかな巻き毛が、ふわりとライカの目蓋を撫でる。
額に触れた冷たい感触を理解したとたん、ぱたりと涙が止まった。
「“兄さん”の泣き顔見たの、はじめてかもしれない」
「僕も、“兄さん”にキスされたの、はじめて」
ライカは服の袖で目元を拭い、ぎこちない笑みを浮かべる。うまく笑えた自信はない。
「……僕の話ばかりで、ごめん。ライカ、君、兄さんを追いかけてきたと言ったね」
「うん……」
ライカとルネは、揃って窓の外を見やる。雨はだいぶおさまってきたが、未だ灰色の雲が空を覆い尽くしていた。
「どうしてだい」
「明日、兄さんの誕生日なんだ。僕は、兄さんの友達と誕生日プレゼントを買いに出かけたんだけれど……途中で倒れてしまったんだ。
気づいたら、メトロの中にいて、兄さんを見つけて、それで……」
ライカの胸に二つの影が宿る。森の中で行方をくらましたレネと、車内で別れたきりのシグルドだ。雨がやめば、二人を探せるだろうか。
「情けないよ。僕は何時も、肝心なところで倒れて、兄さんのプレゼントひとつ満足に買えやしない……」
ふと、何かを思いついたようにルネが、パチンと手を叩いた。
「そうだ。いいものがある。君の兄さんにぴったりのプレゼントだ」
「どういう……こと?」
戸惑いを隠せぬライカの鼻先に、ルネは人差し指を突き付ける。悪戯を思いついた子供のように、片目を閉じた。
「此処を何処だと思っているんだい?人形師の専門店だよ」
そこで待っていて、とライカをカウチチェアに座らせると、少年はハニーブロンドの髪を靡かせながら、くるりと踵を返す。
人形師ならば誰もが欲しがるものを、ルネは知っている。長い間、スプートニカの傍で自動人形達の誕生を見守ってきたのだ。
ルネは古い戸棚の引き出しを開け、鉱石箱を取りだした。蓋を開けると、十六の仕切りにおさめられた小箱達が顔を出す。
自動人形の指先は、迷わずひとつの白い小箱を選んでいた。
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